私は何も悪いことはしていない夫を捨てました。
では、なぜ顔を見るのも嫌なほど嫌いになったのか…
振り返ってみたいと思います。

単に私の我儘なのか?
読まれた方はどう思うでしょう?

元夫はドライブや旅行が好きである。
毎週のように週末にはどこかへ出かけたがる。
それはいい。私も好きだから。

しかし、最初から最後まで楽しかったお出かけは記憶にない。
必ずどこかで元夫にイラッとしたりウンザリする場面があるのだ。

とりあえず車で隣に乗っていると、口臭がきつすぎて喋ってほしくない。ゲロー

必ず外食をしたがるけど、ファミレスは嫌だあれは嫌だと文句ばかり言ってなかなか食事にありつけない。
大人2人なら我慢もするけど、子供たちが「お腹空いた」の大合唱。
そのうち大泣き。怒鳴る元夫。
更に号泣の地獄絵図絶望

子供「マック食べたい!」ハンバーガー
元夫「ダメ。こんなとこまで来てマックなんて食べたくない。マックなんていつでも食べれるやろ!」
子供の希望ガン無視で自分の希望を押し通す。
地獄絵図再び…チーン

私はものすごい方向音痴である。
ナビを見ながらでも間違えるし、毎日の通勤路でさえたまに間違えるガーン
当時はナビもなかったので、私に道がわかるわけもない。
私が運転していると、元夫は無言で曲がる方向を指さす。
無言で指さす態度も気に入らないけど、曲がるところを間違えたりすればすぐヒステリックに怒鳴りだす。
急に無言で指さされても、車は急に曲がれない。

そして元夫の運転は荒っぽいので、助手席に乗っていると高確率で酔うオエー

道を歩けばいつも屁をこきながら歩くので、もう恥ずかしくて一緒に歩きたくない…むかつき

しかしそんな不満は些細なこと。
生涯で2回、私はドライブで地獄を見たネガティブ



息子も3歳になり、そろそろ保育園か幼稚園に入れて社会性を身につける時期。娘は少し早くなって可哀想な気もしたけど、このタイミングで私は再就職した。
結婚前に老人ホームで働いていた頃から腰は酷使していたし、ビッグベイビーを2人出産して骨盤の歪みも災いしたのか、腰椎椎間板ヘルニアを発症ドクロ
それでも根性で仕事を続けるうちに、まともに座ることも歩くこともできないところまで悪化していった。
腰自体の痛みはたいしたことはなかったけど、ズレた椎間板が深く神経に食い込んで足の付根に激痛と痺れが走る。
いよいよ手術しかないとなって仕事を休業。
そこで元夫からの嫌な予感しかしない提案が…

「入院したらしばらくお出かけもできないから、遠出したい」

助手席フルリクライニングにして、なるべく歩き回らないようにすればなんとかなるか…
そして行った先は中山道の古き宿場町、岐阜県は馬籠宿。力強き万緑の山々は美しく、絶好のドライブ日和。

元夫「せっかくここまで来たんだから少し歩こう。ゆっくりでいいから」
私「え?」

元夫は私の返事も待たずにさっさと車を降りる。
私も子供たちに急かされて車を降りる。
多少なら歩ける。多少なら…
ところが馬籠宿というのはさほど広くはないながら、ほとんど階段と坂ばかり。
30分も歩く頃には激痛で、5歩あるいては壁や手摺に手をついて休まなければ進めない。
元夫は少し先を行っては待っているけど、追いつくより先にまた歩き出すのでゆっくり休む暇もない。

こうして陣痛並みにキツい散策となった…
そして無理が祟ったのか、腹ばいの他の姿勢では横になることすらできない状態になって緊急入院病院

2度目はいよいよヘルニアの手術の数日前。
オペ後はしばらく外出もできなくなるから、ということで自宅へ外泊したとき。
元夫「しばらくどこへも行けないから、ドライブしよう。歩かなくていいから、能登にでも行って美味しいもの食べて」
またかむかっ
子守にかこつけて義両親も誘っているので、嫌な顔もできず…

今度はお散歩はなかったさ。
ただ、昼食に選んだ店はお座敷。座れるかむかっ
病院でも座って食事すらできなくて、側臥位でご飯だっていうのに…
私「座ってられないからご飯食べてきて…」

元夫ファミリーがのんびり海鮮丼を楽しんでいる間、私はじっと座っていることも立っていることもできず、モゾモゾソワソワ不審者やってましたとさ…
暑くて車の中で待つって選択肢もなかったし…

こうして地獄をみながら乗り越えた椎間板ヘルニア。
切ってみれば軟骨の8〜9割がたが飛び出して神経を圧迫してたので、ほとんど軟骨全部を切除しなければならない羽目に。
おかげで私の腰椎には椎間板がないところができてしまった。
ヘルニアは治ったものの、いまだに背伸びしたり何かの拍子に神経に障るようで足の付根に激痛が走るという後遺症が残ってしまった真顔



あの頃は我慢強かったな…
今なら「少しは気を遣え!」ってブチ切れてるなムキー