子供を失くした母親と母親を失くした子供の話 | 矢田山文庫

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写真とアート、歴史と物語、奈良と大阪、そして大和郡山、そんな風景を歩いて綴ったブログです



 

「何か寂しそうですね」
 車椅子で、自分の部屋に帰る鈴木さんの後ろ姿を見ていた看護師の福徳さんが、小豆さんに言った。

「秋だからね」
 小豆さんは駅前老人ホームの大きな窓の外に広がる空を見ながら、食後のお茶を飲んでいた。
「でも、あの人は子供さんを失くしたって言ってたわ。女の子。来年は小学校だったって」
 
 福徳さんは笑い出した。
 鈴木さんにそんな小さな子供があったら、超高齢出産の世界記録になってしまう。
「そうだわね、じゃあ子供を失くしたっていうのは貴方だった? 確か貴方の子
供も、来年は小学校だって言ってなかった?」
「ええ、私の子供も来年は小学校ですけど、元気に今日も保育園に行きましたよ」
「居なくなったのは貴方の旦那だった? ほら、向かいの奥さんと駆け落ちして」
「いいえ、向かいの奥さんと私は友達ですから、大丈夫ですよ」
「その友達が危ないのよ。ほら、昨日もテレビでやっていたわ」
 
 福徳さんは、手に持っていた入居者の健康診断カードの小豆さんの欄に、「腹が立つほど元気」と書いてやった。
 それから少し小豆さんを睨んで
「小豆さんはどうしても私を不幸にしたいんですね。でも私は幸運の名前を持っ
てるんです。だから小豆さんが期待するようなことは、私には起こらないんです」
 
 その時、二人の居るホールに続く廊下の陰から一人の老婆が静かに現れ、福徳
さんの前に佇むと、声をかけた。
「娘さん、あなたは何と言うお名前?」
 福徳さんは驚いた。
 娘さんと言われたからではない。
 その媼(おうな)のな老婆がこのホームでは見かけない顔だったからである。 
 福徳さんは老婆の澄んだ目に吸い寄せられるように立ち上がると、
「はい、私は……千子です。福徳千子です」
 と、言った。

「そう、千子さん、いいお名前ね。あなたはきっと長生きしますよ」
 老婆が立ち去った廊下の陰を福徳さんはボンヤリと見ていた。
 福徳さんの名前は「千子」ではなかった。
 小豆さんが福徳さんの心の中を探るように
「それはあなたの大切な人の名前でしょう」と、言った。
 それから「こんな歌を知ってる」と言いながら、晴れやかな声で一つの万葉歌を朗誦した。
『足柄の み坂畏み 曇り夜の 我が下ばへを こちでつるかも』
 昔、古典の先生をしていた小豆さんは、今も町の万葉研究会で活動している。
「どういう意味なんですか?」
「これは東歌なの。足柄山って知ってるでしょう」
「知ってます。富士山の近くの山でしょう」
「そう、『み坂』というのは峠のことで、高い山の境の峠には恐ろしい神さまが居られるから、秘めていた思いを声に出して言ってしまった、という意味なの」

「何を言ってしまったんでしょう」
「名前――、それも大事な人の名前、ほら、今貴方が思わず言ってしまったよう
に。昔の人はね、名前にはその人の魂が宿ると考えていた。だからその人の名前
を口に出して言うことは、その人を大切に思っていますということね」
 大切なもの、大切な人の名前、確かにその名前は福徳さんにはとても大切な名
前に違いない。
 彼女は突然お婆さんに名前を聞かれて、思わずその名前を言ってしまった。
 その名前は、例えば今日のように澄んだ青空を眺めて居る時に突然頭の中に浮んできたりした。
 福徳さんはお婆さんの澄んだ目に青空をみたのかもしれないと思った。
 するとあの人は神様なのだろうか。

「そうよ、ここに居る人たちはみんな長いこと生きてきたんだもの、なかには神
様が居たって不思議ではないでしょう」
 鈴木さんが自分の子供を捜し始めた。
 彼女はまるで街角に佇んでいる一人の母親のように、ホームの廊下やホールに佇んで、
「私の子供を知りませんか」と老人達に尋ねた。
 すると心優しい老人たちは、
「貴方の子供は町外れの公園で一人で遊んでいましたよ」
 とか、
「夕方になったら、きっとあなたの子供は帰ってきますよ」
 とか言ったりした。
 駅前老人ホームの住人たちは、それぞれの人生に段差があっても、適当に埋め
て暖めていく智恵を、長い人生の中で育てていたのである。

 それは十月の最後のハローウィンの日の出来事だった。
 この日一階のホールに老人達が集まり、思い思いの衣装で仮装したホームの職
員や、ヘルパーの歌やかくし芸を見物した。
 一番の人気はかぐや姫の衣装で踊りを披露した中村ちゃんだったが、魔法使いの衣装で歌を歌った福徳さんも盛んな拍手を浴びた。
 その拍手が終わらないうちに鈴木さんが車椅子で舞台に現れた時は、観客はてっきり予定された即興劇の始まりだと思っていた。
  確かにそこで交わされた鈴木さんと福徳さんの会話は、まるで説話劇のようだった。
  
「魔法使いのお婆さん、私の子供を知りませんか?」
 と、鈴木さんが言った。
「あなたの子供さんが居なくなったのは、いつの事なんですか?」
「ずっと昔の秋の日のことです。私たちは海の見える丘の上に住んでいました。
或る日子供はうさぎ貝を捜しに海に出掛けて、そのまま帰ってこないのです」

「私は長い時間子供を捜していました。そして何年も経った時もう疲れて、諦め
てしまって、それからは何事もなかったように生きてきました。でも、本当は子
供を連れた母親を見ると妬ましくなりました。お前の子供も居なくなればいいの
にと思って、生きてきました」

 その言葉を聞いた福徳さんは、少し青い顔をして俯いていたが、決心したよう
に顔を上げて言った。
「あなたの子供さんを知っている人が、このホームの中に居ると思いますよ」
「それはどなたでしょう?」
「それは、母親を失くした子供です。その子は小さい時に海で母親を失くしたの
です。その子は母親に手を繋がれた子供を見ると妬ましく思って生きてきたので
す。お前の母親も居なくなればいいと思って、生きてきたのです」
「……それは貴方ですか。私の子供を知っているというのは、貴方ですか?」
 福徳さんはそれには答えず、震える声で鈴木さんに聞いた。
「あなたの子供の名前は何というのですか?」
「千子です。私の子供の名前は千子です。鶴は千年の千子です」

 次の日曜日、福徳さんは和歌山の海南に来ていた。
 そこは奈良から二時間ほどで行ける海辺の町だった。
 鈴木さんが奈良の息子さんの家に来る前は、この町一人で住んでいたことを、いつもホームへ鈴木さんに会いに来る息子さんに教えて貰ったのである。

 鈴木さんが住んでいた家は、駅から二十分ほどの藤白神社の傍にあった。
 彼女の家は改築されて表札も新しくなっていたが、名前はやっぱり「鈴木」だった。
 鈴木さんが遠い昔にこの町で本当に自分の子供を失くしたことを、年老いた藤
白神社の宮司は覚えていた。
 それは六十年ほども前のことで、海南の海にはまだ白い煙を出し続ける工場も、青空に赤い車で回り続ける観覧車もなかった。
 その女の子は、神社の境内に今もある大きな楠の周りでよく遊んでいたそうである。

 その子が五歳の時、海岸に大好きな貝を捜しに行ってそれきり戻らなかった。
 村人達が何日も捜したが子供はついに見つからなかった。
 母親は、渡りの鶴が干潟の魚を求めて来る頃になっても、まだ諦められず冬の海を見つめていた。
 福徳さんは、この地で非業の最後を遂げた古代の皇子の廟所に参った後、熊野
古道に向かった。
 藤白峠の地蔵峰寺を目指すこの道は藤白坂と呼ばれ、昔この道を歩いた都の貴族が「攀じ昇る」と表現した急坂である。
 福徳さんは坂の途中で出会う「丁石地蔵」に祈りながら、もう一人の「千子」
のことを考えていた。
 それは福徳さんの母親だった。福徳さんは紀州半島の先端の那智勝浦で育った。
 彼女は福徳さんが五歳の時、海にあわびを取りに行って戻らなかったのである。

 やがて福徳さんは峠に登り付き、御所の芝と呼ばれる場所に着いた。
 ここからは入り江を挟んで、古代の人が遊んだという万葉の故地が望めた。
 今は埋め立てられた干潟の海には、冬になると沢山の鶴が北の国から訪れたに違いない。
 海を渡る風に吹かれながら、福徳さんは大切な人の名前を口にしていた。
「千子です。私の名前は千子です。鶴は千年の千子です」 
 ――と。 
 
 (了)