小泉の町の丘の上には、2つの貴重な歴史遺産があります。 一つは小泉大塚古墳、写真では円墳のようだが元は全長90mの前方後円墳。 発掘調査で卑弥呼の墓といわれる纏向の箸墓古墳に近い時代の古墳ということが報告されています。 もう一つは古墳の西側に残っている古い建物。これは昭和37年に建設された県営住宅。 実は小泉大塚古墳の前方部が削平されたのはこの時で、県住の建物は前方部の上にある。小泉大塚が古墳時代前期の貴重なものだと分かったのはその後のことです。 その残された県住の建物も半世紀以上の時が経ち、今は廃墟に。 小泉大塚の築かれた場所は小泉丘陵の一番先端の高いところ、郡山から斑鳩に抜ける県道からもよく見える。遠い昔にこの地方を治めた最初の王の墓でしょう。 写真は総て最近撮ったもの、古墳と建物の間にはロープが張られ、説明板も読めない状態になっていました。 ここは小泉のシンボルゾーン、千七百年前の遺跡と半世紀前の遺産が隣り合って残されている不思議な、そして大切な場所なのです。
(石室の写真は平成8年の橿考研の発掘調査の航空写真、以下は現場の説明板の文) 県指定史跡 小泉大塚古墳 小泉大塚古墳は、古墳時代前期の前方後円墳である。 墳丘は、宅地造成により前方部が削られているが、本来の規模は全長約90m、後円部径約50m、前方部幅約40mで、後円部は二段築成される。 埋葬施設は、現在埋め戻されているが、後円部中央に構築された竪穴式石室で、奈良盆地の前期古墳によく見られる大阪府芝山(柏原市付近)産の玄武岩割石に加え、事例の少ない矢田丘陵産の片麻状花崗岩を用い小口積みしている。 本古墳は盗掘を受けているものの、昭和37年と平成8年の二次にわたる発掘調査の結果、石室内から鉄剣1点、鉄斧1点、刀子2点、鑿1点、鉋1点、銅鏡7面以上(内行花文鏡、画文帯神獣鏡など)、壺状土器片など多数の副葬品が出土し、現在橿原考古研究所付属博物館で展示保管されている。 なお、墳丘上からは埴輪の存在が確認出来なかった。 小泉大塚古墳は、奈良盆地西北部に所在する前期古墳の中でも数少ない竪穴式石室を主体部とする古墳であり、また銅鏡を大量埋葬する古墳の中では、三角縁神獣鏡を含まない点など、前期古墳研究の上で学術的意義の大きな古墳といえる。 平成19年3月 奈良県教育委員会
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片桐西小学校の前の県道を少し登ると、コンビニの後ろに丸い丘が見えます。
これが小泉大塚古墳で、平成八年の発掘調査で古い時代の鏡や鉄剣が発見され、堺の仁徳天皇陵より百年も前の、貴重な古墳だと分かりました。
小泉大塚は、元は全長90mの大きな前方後円墳でしたが、半世紀以上も前の昭和37年、西側の半分が壊されてその上に県営住宅が建てられ、円墳のような姿に変わってしまったのです。
小泉には他にも貴重な古墳が残されています。古墳はこの町に一番最初に暮らした人々の記憶、大切に伝えていきたいものです。
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