酒井聡の一億総経営者 -5ページ目

僕が起業した理由


室内シューズが右に左に鋭い音を鳴らす体育の授業。
ゴールリング下の混戦でボールが弾かれ、一番近くにいた僕が手を伸ばしたものの届かず、ボールがコートを割ったとき、バスケ部の友人が声をとばした。
「身体が追いついていないのに手を伸ばしても届くはずがない。手を伸ばす前に走って近づくことだけを考えろ!」
とてもシンプルで、でもロジカルで、反論の余地もない。そのアドバイスは美しいと思った。
10年経った今でもときどき思い出しては噛み締めている。


3月11日に東北を中心とした震災が日本に計り知れないインパクトを与えたとき、
僕には被災の傷跡をテレビで見てうなだれる以上のことができなかった。
スーパーに行っても十分な食料が買えない。家にいても電気は節約しないといけない。余震が続き公共広告機構のCMが繰り返される。程度の違いはあるけれど、僕は何千万人といる被災者の一人だった。
そして明日から会社に行かなければならなかった。

ニュースや新聞は決して暗い話題ばかりでもなかった。
海外からの支援、略奪行為に走らない被災者、企業や著名人の投じる信じられない額の寄付金、メディアの情報公開に関する英断。
そんなトピックスが、遭難者が遠くに見た懐中電灯の光のように紙面に希望をちらつかせていた。

翌月、孫正義が個人資産で自然エネルギー事業に乗り出すことを発表した。
これを政治的なポーズと取る向きもあったが、不自由を甘受して通勤する日々を送るだけの僕は単純にすごいと思った。
いつ何が起こるか分からない。
それは大災害かもしれないし、技術革新による千載一遇のチャンスかもしれない。
いずれにしても、ことが起こってから手を伸ばしても届く気がしない。
身体が追いついていないのに手を伸ばしても届くはずがない。
高校の頃に友人から学んで、それまで何度も痛感していることだ。
手を伸ばす前に走って近づく必要がある。

震災に関する一連の出来事と僕が起業したことは無関係ではない。



最近人に会うと、「いつから起業しようと思っていたのか」「どうして起業しようと思ったのか」ということを聞かれます。
株式会社ニューロープは「個人のエンパワーを通して世界を変える」という企業理念を持っていて、僕がそんなサービスを生みたいとずっと思っていたのは紛うことない事実ですが、これは起業の理由にはなりません。
社会的意義のある事業をしているキャッシュの潤沢な企業で働くことでも達成できるためです。

"起業"だけにフォーカスすると、出光佐三や孫正義、小倉晶男さんらに憧れているから、というのがもっとも正確なところです。
僕は家も車も欲しいとは思わないし、ブランドもので身を固めたいとも思いません。
自分自身が潤うことにはそこまで関心がない。
ただ、ことが起こったときに人を助けたり、技術革新に乗じて世界を良くすることができるようなチームが欲しいと強く思います。


どうして起業したか分からなくなったとき、何を基準に判断したら良いか分からなくなったときのために、原体験を振り返りました。
目指すところを明確にして、急ぎすぎて手を伸ばすことなく、着実に近づいていければと思います。

さかなクンの美談と期待値

さかなクンは子供のころから魚に夢中で、
学業に支障を来していても、親はそれを許容していたという内容のドキュメントを以前テレビで見ました。
結果として希有な才能が花開いたとのことで、子供を信じた親の美談として語られていました。

日本の風潮としてオンリーワンが大事だとか、もっと子供を自由にさせて型にはまらない才能を育むことが大事だとかいうようなことが言われます。
このような論調は非常に耳障りが良いですが、これは果たして全体最適を生むのでしょうか。


僕は自分の子供がさかなクンのようだったらということを考えると、
さかなクンの親とは違う行動を取っていただろうと思います。
すなわち普通の学業にも時間を割き、良い大学に入るように誘導していただろうということです。


子供に何か特別な才能が見受けられたとき、それだけに打ち込ませるリスクとしてどのようなものが考えられるでしょうか。
「将棋の子」という将棋のノンフィクションがあるのですが、これを読むと身につまされます。
「奨励会」というプロ予備軍の組織に日本中の天才棋士たちが集められます。
そこで良い成績を残せた棋士だけがプロ棋士になることができます。
この奨励会には次のような規定があります。

・満23歳(※2003年度奨励会試験合格者より満21歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる。

地元では「将棋の神童だ」と騒がれ、大人相手でもアマチュア戦では無敗で、周りの誰もが期待を寄せる棋士の卵が高校にも行かずに奨励会に所属します。
奨励会に入ると周りは同じ「将棋の神童」ばかりなので、勝ったり負けたりします。
気づくと23歳が迫っていてまだ1級。
ここで昇段できないと退会となり、プロへの道は完全に閉ざされます。
高校にも行かず、学問は収めず、仕事をした経験もなく、年齢は23歳。


奨励会に打ち込む棋士たちの姿は美しく、尊く、素晴らしいものだと僕は思います。
でも自分の子供が棋士を目指そうとしたら、手放しで送り出すことはできません。
23歳、ゼロからのスタートというのはあまりにもリスクが大き過ぎます。


子供の才能を信じて自由にさせることにはこのようなリスクが伴います。

魚にめちゃめちゃ詳しい。でもそれでプロになれるかは分からない。
もっと魚に詳しい人がいてその人はテレビに出まくって客員教授になったり大企業の商品開発チームに入ったりしているけれど、日本で5番目の自分がそこでお金を生む目処は立たない。

そんな、さかなクンの後塵を拝して何者にもなれなかった人間がどれだけいるのか知れません。
「魚」市場には幸いなことにニーズがありましたが、例えば「ハイパーヨーヨー」市場に継続的なニーズはありませんでした。
ハイパーヨーヨーで世界一になっていても今は一発芸くらいにしか使えないわけです。
何かを極めることはすごいことですが、そこに十分な市場がないとご飯は食べていけません。
アートやスポーツのような、特化した(汎用性の低い)技能は特に危険です。
レスリングがオリンピック競技からはずれたら一気にスポンサーが引いて突然ご飯が食べられなくなります。


僕はリスク選好的な人間ではないので、期待値を最大にするような教育観を持っています。
分野で言うとIT、環境、観光、金融、外国語。
職業で言うとハイレベルなエンジニア、経営者、投資家、マーケター。
市場性があり、新興国とカニバりにくい仕事に就けるような教育が広まれば良いと思っています。
100人いたときに、1人が潤って99人が何者にもなれないような教育より、90人が良い働き手として活躍して残りの10人もそこそこの仕事をして生活が担保されるような、期待値を最大化する方針に賛成します。
希有な才能を摘むかもしれない。けれど、多くの犠牲者には代えられない。

どちらが正解かということは言えません。
ただ少なくとも、夢を見ることやオンリーワンであることを推奨するからには、
結果に対して相応の責任が伴うのだということを誰しもが認識しておく必要があると思います。

何が本当か分からない

「ウェブ上の情報は玉石混合だから、見る側にリテラシーが求められる」ということがよく言われます。
こういう言い方をすると、ニュースや書籍は信じても良いというようなニュアンスになってしまいます。

僕は割と本を読みます。
気になったテーマの本を10冊くらいまとめて買って読むようなことを繰り返しています。
例えば健康な食生活について学びたいなと思って食に関する本を10冊読みます。
そういうアプローチをしていると逆に本当のことが分からなくなったりします。

ある栄養士は日本土着の食べ物を食べるのが良いと言います。エスキモーがアザラシばかり食べていても栄養バランスが取れるように、日本人は日本人に合った米や魚を食べているのが望ましいということを書いています。
ある医者はそうではなくて、何かをまるまる一匹食べるのが良いということを言います。魚を頭からしっぽまで丸っと食べると、そこに身体に必要な要素がちょうど良い配分で含まれているから必要十分なのだそうです。
炭水化物は取らない方が良いという人もいれば、バナナを食べていれば良いという人もいます。
僕は栄養士でも医者でも生物学者でもないので何が本当か分かりません。


この現象は色んな分野で発生します。
温暖化は温室効果ガスが原因だと言う人がいるかと思ったら、そもそも温暖化は進行していないし今よりも何十℃も気温が低かった氷河期の方が二酸化炭素は溢れていたと主張する人もいます。
僕は地学にも気象学にも精通していないので、これらの議論がどのように細分化できるものなのかも良く分かりません。


こういった議論はウェブに関しても当然あります。
ある人は、ウェブは構図としてテレビやマンガの代替物になっているので、ウェブ上にいる人間のほとんどが(言葉が悪くて申し訳ないですが)馬鹿と暇人だと主張しています。だから「ウェブでは国境を越えて思想が近い人間同士がつながることができる」とか「ウェブで個人が企業と対等に闘える」とか観念的なことを言っていても仕方がなくて、実際には芸能人ブログとかゲームとかワイドショー的なメディアに人が集まっているとのことです。
またある人は、ウェブの広告枠の価格が下がり続けているのは、メディア側が誰にでも理解できるようなワイドショー的なPVの稼げる記事ばかりを取り上げていているからであって、昔の雑誌のように30%くらいは読者が理解できないような高尚な記事を取り込むことによって、メディアとして読者からのリスペクトを得ることができ、ブランドが成立するのだということを言っています。

何が本当か分からないことだらけです。
mixiの笠原さんは一時期mixiの成功体験をコンテンツにあちこちで講演をしていて多くの人が拝聴したと思いますが、残念ながらそのロジックに再現性がないことは明らかになっています。
そもそも「本当」とか「真実」のような揺るがないものはほとんど存在しません。

それでも「確からしいこと」をたくさん知り、それらが決して「確かなこと」ではないことを知ることが大事だと思います。

・確からしいことを実践する。
・ダメだったらすぐに次を試す。

これをスピーディに繰り返す。
このときに気をつけないといけないのは、とにかくスピード感を優先しすぎて「確からしいこと」の質を落とさないことだと思います。
「確からしいこと」の質が低いと時間とコストばかりが膨れ上がります。
知り、自分の頭で考え、「確からしいこと」をブラッシュアップする。

僕は起業しましたが、決してリスク選好的な人間ではありません。
人生は一度しかないので、一か八かみたいなことはしたくないと考えています。
「確からしいこと」を求めて今日も本を読み、よく分からなくなりながら、考えます。