人物伝 水野利八 | 親と月夜はいつもよい

親と月夜はいつもよい

久し振りに帰ってきました。
不定期ですが好きなことを書いて行きます。

今日のニッポン放送「小林克也のミュージックマシーンGOGO」で聞いたお話です。

彼は岐阜県の出身。大阪に移って小さな雑貨屋を始めました。
近くに学校があり、訪れる教師が「ここはシャツやズボンはやっているかい?この辺は
そういうお店が少なくてね」彼は「やってみます」と言って大量のシャツやズボンを作ります。
「他でやっていないことをするのが楽しいんだ」
彼の作るシャツは好評で、「また頼むよ」と言われます。
そんな彼に病魔が訪れます。

肺結核にかかり、何とか命を取り留めた彼は「丈夫な体が欲しい」とアスリートを訪ねます。
彼らは心良く引き受けます。代わりに「ユニフォームを作ってくれないか」と頼まれます。
「やります!」
程なく日本にも野球のブームが訪れます。

彼の作ったユニフォームでプレーする選手を見て彼は思います。
「野球は良いなあ!心身の鍛練になる。これから日本でも広まるぞ」
グローブや玉はアメリカ製。
「日本にないなら、俺が作ってやる」
選手からまた頼むと言われながら、彼は考えます。「日本には学生の野球大会がないじゃないか!なら俺達がやってやろう」
彼は在阪の学校に声をかけ、大正2年「関西学生連合野球大会」が開催されました。後の甲子園大会の礎になった、誰もやらない事に挑む彼。

グローブに刻まれる「MIZUNO」の文字。彼はミズノの創設者でした。

明日はプレスリーの命日だそうです。
水野さんのチャレンジ精神は素晴らしいですね。
先人には学ぶ事が沢山あります照れ

今日の朝の風景。



誰にでも朝はやってくるものなんですねニコニコ

今休憩中。
明日はやっぱり出勤。。