ロボット&老人の最強コンビ!?~素敵な相棒 | Cecilia's Diary

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「聖セシリア」は、音楽の守護聖人。これにならって、音楽をはじめとする芸術や
伝統文化などを楽しみつつ、毎日を生き生きと過ごしている様子をつづります。
ライフワークとしてコーチングも勉強中。

落雷のため、電車が遅れて間に合わないかも!ガーン
やきもきしながら映画館に駆け込んで、「素敵な相棒」という
映画を観ました。

元泥棒のフランクは、年のせいか物忘れがひどくなっています。
そこで見かねた息子が、高性能のお手伝いロボットをプレゼント。

ひとり暮らしの家は、散らかり放題だし、腐ったミルクでフレークを食べようとしたり
すでになくなったお店がまだあると思っていたりと
生活がままならないのに、自分の面倒は自分でみると言い張るフランクは
現代のテクノロジーが嫌いなので、ロボットを最初邪険にします。

このロボット、まるでアシモくんを人間サイズに大きくした感じで、
中に人間が入っているんじゃないかというくらい動きがスムーズ。
(ホントのところ、これロボットなのか、中に人間が入っているのか…)

でも、ロボットはとても高性能でフランクの健康状態まで
きちんとプログラミングされているので、邪険にするフランクには
おかまいなしで、着々と自分の任務をこなしていきます。

フランクの生活を支援することがこのロボットの任務ですが、
そこにはフランクの健康管理も含まれているので、
フレークではなく果物を提供し、決まった時間に決まった行動をとることを
促します。
フランクの健康維持のためには、「ウソも方便」といって
フランクを脅かしてまで任務を果たそうとします。

このフランクとロボットのやりとりが、なんともほほえましい。
ロボットは単にプログラムされていて、その通りに動いているだけなのですが、
人間と会話する高度な頭脳を持っているらしく、ちゃんと会話が成立しています。

人間と雑談するくらいの高度な会話をするプログラミングはされているのに、
一方で自分とは違うロボットとの会話はプログラムされていないので、
図書館に新しくきた図書館司書ロボットとは、なぜか会話ができない。

このロボットと暮らすことで、次第にフランクの健康状態はよくなっていきますが、
ロボットをプレゼントしてくれた息子は、フランクに愛想をつかして疎遠に。

健康状態がよくなってくると、今まで投げやりだった気持ちが
少しずつ前向きになっていきます。
ロボットは新しい趣味として庭仕事を提案しますが、いまいち乗り気でないフランク。

そんなとき、ふとしたことからあるものを盗もうと
フランクは計画をたてます。
そう、元泥棒だったフランクは、やっぱり盗みとなると
モチベーションがあがるのでした。

盗みに入るタイミングや、盗みに入る建物について調べるフランクは
とてもイキイキしています。
盗みをすることは、法的にいけないことですが、
このときのフランクはとても楽しそうで
人間やっぱり自分の好きなことをやるのが精神的にも肉体的にも
いいんだなあと思わせてくれます。

そして、ふとしたことから人間よりもある意味高度な頭脳を持つ
ロボットに、こともあろうに盗みの手伝いをさせるのです!

ロボットには、「盗み」というものがどんなものであるか
という言葉の定義づけはプログラミングされていますが、
「盗み」というものの善悪についてはわからない。
(感情がないからよいとか悪いとかの判断はつかないのか?)

ただ、フランクの計画をきいて理にかなっていると判断し
フランクとともに盗みをすることに同意します。

途中、ロボットに父親の世話をさせることに抵抗をもった娘が
フランクの家にやってきてロボットをフリーズさせてしまい、
泥棒の手伝いをさせたいフランクをやきもきさせたりもします。

盗みを働いたあと、警察に容疑者として疑われるフランクですが、
巧みに盗んだものを隠します。
(隠しどころは最後の最後でわかります!)
でも、たったひとつだけ盗みの証拠として隠せないものがありました。
それはロボットの記憶メモリ。

フランクは最後まで自分の相棒であるロボットのメモリを消さず、
なんとか逃げようとしますが、ロボットはフランクが自分の望みを
達成するためにも、自分の記憶を消してくれと頼みます。

ロボットは感情を持たないし、単なる機械でしかないかもしれない。
でもフランクにとってはすでにかけがえのない相棒となっていたので、
断腸の思いでロボットのメモリを消します。

この映画は、フランクとロボットのかかわりを描く一方で、
フランクと家族とのつながりについても触れています。
フランクと妻とは30年も前に離婚したのですが、
実はその妻がとても身近にいた(フランクは病気の症状が進み、
再会したときはすでに妻だと認識できずにいた)
ということも、最後に明かされます。

高度なプログラミングをされていても、人間のような感情を持っていないロボット。
でも、この映画に出てくるような高度なロボットだったら
ほぼ人間に近い形でかかわることができるのかもしれません。
それは、ちょっと怖い気もしますが、何十年後かの末来には、
こうやってひとり暮らしの高齢者の世話をお手伝いロボットが担うということが
ごくあたりまえに行われているかもしれません。

そんな未来を想像しつつ、フランクとロボット、また家族との関係を通じて
心に温かいものを感じた映画でした。ニコニコ