昨日の「大納言祭」。
箕山の大納言塚では人々が集まって、秀長さんの434回目の法要が。
秀長さんが亡くなるのは天正19年1月22日。新暦でいうと2月25日で、
桜はまだだが梅は満開のころだったでしょう。
この大納言塚の場所は、秀長さんの遺体が荼毘に付された所、
お城からの葬列には20万人の人々が涙で見送ったと、大徳寺の古渓和尚が書き残しています。
葬儀の導師を務めた古渓和尚。
20万人という俄かに信じられない数字は、和尚の秀長さんへの偲いだったんでしょうか。
秀長さんの菩提寺は新中町の春岳院です。
だからこの日も住職の藪中さんが来ておられて、テレビのインタビューでは再来年の大河のことも。もちろんテレビはNHKです。
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