大島優子 共喰いを読んで | (・_・)-∀-`)

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■大島優子

共喰いを読んで

 まず私は、この本の題名について考えてみた。今まで見たことがない「共喰い」は「食」だと思っていた。

 元々の意味は、ある個体が同種の他の個体を食べることや共倒れすることも共食いと呼ばれている。この「喰」は、くらう、楽しみの為の食事ではなく、生存の為の食事を意味するので、登場人物の生きようとする生命力を表す為に使ったのではないかと私は考えた。

 この本を読み終えて、登場人物の心情や言動から「喰い」が「悔い」に変わった。なぜならば、何かしらの悔いを一人ずつから感じたからである。

 父親・円は、自らのインモラルな性を持ち、同じ血を引き継いだ息子の心の葛藤に気付かず、かつて愛した女性に復讐されるほど傷つけたことを悔いるだろう と思った。

 遠馬の産みの母・仁子は、自ら身の危険を感じて離れたことで、周りにいた人が危険にさらされた。その事を悔いていると思った。

 遠馬は、社に行かなかった事、父親と母親を見殺しにする事、そして自分の生活を滞っている川辺と同様に何も変えられなかった事など、全ての事に悔いていると思った。この三人の登場人物は、共悔いをして、共倒れした気がした。

 この本には多くの情景描写が登場する。川は淀んでいて、閉鎖的な空気感と主人公・遠馬の心の中を表している。川の様子が解りやすく、私の頭の中で絵が浮かび、あれよあれよとページをめくっていた。鳥居の存在は、唯一神聖な物として登場し、驚きの結末にはその意味を根強く印象づけている。決して明るい作 品ではないけれど、剥き出しになった人間臭さは嫌ではなく、むしろ独特の世界感にひきこまれていった。私は、後悔しないように足下の石を拾い、川を渡り、夢に向かって喰らいついていきたいと思った。