昔、母が

幼いわたしにこう言った




『○○(姉の名前)が生きていたら、

ゆきは生まれてなかったんやからね』





世界が変わった。

サーーっと色彩が薄くなった。




今の今まで

わたしは

この家の子で


当たり前のように

のうのうと暮らしてきたが、



それは間違いだった。





姉が生きていれば

わたしは生まれてきていない




ということは、



姉が死んだから

わたしは生まれてこれた




姉の死という犠牲において

わたしは生きてる




もともと、

ここは

姉の世界で



まさかのミスで

命が途切れて



その

間にあわせ的な役割で


わたしがここにいる。














もちろん、

言われた時に、


幼いわたしが

こんな言葉を

思ったわけではないけども




今ならその時の気持ちを

こんな言葉で綴る












わたしは未だに


心の底から寛ぐことへの

憧れと恐怖を


同じ分量で持っている。



うっかり

心を許して

くつろいでいたその場所で



『あなた、

この場所にいる人じゃないですよ』



そんな風に

不意打ちを喰らうよな気がする。




じゃあ、

わたしの居場所はどこなんだろう?



安住の地を求めて

ふらふらと気持ちが揺れる





長く長く


囚われているこの傷




この気持ち




この恐怖









そんな自分に

ひとこと声をかける







『ここにいていいよ。』



そうやって、

気を鎮める








ここはわたしの場所


これはわたしの人生















母はもちろん預言者でもなく、


その当時30代の

どこにでもいそうな、おかん。








その時、母は

家族計画を話したのか、

何かのお仕置きで言葉を発したのか、

わたしが何もわからないと思って

感情的に発作的に口走ったのか‥


それは、わからないけど






30代のどこにでもいるおかんを

わたしが経験した後だからこそ


言えることは





それはおかんの気まぐれ言葉




そして、

言ったことも忘れてる。





子どもだけが

持ち続けてる、あの時の恐怖。




だって、

あの時は



母は

神様よりも

わたしを守ってくれる人だったもんね。



わたしの世界の安らぎのすべて





そんな神様みたいな人に

そんな事言われたら




終わっちゃうよね。






けど。





母は神様ではない




その言葉には何の効力もない






わたしが、

その言葉に



麻薬級の意味を持たせてるだけ





ただ

それだけ。







何度でもいう




わたしはここにいていい。




わたしのこころが安らぐまで。

安らぎの気持ちが当たり前になるまで。



何度も、何度も。

くりかえし、つぶやく。



ここにいて、いい。