話してくれてありがとう/そのためならどんなことでもやりたい(由さん) | 墜落症候群

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墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

俺のツボ(由さん)
コメント無題by由
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07月11日 22:44
IP:110.67.212.168
 記事とは何の関係もないんですけど、この前ひらめきメモで見たこれ→「自分のやりたいことを見つける思考順序。性欲物欲名誉欲、そういう個人的欲求をまずは全部書き出す。次に「それらに全部飽きたら、次は何が欲しいか?」って自分に質問して、更に絞り出す。そうやって掘り下げていくと、なかなか私利私欲で普段見えてこない自分の欲求が見えてくる。」やってみたら、「これらに全部飽きたら次は何が欲しいか?」をやってみたら、一発目に「書きたい」って出てきて、ものすごくビビりました。自分で自分にビビりました。普段そんなこと全然思わないので。

  さらにその先へいくと、どんどん自分の内側に入っていきました。自分はどんな人間か?的な。でも結論は「本に飽きることはあるかもしれないけど、想像に飽きることってなくね?」でした。これ以上先に進めん。

(身の回りの人には言いたくないけど誰かに言いたかった)

 身の回りの人には言いたくないことを打ち明けてくれてありがとう。俺もなんかコンビニの先輩とは雑談をよくするけれど、ここに書いているような話って全然話さない……っていうか、そういう方向の話にそもそも話が運ばない気はするなあ……。最近、めちゃくちゃ書くことに生活を特化しているせいで、やっぱり口より手の方が流暢だしねw
 ひらめきメモの手順は、なかなか難しいなあ……w 
 俺はどこかで、人生を通して小説を書く、小説家になるっていうのは決めたと思うんだよな。そこからはもうどれだけ小説をちゃんと完成させるための行動を取れるかどうかの違いだけになっていった気がする。
 目的が決まったら手段を突き詰めるしかないっていうか、やっぱり小説を書かなかったら小説が完成する訳がないし、3時間書くか10時間書くなら、10時間書いた方がいいよね、っていうあまりにも短絡的な視座だけれど、もう俺にはそれくらいしか考えつかないぜ……w 自分の阿呆さ加減を擁護するつもりはないけれど、もうこういうのは、決めたらやるしかないと思うんだよなあ。
 書きたい、かあ……。
 何ていうか、色々と他人の作品を読んだり見たりするのは、とても楽しいことだと思うんだよ。
 それらの多くは、色んな人に評価を得ている作品なのかもしれないし、完成度が高いものを見ている満足感もあるだろうし、情報を得ることでの充実感もあるだろう。
 だけど、それが存在するということに、製作過程に自分は関わってないし、自分が見るかどうかは、その作品にとって何の影響力もないんだよなあ……。まあ評価とか閲覧数って意味の貢献はあるかもしれないけれどさ。
 人間は何かを表現することで初めて、世界に影響を及ぼし得るんだと思うし、自分で何かをしたっていう苦しさ込みの楽しさを得られるんじゃないかと思うんだよな……。
 感想を書くのだって、今、由さんがしているように俺の記事にレスポンスを書くのだって、一種のアウトプットでそのことによって、俺とのやり取りも発生している。
 だからコミュニケーションだって、アウトプットありきなんだと思うんだよ。
 そして、人間はコミュニケーションに言葉を基本的に用いる。
 だから書くっていうのは人間が人間に関わりを持とうとする始まりなんじゃないかと思うんだよな。
 ……などと恥ずかしいことを。

 俺は今やっている生活の弊害か、なかなか想像や妄想が捗らないので、羨ましい限りだな……。
 逆に俺は、読むことや眠ることには飽きることがないんじゃないかとすら思うな。どっちかっていうと自分がインプット気質なこともわかってる。由さんと会話のラリーが一番続くのは気質が近いからなのかなあ……っていうのは思うよ。
 生来の気質を才能と呼ぶとしても、俺は普段選ぶ行動で、自分を変えたいと思うなあ。
 面白い作品を書きたいと思う。
 そのためにできることなら、どんなことでもやりたいと思うよ。