B'z『愛のバクダン』(2005)考察 | モア・オブ・ザット・ジャズ

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B'zの38枚目のシングル『愛のバクダン』(2005)について考察していこうと思う。
松本のアコースティックギターからはじまるこの曲は、キャッチャーなメロディが特徴で、B'zの楽曲の中でもっとも一般受けする曲のひとつである。


解釈

この曲で歌われている「愛のバクダン」とは何であるのか、一見曲を聴くだけでは、なんとなくぼんやりとしたイメージしか浮かんでこない。このバクダンの機能を考察していく。

爆弾とは、
1. 爆薬を充填し、投下または投擲して爆発させ、人や施設を殺傷、破壊するための兵器。
2. 突然に周囲を大きく混乱させるもの、また重大な危険のたとえ。
3. おでんの種にする、ゆで卵を芯にしたさつま揚げ。
と大辞泉には載っている。

この「愛のバクダン」を使用する対象はなんであろうか。何を破壊したいのだろうか。歌詞の中では、愛のバクダンをおっことす場所は、「眠れない町のど真ん中」「すれ違う人たちのポケット」「飛び交う言葉のはじっこ」となっている。非常に抽象的であり、対象がはっきりとしない。
曲の中で戦うべき相手とされているものがある。それは"Jealousy"「嫉妬」である。つまり愛のバクダンで壊したいものは街の中や人々の間に溢れている嫉妬という感情であると考えられる。嫉妬を破壊する兵器が愛のバクダンなのである。

ではなぜ嫉妬をなくさなければならないのか、それは「世界が不完全」であるからである。「君が泣かなくても 誰か泣く」これが世界が不完全な理由である。共通の尺度で何かを図り、相手との優劣をつけたときその間に発生するのが嫉妬である。嫉妬は相対関係があってこそ生まれるもので、つまり他者が自分にはないものを持っているときにしか発生しない。
「君が泣かなくても誰か泣く」この歌詞の裏には「パイを奪い合う」という構図がみられる。幸福とは相対的に発生するのもであり、誰かを蹴落とすことでしか手に入れることができないもの。蹴落とされたものは極端な言い方をすると不幸になり、嫉妬心を持つ。この嫉妬を産む一つしかない幸福を取り合う構造こそが「悲しみのからくり」なのである。誰かが幸せを手にすると、嫉妬が生まれ、また悲しくなるものが存在し、win-winの関係は構築できない。嫉妬という感情を取り除くことが、幸せな世界へとつながる。

歌詞の中に「ヒトの心がなんでも決めている」とある。嫉妬を生むのも結局のところは自分の心なのである。逆に考えると、心さえうまくコントロールできれば嫉妬などの感情も発生しないと考えることができる。なぜ街は眠らないのか、それは「あいつ」のことが気になるからである。あいつとは幸福を奪い合う競争相手のことであり、い つどのような形で相手が優位な状態に立つかわからないので眠ることができないのだと考えられる。この先を越される恐怖というものも心が生み出すものである。
相手が自分にはない評価などを得ていることがきっかけとなり、心で嫉妬が生まれる。その嫉妬により幸せでなくなり、世界は不完全となる。

ではこの嫉妬を破壊する「愛の バクダン」とは具体的にどんなものであるのか。最終的に嫉妬を生み出すのは自分自身の心であることは上で述べた。愛のバクダンは心に働きかけるものでなければならない。愛のバクダンとは"Smile"「微笑み」と"Voice"「声」である
ふとした微笑みというものは、見るものを思わずリラックスさせる効果がある。また辛いとき、無理矢理にでも口角をあげ笑ってみることで気分が落ち着くこともある。微笑みというものは理屈ではなく、心を穏やかにする力を持っていると考えられる。
そ して「声」というものにも心に働きかける力がある。元々生物は文字などを持たず、「音」で意思を伝えてきた。言葉ができるよりも先に声は存在していた。言葉の存在しないとき、声にパワーがなくてどうして意思を伝えられただろうか。声にはパワーがある。

愛のバクダンとは"Smile"と"Voice"の二つのことであり、世界を不完全にしている相対的に発生する"Jealousy"という感情を消すため、または作らないための武器である。


加筆修正していきます。
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