菅原町の乾物問屋町 | 大和川通信

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和田君という友達が居た。
小学校の5、6年。和田君の家は菅原町の古い乾物問屋、何度か行ったように思う。
広い玄関口から続く通り庭にはいつも荷物が置かれていて、いつも大勢の人が出入りしていた。
和田君にはお姉さんが居た。ある時その一人がお姉さんを「いとはん」と呼んでいた。

和田君は小柄で、女の子にも相撲で負けるような子だった。
ある時、小学校の友達が自転車で集まって千里までサイクリングしようということになった。
担任の三上先生も一緒だった。
金持ちの産婦人科の医者の子は凄いサイクリング車に乗ってきた。
僕は4年生の時に貰った大人用の普通の自転車だった。
ところが和田君は低学年の子が載るような子供用の自転車で、みんなに遅れまいと必死になって天満から淀川を超えて千里まで走ったように思う。

菅原町は樋上町の市電の向こうの町だった。
両側に問屋が並ぶ道があって、真ん中に橋があった。それが天満堀川の河口にかかる橋があった。
大阪万博のころに堀川は埋められたが、先日そのあたりに行ってみると、高速道路の下に「太平橋」のモニュメントが建っていた。

(写真は毎日新聞社のレトロ大阪から)