おはようございます。
今日は
善と悪、他人と自分について。
他人がこの世に存在することをどう捉えるか。
スピリチュアルを学んでいると
たどり着くのではないのかな?と思う。
だって他人がいるじゃん!っていう事が分離なんですよね。
だってここに!今も!いるし。
存在してるしっていうこの事。
みんなもともとは一つの光。
他人がいなければ
自分が何者であるかのゲームにならなくて、
昨日のあの人も今日のあの人も明日のあの人も全部、自分の意識から作られていて
あの人に抱く感情は自分の観念が作り出していて、
何か自分に対して言ってくる人がいたとすれば
そこに何の感情も抱かないのであれば
それはその相手が自己否定をしている、
自分を責めて変わりたくないからもがいてると捉えた方がいい
で、ここまでは理解しやすくて。
ここから混乱するわけですよ、、
この世に存在する自分以外の存在と思える人たち。
頭では理解していても、体感していないから
職場の人は? あの人は? この人は?って
分離している前提で疑問が沸き起こる。
結局は体感したその感覚でしか非二元性を伝えられる人はいないのではないか?と思いますね
お読み頂きありがとうございます!
