シェイクスピアの戯曲には名セリフがたくさんあります。

たとえば
『ハムレット』の「生きるべきか、死すべきか、それが問題だ」「尼寺へ行け」
『マクベス』の「どんなに長くとも夜は必ず明ける」「きれいは汚い、汚いはきれい」
『リア王』の「人は泣きながら生まれてくる…」 等々
実際に『ハムレット』を観たことがなくても、『マクベス』を観たことがなくても、そのセリフだけは耳にしたことがあるのではないでしょうか。

そのセリフを役者がどのような感情をこめて、どんな速さで、どう語るのか。それは、その芝居の見せ場であり、観客たちが楽しみにしている場面でもあると思います。

そして、『ロミオとジュリエット』の名セリフと言えば、「ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはなぜロミオなの?」ではないでしょうか。
ロミオに恋をしたジュリエットが、彼が宿敵モンタギュー家の息子だと知った夜、それでも彼への思いを抑えきれず、窓辺でつぶやく言葉です。
モンタギューの名前を捨てて。ただ、私の恋人だと言って。そうしたら私もキャピュレットの名前を捨てるから。でも名前って何?ロミオがロミオと呼ばれなくても、あの人の素晴らしさは少しも変わらないのに…みたいなことをひとりごちていると、やはりジュリエットが忘れられず、彼女の部屋の下に忍んできたロミオに聞かれてしまいます。(ちょっと恥ずかしい…)
そして、ロミオも「名前を捨てましょう」と返して二人の気持ちが一気に燃え上がる、という場面です。

さてこの見せ場、バレエだとどうなるのでしょうか?
バレエには言葉がありません。たまにセリフをしゃべる作品もありますが、この場面だけしゃべっても変ですよね…
初めてバレエ「ロミオとジュリエット」を観るとき、ちょっと興味深々だった私です。

結論から言えば、バレエには言葉がなくても、ダンサーたちの素晴らしく雄弁な体があります。そしてバレエでもこの場面は、作品中最大の見せ場と言っても過言ではありません。
窓辺で止まっていると踊れませんので、窓辺ではなく「バルコニー」を中心とした、もっと広い舞台にはなりますが、恋をしたときの舞い上がるような気持ちは、むしろバレエの方がダイレクトに伝わってくるのではないでしょうか。
そして、ロミオとジュリエットにとって作品中唯一ここだけが、ただひたすら幸せ、という場面です。
この幸福感、高揚感、若さ、勢い。ダンサーたちの生身の体が語る恋の喜びは生命力を感じさせ、それが強烈に描かれれば描かれるほど、後半の悲劇との対比が強まって感じられます。

見終わったときには、セリフ云々と考えていたことさえ忘れていました。
数あるバレエ作品のなかでも、屈指の名場面だと思います。

今月はロミオとジュリエット月間です。
東京バレエ団(クランコ振付)、牧阿佐美バレエ団(プリセツキー、牧阿佐美振付)の公演があり、新国立劇場ではミュージカルも上演されます。

東京バレエ団「ロミオとジュリエット」

 

 


牧阿佐美バレエ団「ロミオとジュリエット」

 



#カバーは、昨年、英国ロイヤルバレエの「ロミオとジュリエット」を観た大阪フェスティバルホールの写真です。