なぜこだわりにはこだわらないの?

大昔に愛護協会からの論文の依頼を受けた😅

日本で最初に自閉症と認定された人の

当時入所施設(更生施設)で生活している様子を

「名大医学部」「愛知県コロニー」の次に

「◯◯荘」(私が当時所属していた法人)

での生活をまとめて発表せよと言う

業務命令を受けて一年かけて論文(?)に

まとめた😅ことがあって

論文なんざ書いたこと無いのに

どうすればいいのかわからない状態で

彼の行動を起床時から就床時まで

窓の外から1週間ほど観察しました😅


朝イチの彼のこだわりを受け入れずにいると

奇声、自傷、ジャンピング、他害、不眠という

フルコースになること

一旦受け入れて違う形で指示することで

フルコースは出てこないこと😅

彼の要望は大したことではなく

受け入れても他の利用者さんに

迷惑がかかる訳じゃない😅

職員の手間がかかるだけ😅

そこを省くともっと手間がかかるのだけど

訳の分からない規則で縛りつける結果


一日中不安定でフルコースの状態を

作りあげていることがわかった😅

論文にまとめる際には

石井の爺ちゃん先生からのアドバイスも

いただき、どうにかまとめあげることができ

その機会をいただいたことで

こだわりにはこだわらないと考えるようになる。

支援する中で

(支援って嫌いな単語😅普通に生活していくことのアプローチ?)

不安定な時の要因を探るのも必要だけど

安定している時の理由を探る方が

(分かりにくいけど分かり易い場合もある)

必要だと思うようになったのもこの頃😅

理由がわかったら外的要因なのかその他か?

外的要因の中の何がいけないのか

どう変えていけるのか検討できる

同時に不安定の要因も探るけどね。


やってしまう事には必ず理由がある😅

その理由は推測するしかない場合もある😅

やっぱり観察力が必要だと思うよ。