僕の死を望む人間が三人いる | 墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

僕の死を望む人間が三人いる

 人を殺すのって簡単すぎて困る。
 他人を殺すのも、自分を殺すのも簡単だ。
 人間には常識とか倫理とかストッパーがかかっていて、人を殺すことなんて滅多にされないけれど、でも別にそれは殺人という行動の難易度を保証しない。
 ミステリみたいに自分が捕まりたくないからトリックを考えるとかならまだしも、単純に人を殺すというアクションを取るのだけならあまりに簡単だ。
 寝ている家族の首に刃物でも突き立てればいいのだ。抵抗を許さないように一撃で。
 自殺するのなんてもっと簡単で今すぐ玄関を出て駆け出して、勢いよく走る車の前に身を投げ出せばいい。
 自殺も他殺も簡単で、でもその簡単さから皆が目を逸らすのは、それがあまりに簡単ってことに気付いてしまうとちょっと怖くなるからだと思う。
 でも大丈夫なんだ普通の人にはストッパーが効いているから。

 母親が僕の首を絞めて「お前なんて産まなければよかった」と言った時に、僕に第二の人格が生まれ、父親が僕を犯してよがっている時に僕に第三の人格が生まれる。
 精神分裂と共に、僕はそれぞれ母親が死んでいる姿と、父親が死んでいる姿を幻覚で見る。
 この死体の幻覚が恐ろしいのはこれまでその幻覚が百%実現しているからで、ある意味では予言とも言える。
 でも、普通の意味でそういうことが起きるって類の予言じゃなくて、僕は死体の幻覚を見た時、その死体になっている人間を殺すことにまったく躊躇を覚えなくなってしまうのだ。
 人間にあって当たり前のストッパーが簡単に外れてしまうのだ。
 だから結果として僕の母親と父親は死体になる。僕によって殺されて冷たい骸として転がることになる。
 その時には別に僕は人を殺すこと自体が楽しいとかそういうことではなくて、ただ単純に酷い親に対して復讐みたいな感じで殺したんだと思っている。
 だけど、その考えは間違ってて、ふらっと街に出て、たまたまクラスメートでちょっと好きな女の子、淀川さんを目にした時に「あ、殺そ」とか僕は思ってしまう。
 いや、正確には思ってしまったんじゃなくて、僕じゃない別の僕が脳内でそう囁いたのだ。
 僕の第二の人格、クルリはなぜか女の子だ。彼女は好意で人を殺す。だから淀川さんは選ばれる。