夜花火。本編。 | 墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

 4時12分~4時45分。33分。3300文字。夜花火。

 2521文字。1分17秒。なんかこれまでの発想を使い尽くしたみたいな感がある……ううむ……。やっぱり、チャージあるいは、ネタを溜める、ってことが必要かな?

 自分の通っている大学を紹介する時に、俺は何をまず紹介すべきなのか悩む。
 ノータリンなりに、勿論、俺だって、大学に入る際はどの学部に入るかを悩んだりしたものだけれど、現状、あまり真面目にはなりきれない一学生の俺としては、「俺はこんな大学のあんな学部に入ったんですよ、えへへ」みたいな話は、あまり好き好んでしたいとは思わない。
 だから、ウチの大学の観光名所的な部分を紹介してみようと思う。
 ウチの大学には、それはもう大きな桜の樹がある。樹齢が五百年だったか六百年だったか、とにかく千には届いていない数だったと思うのだが、市の文化的な名所、ある種のスポットに登録されているくらいで、春なんかはなかなかに見ものなのだ。
 他の大学かはどうか知らないのだけれど、ウチの大学は基本的に講堂内に立ち入ることをしなければ、敷地内に入ることは禁じられていないので、普通に一般の方々の散歩コースにもなっているはずだ。
 という訳で、当たり障りのない部分で、ウチの学校の外見的特徴を挙げるとすれば、そのように、ともかく大きな、下手をすれば公称の樹齢よりもよっぽど大きなその樹が、ドンとそびえ立っているということだ。
 それだけの紹介だとあまりにもつまらなかろう、よりウチの大学のコアな部分を知りたいという諸君には、もう一つ、ちょっとした特徴をお教えすることができる。
 それは、ウチの大学には制服が存在するということである。
 大学生は私服で通うのが当たり前だと俺も思っていたのだが、逆に、大学に制服がないのはなんとも不思議、あって何が悪いのだという発想を脳内に召喚した輩がいるのだった。これは、学内でもだいぶ有名な先輩なのだけれど、翻って言えば、つまりこの制服は、公式な制服ではなく、自主的な制服と言えよう。その先輩は、制服を一着一着手作りし、そして、一セット一万円で売っている。そのカラーリングというのが、男子制服、女子制服ともに、真っ白をベースにしたカラーリングなので、もし、これをせっかくだから着てみようか、という発想に駆られなどしたものなら、悪目立ちすることこの上なしである。
「君は大学生だろう、大学生ということはつまり学生だ。学生というのは制服を着るものだ。大学生だからといって、制服を着ないとは何事か。大学生が制服を着て何が悪い!」
 まるでマシンガンのような彼のしゃべくりを、ほとんどの学生は「あーはいはい、今日も元気でよござんす」という感じでやり過ごすのだけれど、たまに押しの弱い生徒が捕まって、乗せられてその制服を買わされたりするようだ。ところが押し売り的な犯罪性を帯びると言えばそういうこともなく、むしろ買った当人も嬉しげに着用し、やはり、その制服の効果の通り、(いい意味でも悪い意味でも)衆目を集める存在になったりするのだから、不思議なものだ。
 俺はと言えば、どちらかといえば内向的で地味な派閥に属する学生だと自負するところだが、逆に、あの制服を着こなす勇気には恵まれてはいないであろう、という中途半端な男である。
 と、誰に説明するでもない、我が大学のアピールポイント(?)の文章を、頭の中でこねくり回していたのには訳がある。その理由は目の前に座っている俺の親友だった。
 彼は本当にどんよりとした鬱っぽい空気を発していた。もうその近くにいるだけで、気が滅入るような有り様なのだ。しかし、だからといって、見捨てる訳にもいくまい。彼の今の落ち込みよう、気分の低迷には、親友としては放っておけない訳がある。彼のあまり遠くはない間柄の人が死んだのだ。もうそれから一年が経とうとしている。そろそろ一回忌という訳だ。それでこの親友は、どうも死んでしまったその子のことを何遍も何遍も繰り返し思い返し、重い溜息を吐いているという訳なのだった。
 とはいえ、この有り様でもまだマシな方なのだ。親友の大切なその子が死んだ一年前といったらそりゃあひどかった。もうほとんど、その子と一緒に親友も冥府に連れていかれそうな感じだった。いつ首をくくるか、高い場所から飛び降りるか、というそんな体だったのだ。
 親友の亡くなった大切な人というのは、親戚の子供である。間柄としては従兄妹に当たるらしい。詳しくは聞いていないのだが、年齢は小学校高学年だったらしいから、少しばかり歳の離れた妹のようなものなのか、と尋ねたことがあった。彼が言うには、妹では身近過ぎて、日々過ごす中で鬱陶しかったりだとか、「女ってこんなものか」というような、ある種の幻滅を重ねていってしまうが、従兄妹は違うと言うのである。
 基本的に年末年始や長期休暇、あるいは冠婚葬祭の時しか会わない彼女は、親友によくなついていて、本当に彼にとっては可愛らしかったそうだ。大学に入ってからは、新年にはお年玉をあげたりもしていたという。あまり会えないからこその美化がかかるのか、あるいは死んだことによって更に親友の中で聖なるもののように扱われるまでになったのか、それはわからないが、とにかくその従兄妹の可愛さと言ったら、妹などという存在の比ではないのだ、と彼は言った。妹もいないくせによく言うものだと思うが、俺はそういった親戚の付き合いも皆無な独りっ子であるので、そうした間柄は少し羨ましく思ったりもする。
 それでも、親友の従兄妹は亡くなってしまったのだ。そして、それが親友の心に大きな穴を開けたことは間違いがなかった。
「おい、お前そんな調子で、一回忌ちゃんと行けるのか?」
「這ってでも行くさ、死んででも行く。だって大切なあの子の一回忌だぜ? 参加しない訳に行くものかよ……」
「でもさあ……何か、参加する前から落ち過ぎなんだよ、お前。自分が何をしている最中だったか、わかっているか? 昼飯を食っているところだったんだよ、お前は。もうずうっとぼうっとしてさ、箸がさっきから少しも進んでないじゃないか。すっかり飯が乾いている」
「昼食など、余ったら捨てればいいのだ……従兄妹の方がどれだけ大事か」
「何でそんな比較が成り立つのかも俺にはわからないけれどな。とにかくもうちょっとしっかりしろよ。お前を俺は心配になっちまうよ」