ブルアカについて語る ※若干ネタバレあり | 墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

 ブルアカについて少し書いてみたい。ブルアカで一番いいと思ったのは悪が共感しがたい悪として描かれているところだ。

 

  まず、学園モノのテンプレとしては、ドタバタで、生徒が萌えキャラで、主人公の先生がちょっとエッチだけど生徒に寄り添う善意の人で……と、言ってしまえば一昔前のモノと言っていい。

  ただ、中国の開発なので、シナリオにちゃんとソリッドな、厳しい側面を入れ込むことができている。ヨースターのソシャゲはいくつかやったことがあるのだが、シリアスな面が強調されたゲームの場合、あまりにも状況が厳し過ぎたり、専門用語の羅列が多く、日本のユーザーとしては気持ちが少し萎えてしまうという部分があった。

 ブルアカが優れているのは、ヨースター的なシナリオのソリッドさを、平穏な学園モノの対比として置いたことだ。悪役は生徒たちを利用し搾取し、『それこそが大人だ』と開き直る。それに生徒と寄り添う先生を対比として置くことで、先生が主人公として輝いている。

  ディエス・イレというバトル系ノベルゲームの傑作を書いた正田崇先生は、物語を考える時に敵から考えると言っていた。物語というのは基本的に問題を解決する筋書きであることが多い。バトルものとしては問題というのは敵キャラという形で現れる。どういう敵がいるかというのはとても重要で、ブルアカにおいてゲマトリアという敵性集団は、先生という主人公にとてもマッチしている。ブルアカの魅力としてゲマトリアをすぐに挙げる人は少ないかもしれないが、メインである学園モノとしての側面が輝くのは、ゲマトリアが陥らせる危機の状況が容赦がないからだとも言える。子供たちに寄り添う先生との対比に子供たちを利用するゲマトリアを置く。こういうストレートなコントラストのよさは今の日本の物語ではなかなか味わえない。

  日本の物語というのは、もう進み過ぎてしまっていて、王道の物語というのはあまりメインストリームでは見ないかもしれない。鬼滅の敵は過去に同情すべき事情が描かれるし、あるいは呪術やチェンソーは、主人公側もダーティな振る舞いをするという方向性となっている。

  その意味で、悪は悪を貫いており、共感性が少ないキャラとして描かれ、それに対比として萌え学園モノの不殺的な善意の先生主人公を置くというブルアカのアプローチは、もはや日本では生み出されないものかもしれない。しかもそれが、とても面白いのがよかった。

  エデン条約編は広く評価されているが、上に書いた日常と敵の対比が一番よく現れている編とも言っていい。

  一番の盛り上がりであるヒフミの主張と、タイトル回収はある意味とてもクサいシーンなのだけれど、今の令和の時代に、ここまで正々堂々とクサいシーンを正面切って描ききれるゲームが他にどこにあるんだろうか? もう日本ではできないことをブルーアーカイブはやっていると思った。日本の最前線で評価される作品とは別軸の、少し古い作品のよさが確実にあって、俺の中でブルアカの評価を確固たるものにしている。

  ヒフミのシーンもそうだが、ブルアカはノベルゲームで言うイベントスチル(一枚絵)がとても美しく、映画的な盛り上がりを強調している。

  ヒフミの主張から繋がるのは、先生がこの世界にその立場として来た意味というか、まさにその役職の意味を発揮する、これもある意味での伏線回収としての活躍だ。

  その後の仲間が集結してくるイベント戦も熱い。

  先生のカードの力が発揮されるのも、メタ的で恥ずかしさもあるんだけれど、ブルアカはもう真正面から来るので逆に清々しい。『ちょっと恥ずかしいけれど、お前らこういうのが好きだろ?』という全力ストレート。それがとても心地いい。

  中国の日本のオタク文化に影響された層においては、もう既に原神で世界を獲っている現状があるものの、ブルアカのような少しレトロなタイプの学園モノについても、もはや今の日本には出せない味を出している。

  もちろん、今の日本のチェンソーマンのような『物語に慣れてしまった人が一周回って好き』みたいなところまで追いついてくるには時間がかかるかもしれないが、逆に今の日本が失ってしまった王道展開を描けるのはもはや中韓だけなのかもしれない。

  チェンソーマンについてもジャンプ連載を毎週楽しみにするという自分にとって『いまさらこんなことが起こるとは』というエポックメイキングだったが、ブルアカについても中国のヨースターが王道学園モノを描き、日本には出せない味を演出してみせたという点で目から鱗が落ちた。

  ヨースターのシナリオの一つの到達点として、間違いなく今やる価値のあるゲームだ。