わたしって前者?後者?


前回こんな記事を書いてから~



お正月、お家に帰った時、


姉に宿題をやり、
仁さんの前者、後者のブログを見せたとき、
姉はすぐにその仕組みを理解したキョロキョロ


そして
言い放たれた言葉、

「みーやんは後者でしょ。」
(笑)


うん、わたし
実家帰るとホントに何もしない。

というか、
チャキチャキ動ける、
頼りになる姉が2人もいるから
丸投げ、おまかせ。


そして
仁さんのブログそんなに読んでないのに、
理解できちゃうとこあたり、
前者っぽい。

姉、前者決定。(笑)


家の中や、姉との関係性の中では、
わたしは後者だろう。


けどね、
仁さんのブログを読んで、
わたしは
自分を前者モドキじゃないかと思うのよね。


よくよく考えてみたら、

失敗や、悔しい気持ちに、
正面から向き合えなくて、
「サボりながらやる自分」を
まあ、良し、としたりしていた時があった。

失敗したくないから
やりたくないことも仕方なくやった。
(恐れからの行動)

自分に責任を持つ勇気がなく、
人に乗っかって、
ダメだった時は人のせいにしていた。


できないぶりっこ
してたんじゃないかなー。って。


そして、

うちの母はわたしが思うに、後者


前者になろうとしてなれなかった、
自分自身へ「絶望している後者」。


努力をしないといつか抜かれる、
一生懸命やることが素晴らしい、
楽して勝つより、負けてもベストを尽くしている方が好きだ。


そう言われてきた。

がんばれないのはダメだと思ってた。

ありのままの自分を認めるなんて出来なかった。

がんばった分しか出来るようにならないと思ってたし、
自分が出来る部分で自信を持とうとした。


けど、お母さんから見て、努力をしないわたしは
お母さんから見て根性なしで、
出来る部分でも、
自分が出来るんだか、出来ないんだか、
分からなくなっていた。


自分がガチでやって、
それを失敗したとき、
受け止められないから、多分逃げていた。


ホントはめいっぱいやりたいのに、
怖かった。


お母さんに心配されたから。


ホントは背中を押して欲しかったのに。

わたしなら出来るよ!と信頼して欲しかったのに。

出来ても出来なくてもいいよ!と言って欲しかったのに。



宿題を通して、

仮に私が後者だとしても、

私と母の関係性は、

母:後者、私:前者で成り立つんじゃないかと感じたんだ。




母は、自分に絶望して、

娘にはそうならないように、と子育てをした。

けど、

ごめん、
わたしあなたより
出来る子だよ。(笑)


前者のフリしてがんばったお母さんが、
社会で生きる術を身につけさせるべく、
がんばってわたしに刷り込んできた。


お母さんが大好きだから
受け取りたかった。


けど、
わたしは多分大丈夫だし、

これからは

ただ、わたし自身を赦そう。

わたしを認めよう。



わたしとお母さんの、

出来ない自分をゆるせない連鎖は

もう終わらせよう。





「できない自分を許す、認める」


これかなりのキーポイントねお願い




■前者・後者に分けることの意味と、問題の作られ方。|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」






1部抜粋。


「意見を唱えてほしいわけでも
悩んでほしいわけでもなく

ただ、笑ってほしいのです。



笑うためには

好きなことだけしてほしいのです。
遊んでてほしいのです。」


前者でも、
後者でも行き着く先は同じだ。




やりたいことをやって
やりたくないことをやめよう。


自分らしく生きよう。


たくさん笑おう。



そーゆーことよねラブ


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