英語コーチのありーこと

ニーボンあいです。

 

オーストラリアコアラのメルボルンで

オーストラリア人の夫と、

9歳の息子、6才の娘、

1匹のうさぎうさぎとくらしています。

 

家族でチェリーファームにお花見にいきました
 

<プロフィール>

高校2年で初めてのオーストラリアにホームステイ。
オーストラリアで日本語教師になる
という夢を見つける。

津田塾大学で英語学(社会言語学)・第二言語習得・
日本語教育を学び英語教員免許取得。

シドニー工科大学で日本語教育を学び、
オーストラリアの高校教員免許取得後
オーストラリアの永住権取得。

メルボルンの高校にて日本語および
日本子女への日本語(国語)指導

2003年日本での社会経験を積むために
日本に一時帰国し語学専門学校で
留学アドバイザーをつとめる
海外ゲストの通訳を経験

2006年にオーストラリアに移住
語学専門学校のスタッフとして
海外研修のアテンド・海外生活サポート・
現地学生の取材の傍ら、
日本語家庭教師、日本子女への国語指導

2012年にオーストラリア人と結婚

子育て中も「教えること」をライフワークとして
語学と文化教育に携わってきました。

メルボルン在住。在豪歴20年

 

【英語が話せるようになるまでの道のり】

 

オーストラリアに住んで20年目になりますが、

オーストラリアとの最初の出会いは

16歳のホームステイ。

 

4週間という短いプログラムでしたが、

素敵なホストファミリーに出会い、

オーストラリアという国に恋をして

この国に将来絶対に住む!と決めました。

 

 

大学で英文学の教授をしていた父の影響で

小さいころから英語やアルファベットで

書かれた文字に興味がありました。

 

日本語よりも英語で書かれた文字の方が

かっこいい!というミーハーな気持ちで、

小学校の持ち物によく英語で

名前を書いてもらったものです。

 

 

中学で初めて英語を勉強した時は、

未知の言葉と教科書の外国の風景写真に

「やっと憧れの英語が学べる!」

とわくわくしました。

 

オーストラリアのビーチ

透き通るオーストラリアの海

 

暗記も得意だったので、

すぐに「学校で学ぶ教科としての英語」

は得意になりましたが、

英語の文法の基礎が固まったのは

母が高校受験のために探してきた

英語で有名な地元のスパルタ塾。

 

竹刀を持った塾長先生の指導のもと

怯えながらも「中学までの英語文法」

をしっかりたたきこんでもらいました。

 

今オーストラリアで生活していても

高校で習った英語より、大学受験の英語より

普段使うのはこの「中学までの英語文法」

 

英語が話せるようになりたい人にとって

文法ばかり気にしては、

人とコミュニケーションを取ることは

できませんが、

 

ある程度の基礎は土台としてあった方が、

次のレベルに行きやすい

というのが私の考えです。

 

都内の進学校で

優秀なクラスメイトに囲まれる中

それでも「英語は誰にも負けない」

と自信があった私。

(他の教科はいつも赤点でした💦)

 

念願だった海外ホームステイを経験して

衝撃を受けます。

 

得意のはずの英語が通じない?!ガーン

 

このホームステイで

「オーストラリアに住む」

という目標をみつけた私は

日本に帰国してから、

実践的に使える英語を身につけるべく

色々な教材を試しました。

 

 

当時新聞広告でさんざん見た

聞き流すだけで英語力がつく!系の教材。

この子は英語しかないと思った親が

高い教材を買ってくれたのに、

ペラペラにはなりませんでした。泣き笑い

 

それでもお勉強英語はまだ得意だったので、

大学も都内の英語系女子大に進学。

 

何とか「英語がペラペラに話せる」ように

なりたくて

 

サークルも飲み会も参加せず、

ひたすらアルバイトをしてお金をためて

大学の休みにはオーストラリア語学研修に

参加するという大学生活を送りました。

 

私のそれまでの英語学習人生で

一番英語力が上がったかな、

自分の言いたいことを全部言えるように

なったかな、と思えるようになったのは

この語学研修のころ。

 

日本人のクラスメイトとも

日本語を一切話さないと決めて

とことん英語漬けになった2週間を

大学在学中2セットこなし

夢も英語で見るようになっていました。

 

でも一旦帰国してしまえば、

英語との接点はなくなる。

 

社交的でも積極的でもない私は、

外国人の友達を作るとはほど遠い生活。

せっかく身につけた英語も

さびついていくのを感じました。

 

 

日本の大学を卒業して

オーストラリアの大学院に行くために、

TOEFLの勉強にも力を入れましたが、

リスニング力を高めて

大学の講義を英語で聞けるレベル

にはなりましたが、

それで「話せるか」というと、

まだ疑問がありました。

 

 

実際にオーストラリアの大学院に留学しても、

日本人が多いコースだったので、

もちろん大学の授業は全部英語ですが、

いつも日本人と集まって

日本語で会話をしていたので、

会話はそれほど上達しませんでした。

 

海外にいる時間が長くなればなるほど、

それほど話せない自分に

どんどん自信をなくしていく。

 

海外に1年もいたらこうなるだろうな、

という自分の理想と

かけ離れていたように思います。

 

そこからまた日本に帰国しても、

留学していたんだから英語話せるはず、

という周囲のプレッシャーから

仕事で外国人と話す場面があっても

冷や汗をかいて、しどろもどろ。

どんどん自信を失っていきました。

 

そんな私が本当に英語を話せるようになった

日本語よりも自然に

口をついてでるようになった

と思えるようになったのは、

 

オーストラリア人の旦那と結婚して

とにかくコミュニケーションをとる

必要が出てきてから。

 

我が家のコミュニケーションはすべて英語
 

そうなんです。英語を話すことよりも

「コミュニケーションを取ること」

にフォーカスを置いた時です。

 

コミュニケーションを取る

とはどういうことか。

 

英語を文法どおりに正しく話すことよりも、

きれいな発音をすることよりも、

その場面で一番適切な気の利いた

単語を使うことよりも

 

まずは必要なことを「伝える」こと。

そしてそれが聞いた相手に「伝わって」、

次の行動につながること。

 

実際の人物とやり取りしているとき、

頭で日本語を考えてそれを英語に訳して、

文章を組み立てて、

分からない単語を調べて。。

という時間がありません。

 

とにかく「今」伝えなくてはいけない、

という場面がたくさんあります。

 

義理の両親とも仲良し
 

英語が話せるようになりたい人は

まず、パーフェクトな文法ではなくても、

パーフェクトな語彙でなくても

「とにかく伝えること」にフォーカスを置き、

言葉を発していく。

 

その毎日の積み重ね、「訓練」をしていくと
英語が口をついて出るスピードが

少しずつ早くなってきます。


最初は1語で伝えていたことも、

余裕がでてくるとより詳細を伝えるために、

2語、3語で話せるようになってきます。

 

「伝える」ことにまずフォーカスを置いた

勉強法なら


初心者の方でも3か月で
自分の言いたいことが「伝わる」英語を
身につけることができます。

 

そこからさらに3か月でより
ネイティブが使うような自然な英語に
ブラッシュアップしていくことも可能です。

 

とにかく生活の中で伝えたい人たちがいて、
「上手い英語」ではなく「伝える」こと
にフォーカスしていった結果、
自信がなかった私の英語も変化しました。

 

一番難関だった義姉(早口!)の英語も今はわかるように
 

まずは伝わればいいので、

間違えを恐れなくなりました。


この動詞の過去形はなんだったかな、

wouldの使い方はこれで合っていたかな?

なんて話しながら考えなくなりました。

 

さっきの言い方は良かったのかな?と

後から振り返って見直すことはあっても、

その場では会話の流れを
ストップさせることはありません。

 

いまでは頭の中で日本語から英語に

変換する必要もなくなり、
何かを見たときに咄嗟に出る言葉も英語。


海外で生活をしていて

語学の面で不自由に感じることは
ほとんどなくなりました。

 

 

英語ネイティブが

「あー、あれあれ、なんだっけ」
と言葉が出てこなくて困っているところに、
私がふっと単語を言って

手助けすることもよくあります。

 

 

頭の中に眠っている語彙を

ひっぱり出してくるスピードは
彼らよりも早くなっている模様!笑キメてる


こんな英語の勉強法なら、

私にもできるかも?
と思っている人がいるなら、

 

はじまりは「今日」です

 

 

英語を話せるようになりたいけれど

単語や文法を覚えるのは苦手。

 

逆に単語や英文法は自信があるのに

なかなか英語が話せない

 

そんな悩みを持った人は「今日」、

一歩踏み出してみましょう。

 

英語コーチありーが
コミュニケーションを取るための英語

ツタエル・ツタワル英語力を手に入れる

お手伝いをします。

 

 

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