週間朝日・宮澤佐江
天国の祖母から届いた「奇跡」のはがき
祖母のがんが最初に見つかったのは、2年前でした。
幸いにもその時は祖母に合う薬が見つかったため短期間の入院で済み、ホッと胸を撫で下ろしました。
でも状況が変わったのは、今年の3月下旬。
私が横浜アリーナのコンサートを間近に控えていた時に、がんが再発し、再入院することになったのです。
でも、祖母が病気に負けるわけがない、そう信じていました。
私は中学の時に同級生からのいじめにあっていた時期があります。
仲間外れにされたり、見に覚えがないことで悪口を言われ、「宮澤佐江は最悪の性格だ」というメールを回されたりしました。
教室にも部活にも居場所がなくなった私は、学校を早退するようになりました。
そんな私の姿を見た祖母は、ある日、自分もいじめられた経験があることを話してくれたのです。
スカートをズタズタに切り裂かれたり、体操着をゴミ箱に捨てられたりしたんだよって……。
私なんかよりぜんぜんキツかった。
自分がいじめられた経験を話すのは、どんなに時がたっても楽ではありません。
祖母も同じだったと思います。
だけど、少しでも孫を元気づけてあげたい、そう思って告白してくれたのでしょう。
「泣かずに生きていけば、いつか必ず、佐江の良さをわかってくれる人ができるから。
うれし涙はいいけど、ツラくて泣いたら負けなんだよ」と……。
横浜アリーナのステージの上で、感動を噛みしめながら、祖母のあの言葉を信じて頑張ってきてよかったと私は心から思いました。
今度お見舞いに行ったら、こう言おう。
今の私には素敵な仲間がたくさんいるんだよって…。
数日後、母からメールがきました。
「おばあちゃま、いよいよだから覚悟しなさい」
病室に入った私の目に飛び込んできたのは、いつも溌剌としていた祖母ではなく、ガリガリに痩せこけてしまった姿でした。
「AKBがアルバムを出したんだよ!佐江がどこにいるかわかる?」
ほとんど意識もない祖母に言うと、アルバムをジーッと見つめ、私を指さしてくれました。
うれしさで涙が出そうになりましたが、今、泣くところじゃない。
そう思い、歯を食いしばって耐えました。
祖母が他界したのはその数日後。
最期は家族で看取ってあげることができました。
祖母は私がAKBに入ることに反対はしませんでしたが、私の活動を見て直接ほめてくれることもありませんでした。
「よかったね」「がんばったね」とほめてほしくなかったと言えば、嘘になります。
おばあちゃま、AKBにいる私のこと、本当はどう思ってたの?
葬儀が終わり、家族も落ち着いた頃、祖母の友人だったという方から、一枚の年賀はがきを手渡されました。
消印は数年前のもの。
そこには、祖母の字で「孫はAKB48のKチーム、宮澤佐江といいます。応援してください」と書いてあったんです。
当時はチームKではなくKチームと呼ばれていましたが、祖母はその頃から私の応援を知り合いに頼んでいてくれていた……。
しかもAKBの上にわざわざエーケービーと、振り仮名まで振ってくれて。
なのに私、ほめてくれないなんて思って、ごめんなさい……。
ついに泣いちゃったよ、おばあちゃま。
でも、うれしくて泣いたんだから、負けじゃないよね?
それと、ありがとう……。
ほめられるより、うれしかったよ!
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当時の優子ブログ
http://ameblo.jp/oshima-y/archive66-201004.html#main
「命」
実はこの一週間ぐらい?
私の周りで"命"に関わる出来事が多くて
すごく考えさせられました。
大切な友達の大切な人が亡くなってしまったこと。
私からしたら間接的なことだけど
その友達の見せる顔が
どれほどその大切な人を亡くしたことで
気持ちを強く持たなきゃいけない。
それでも苦しい。
と表情がぎこちなくなっていたりと揺れていたことか。
私には助けることは出来ないしどうしようもなくって
話を聞くしか支えられなかった。
言葉をかけるにしたって、安い言葉はいらないだろうし、その子の中ですべて理解して分かってる。
頭がいい子だから。
ずっと側にいた人が亡くなってしまうって
どんな想いなんでしょう
私はその経験がないから
きっと辛いんだろうな、って分かってもその辛さはリアルにはわからない。
大切な人を亡くした友達は、今笑顔で生活をしています
私はその笑顔がやるせなくもなるけど、大好き
そのコトとは別に、
新しい命が知り合いの間に産まれました
その報告が来た時は自分のことのように嬉しくて涙があふれました
愛らしくて、今すぐにでも抱きしめたい
一生懸命産まれてきて、泣いたんだねぇ
素直で、愛を持つ子に育ちますように
私も人生を謳歌しないと
一度ですもんね((癶3癶~
そしてみんなが楽しい毎日を過ごせるよう祈ってます☆゜+(〇′3`*)
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佐江ちゃんブログ
http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10560485291.html
「11日ゎ特別な日」
毎月11日ゎ、みやざわ家にとって特別な日です
今日でちょうど2ヶ月が経ちます
あの日からちょうど2ヶ月…。。。
実は、2ヶ月前の4月11日に、佐江の大っっ好きなおばあちゃまが亡くなったんです。
いつかみなさんに言おうとしてたんだけど…
なかなかタイミングが合わなくて
今日ゎおばあちゃまが亡くなって、ちょうど2ヶ月の日だったので話そうと決めました。
おばあちゃまゎ、3月に入ってから急に体調を悪くしてました
でも、3月を今振り返ると、佐江ゎあんまり家にいなかったんだよね。
『ポニーテールとシュシュ』のミュージックビデオ撮影の為にグアムへ行って、新公演のレッスンや初日があって、横浜アリーナでのコンサートがあって、週末ゎ『桜の栞』の全国握手会があって…。
すごく毎日が充実していて、その時ゎおばあちゃまの事なんて考えていなかったけど、お家でゎ家族みんながおばあちゃまの心配をしてました。
佐江が生まれた年から焼き鳥屋さんをやっていたおばあちゃま
去年でその焼き鳥屋さんを閉め、今年から毎日お家にいたんだよね
週5で焼き鳥屋さんをやっていて、朝から仕込みをして、夜ゎ遅いときゎ夜中の3時すぎに帰宅したりしてね、佐江ゎ土日以外ゎなかなかおばあちゃまに会えなかったんだぁ。
ママゎ仕込みを手伝って、夜ゎりょーくんやしぃーちゃんやパパがお店のお手伝いをして…
みんなでおばあちゃまの焼き鳥屋さんを支え合ってました
今年から、毎日おばあちゃまに会えるようになって、いろんな場所にお出かけしたいって思ってたんだけど、年明けから佐江ゎお仕事がたくさんあって、なかなかおばあちゃまと話すタイミングが合いませんでした。
でも、おばあちゃまゎ、そんな佐江の姿を昔から必ずテレビで見ててくれたんだよね
歌番組もドラマもAKBの冠番組もソロのお仕事も…ぜーんぶ
直接ゎあんまりお仕事のことについて話して来てくれなかったけど、テレビだけじゃなく、雑誌とかもちゃんと見てくれてました
4月10日のチームK公演の後、ママから
“おばあちゃまは今夜が山場かもしれない。”
というメールをもらいました。
公演後、その日ゎもう1つお仕事があって、それを終えてすぐ病院へ向かいました。
佐江が病院へ着いた時にゎ、家族みんなと親戚の方が集まってました。
元から小さかったおばあちゃまゎ、もっともっと小さくなってベットの上で頑張っていました。
日をまたいで、夜中の3時54分…。
家族みんなに見守られた中、おばあちゃまゎ天使になりました。
呆気なかった。
信じられなかった。
19年間も一緒に暮らしてたのに、おばあちゃまの笑った顔が思い出せなかった。
みんなが泣く中、佐江ゎ涙も出てこなかった。
おばあちゃまと家に帰って、もう一度おばあちゃまの姿を見た時…ものすごい量の涙が溢れてきました。(;_;)
意識があるうちに、ちゃんと話しておきたかった。。。
悔し涙が溢れてきました。
おばあちゃまゎみんなからの人気者だったので、焼き鳥屋のお客さんや、ママのお友達、りょーくんやしぃーちゃんのお友達、そしてうちのマンションに住む人たち……たくさんの方がおばあちゃまに会いに来ました。
お客様が来る度に、家族みんなが涙を流しました。
何日か経って、お葬式をした時…
家族や親戚の方以外にも、佐江の事務所の芝社長や社員の方から、そして秋元康さんや窪田社長や、AKB48、SDN48から、たくさんのお花が会場に届いてました。
お葬式ゎ、お坊さんもビックリするほどのお客様がおばあちゃまに会いに来てくれ、その列ゎまるでAKBの握手会みたいでした。
たくさんの人に愛され、最後までみんなのアイドルだったおばあちゃま
佐江ゎ、おばあちゃまの人生を本当に尊敬しました。
佐江が最後におばあちゃまと会話したのゎ4月9日だったかな
あんまり意識のないおばあちゃまに、
『今、渋谷すごいんだよAKBだらけなんだよ
佐江の顔がデカく駅に貼ってあってね、今そのポスターの前からわざと電車乗って来たのに、誰も気付いてくれなかったんだよー
』
ってAKBのアルバム“神曲たち”の話をして、帰り際にダメ元でアルバムの表紙を見せて『佐江どれかわかる』って聞いたら…
キョロキョロとゆっくり表紙を眺めて、人差し指で右上を指してくれました。。。(;_;)
この時ゎマジでヤバかった。
泣いちゃダメって、初めて体をつねったくらい。。。
だからね、神曲たちのアルバムゎ、佐江にとって大切な宝物なんです
おばあちゃまが亡くなってから2ヶ月が経った今でも、家族みんなゎおばあちゃまがいないということが考えられません。
それだけおばあちゃまゎ我が家にとって大きい存在でした。
おばあちゃまゎたくさんの出会いや奇跡を残してくれました。
佐江ゎこれからも、“おばあちゃま“という天使に見守られながら、自分の目標へ向かって高く高く突き進んで行きます
おばあちゃまのように、たくさんの方に愛される人間になれるように…。。。
みやざわ家の心の中にゎ、ずっとずっとおばあちゃまゎ生き続けてるからね
おばあちゃまからもらった、たくさんの愛情を日々感じながら、佐江ゎこれからも頑張り続けるのです....
おばあちゃまのためにも……
長々と読んでくださって、本当にありがとうございましたm(__)m
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後の友撮にて
祖母が亡くなった時、あえて直接言わず、自分のブログに違う
人の例として書いてなぐさめてくれた。ありがとね。