アレグロの写真屋  中野和志のブログ


もう季節はすっかり冬ですが先月近所の公園に紅葉を撮影にゆきました。

水溜りに落ちたイチョウの葉です。ぼやぼやしていたら秋も終わり

花が少なくなりました。それでもまだ冬に咲く花もあるので

撮影したいと思います。出版業界、広告業界はまだまだ不況のトンネルを

抜け出せませんが、その分時間ができれば私的な写真を撮ってみたい

です。

私は一度だけ、あの美空ひばりさんのご自宅のリビングにお邪魔したことがあります。

しかしひばりさんはすでに残念ながらこの世にはおられませんでした。

出迎えてくださったのはひばりプロダクションの社長で息子さんの

加藤和也さん。西郷山の旧山手通りから少し入った

住宅地にそのひばりさんのご自宅はあり広い庭にちょうど桜の古木が満開で「母はこの桜が咲くのを毎年とても楽しみにしていました」と話されて

いました。リビングは当時のままになっていました。ご愛用のグラスや

お酒やらお気に入りのご自身の写真の数々が並んでいました。

美空ひばりは息子の和也さんをきびしくきびしく育てられたそうです。

「和也あなたはね、大スターの息子の前に磯子(横浜)の魚屋の出なんだから決して世間さまの前でいばってはいけないよ」と教えられたそうです。

「高校生になるまで母はなにも買い与えてくれなかったんです」そう

和也さんは話されてました。高校生になって一眼レフカメラを

初めて買ってくれたそうです。私が持参した美空ひばりさんのCDに

サインをいただきました。そこには「有難うございました、加藤和也」

と書かれてありました。お会いして和也さんのすっかりファンになりました。

あの日、ひばりさんのご自宅前で和也さんのお母様のかたみのロールスロイスファントムに乗った姿すごくさまになってました。


きのから日生劇場で松本幸四郎さんの舞台「カエサル」が始まりました。

原作は累計で920万部を誇る『ローマ人の物語』で筆者はごぞんじ塩野

七生さん。とある年の真夏の内幸町の帝国ホテルにグッチの素敵なスーツにハンドバックで現れた塩野七生さん、挨拶と名刺交換が始まり編集者と記者とそれから私に名刺交換をさせていただくと「あなたがきょうの私の運命の人ね」とご挨拶された。時に写真が運命を変えることがある。いい運も悪い運もそういう意味である。人の顔を撮影することは大変な責務であり

運命を左右することを肝に銘じるように心がけています。

どうやってご本人を写真で表現するかカメラマンにとってなかなか楽しい作業です。まさに天職だと思っています。愛煙家の塩野さんがか細い指で外国タバコをかっこよくくよらせる、タバコが似合う方でした。私の写真で塩野さんの運命はさらにひらかれたのかわかりません。



因みにJT日本タバコの当時の本田社長もタバコがさまになっていた。逆にとある生保会社の社長はヘビースモーカー、タバコを吸う撮影カットは広報から当然掲載禁止でした。


偉大な映画評論家の淀川長治さんをご存知のかたは今でも多いと

思います。1998年11月にこの世を去り享年89歳。私はある日

の午前、週刊誌の撮影で東京の府中にいました。午後も同じ

週刊誌の撮影で有名人のインタヴューが六本木の全日空ホテルの

34階のスイートルームである。中央道と首都高4号が事故で渋滞

してこのままでは確実に約束の時間に遅刻であり、当時まだ珍しい

携帯電話からきょうの取材対象者の秘書の部屋にその旨の連絡を

入れました。

全日空ホテルの地下駐車場に車を大急ぎで止めてライターと編集者で

エレベーターを目指しました。エレベータの前には何名かの客が

エレベーター待ちをしていました。エレベーターが最上階から降りて

きてその扉があいたらなんとあの淀川長治さん。お客さんからちいさな

ざわめきが起こりました。天下の淀川さんがなぜ地下駐車場にひとり

でいるのか、、と。あわてて3人と淀川さんとそのほかの

お客7~8名が乗り込みましたが。それで淀川さんすごい剣幕で

「どうして約束の時間にきみらはこないんだ!」と激怒。われわれはもう

ただただ謝るしかなく。「君がカメラさん?ちょっと頭を低くして

ごらんなさい」そのとき淀川さんはそれほど大きくない手のひらで

3度「ぺん、ぺん、ぺん」と優しくしかししっかりと私の頭を叩いた。

いえいえ叩いてくださったのです。その日からその編集部では

淀川先生に殴られた幸せなカメラマンとして少し有名になりました。

インタヴューでは短い時間でしたが私も淀川さんとも会話ができて

出身が同じ兵庫県ということを淀川さんに話しましたら

えらく懐かしんでいただきローカルな話題になりました。

後日「淀川先生が叩いたお詫びに食事をしたい」と秘書から

連絡がありました。結局淀川さんの体調がすぐれなくその上

雑誌も休刊。実現はいたしませんでした。

のちに知りましたが淀川長治さんの語録に

「私はいまだかって嫌いな人に会ったことがない」

がありました。私は遅刻したあの時嫌われていない

のに違いない。今となっては安心しています。

ずいぶん前のお話でした。


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カメラという装置がなければこんな花の見方をしなかったでしょう。昆虫たちはこんな距離か花を見ているのでしょうね。ところでニコンは接写や複写のために最短撮影距離を短く設計した解像力の高い機能の優れたレンズをマイクロレンズとよんでいます。しかし他社はマクロレンズと呼びます。

実はニコンには工業用レンズ製造が戦前から盛んでマクロレンズが存在します。そのあたりの名称の使い訳があるようです。