わたしは、自分の性別わりとシリアスに、なやみこみ、そういうのも、あってオフコースくらいまったり考えていたら、わりと無頓着にスクールカースト下な時期を、事実としての攻撃された量よりは快適に、生きていた。

正直、なにか遣り甲斐を、みつける切迫した空気感や、もともとそんなに強くないことの危機感は、人一倍、自覚というものをしていたし、焦りはあったものの学力は完全に追いついた。

合理的配慮のようなものを受けたし、やはり自分から見ても、不当な仮病というより、本当によわかった、それを認める。

もちろん、努力を省エネしようとか、そういう考えは、ない。

チョコをわたしあう日も、わたしは、少しこわかった。

愛されていない証明も、そういう日に、受けとるから、という部分かもしれない。

そのころは、異質なものに恋する感覚を、ちょっと知らなかったかな。

共感のわく範囲を考えていた。

友情の延長みたいな単純にそういうこと。

異性の友達も多かった。

もっとも、社会を本当に、誠実な変化をすこし起こしたい時、同性ならわかるよねというラインを、完全に外してはならないとおもう。

それこそ、校長と同性なら、話し合えるという、部分も、なくはない。

それゆえ、なやみ、近くて、差別をしなくて、凄くちかいと、同胞みたいになり、気のよわい博愛も、あったという事か私は恋愛対象を非常にあいまいに考えていた。

わたしの絶望しかけた学業は、おもいのほか悩みぬいた結果、独学は、捗り、トラウマにある様な酷い先生よりは、人間性も見えてきた。

素直にいうと、それを含めて授業に集中出来るように、なった。

人としてつめたいと、潔癖になる年齢なりのものを、持っていた。おそらくは。

そして、色んな性別にして、恋愛願望を持っている親しめのひとを、眺めて、随分、考えた。

条件反射的に、同調圧力に対して、少数派をよく知ろうという、性向というか、興味関心の持ちようをしていた。

と思って。

ふかめてみようかなと。