《ピース》は現在も販売されている唯一の国産両切りたばこです。誕生は ≪第二次世界大戦≫ 終戦後間もない昭和21年(1946年)1月10日でした。新生日本が平和であるようにと名付けられたそうです。最初のデザインは、濃紺地に連続する黄色の小さな唐草模様が3本描かれたデザインでした。

 

昭和27年4月1日よりデザインが変更されます。アメリカのデザイナー〚レイモンド・ローウィ〛氏のデザインで、鳩がオリーブをくわえた姿が描かれました。現在も見られるデザインです。

 

旧デザインの《ピース》は、以前当ブログで〈第二次世界大戦直後のたばこ〉としてご紹介しましたので、今回はその後に登場した馴染み深い鳩のデザインを振り返ってみたいと思います。

 

 

ところで、現在は当たり前になっている安全上の観点から必要不可欠なセロファン包装ですが、銘柄ごとに個別に始まったようです。最初は昭和28年、両切りの高級たばこ《富士》なのだそうです。

 

昭和35年発売の《ハイライト》は最初からフィルム包装されていたと言う事です。《ピース》では

昭和44年10月、フィルム包装のためにデザインが変更されました。外装セロファンが一般的に広く普及するのは昭和46年頃からのようです。

 

 

大きな変化は初期に【桜証票】が存在する事から始まり、【琉球輸出】【鳩が両面に印刷される】

【フィルム包装】【デザインが3㎜下がる】【健康表示印刷】【金付けが金インクに変更】のほか、【npマーク印刷】【証票変更】と言えそうです。

 

また、たばこを包んでいる銀紙は厚手の銀箔でしたが、いつからか銀箔に薄い紙が圧着されました。

 

 

 

昭和21年から戦後の平和を願って名前が付けられた《ピース》ですが、《ピース》と言う名称のたばこは実は初めてではありません。大正時代にも見られます。

 

大正9年(1920年)~大正10年(1921年)にかけて、1年間ほど記念たばことして販売されました。【欧州大戦終焉記念】として、熱帯林の極楽鳥を描いた明るい色彩のパッケージでした。

 

 

 

 

 

         昭和50年(1975年)頃、ペーパーをはがしておきました

 

 

サイドに印刷された数字は、上二桁が製造工場番号で下二桁が機械番号と聞いたことがあります。

16番工場の17号機と言う事でしょう。16番工場がどこにあるのか、地名は知りません。数字の

記載が始まったのは昭和44年(1969年)5月からだと言う事です。

 

 

 

 

 

 

 

     〚日本専売公社〛の時代に実施された定価改訂は下にまとめて記載しています

 

 

                    ピース 

 

               両切り レギュラーサイズ

 

       昭和27年 4月 1日 (桜証票)  定価 40円

 

証票のデザインですが、昭和28年3月より新しい【専】を図案化したデザインに変更されるようです。《ピース》に新しい証票のパッケージが登場するのは昭和28年4月頃からのようです。

 

当初は外装セロファンの装填がありませんので色つきの開封テープを避ける必要がなく、デザインの鳩の位置が上部に描かれていました。

 

ただ金付けのズレによるばらつきが見られます。高い位置にある鳩のデザインがごく僅かに下がったパッケージが見られます。《桜証票》の時代でも《新証票》にも存在しています。

 

昭和29年(1954年)4月1日、定価が45円に値上がりしましたが、昭和31年(1956年)3月1日に再び40円に値下がりしています。

 

斬新なデザインで、爆発的に売り上げがアップしたそうです。長期間販売されていた銘柄が徐々に姿を消していく中、数少ない〈日本専売公社〉の生き残りのひとつと言えそうです。

 

 

 

 

       昭和28年 4月頃より (新証票)が見られる

 

これまでの桜が描かれた【桜証票】から、【専】の字をモチーフにした【専証票】に変更されます。

 

昭和44年(1969年)に鳩の位置と両サイドの文字が3mm下に移動します。(裏面変化なし) 初期のデザインでは鳩が高い位置に描かれています。

 

 

私が幼い頃、昭和38年(1963年)頃には、たばこは厚手の銀箔で包まれていました。現在のように、銀箔に薄い紙が圧着されたのがいつ頃だったのかは分かりません。昭和43年(1968年)頃には変更されていたような記憶があります。

 

                       鳩の位置が上側にある

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   琉球輸出用

 

              前期 納税印

 

琉球へは1951年から旧デザインの《ピース》が輸出されていましたが、昭和28年(1953年)頃、鳩のデザインに変更されたパッケージが輸出されました。この頃は内箱の両サイドが狭いタイプで、紙質も褐色紙です。

 

赤色で印刷されている琉球政府の納税印はフォントの違いで前期と後期の2種類が存在します。

こちらは前期です。アルファベットも違いますが《琉球》の文字の違いが顕著です。

 

                       狭い

                      

 

 

 

 

 

 

 

                  後期 納税印  

 

後期には内箱サイドが広くなり、鳩のデザインが3mm.下に移動しています。フォントが2種類

存在する赤色で印刷されている琉球政府の納税印の活字は、後期タイプに変更されています。

 

琉球納税印のフォントの変更がいつだったのかは分かりません。私は、サイドのマチ幅が広くなったあたりとか、紙質が純白紙になったあたりではないかと想像しているのですが。

 

                       広い

                      

 

 

輸出された時期は分かりませんが、鳩が下に移動しているので1969年10月以降だと分かります。

外装がセロファン包装になったタイミングで、本土と同時に輸出品も変更されたのでしょう。

 

学生時代、新橋の切手商へ良く顔を出していたのですが、そこで見つけました。主に宝くじを扱う店で、私は〈東京都宝くじ〉のシリーズものに興味を持っていてよく通っていました。

 

確か 150円程度の価格でした。下に掲載の国内用を 50円で購入した時と同時に買っていました。【琉球たばこ】も〚日本専売公社〛もたばこのパッケージは、ほとんど琉球たばこの研究でお世話になった方からのもらい物ですが、珍しく自分で購入しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             定価改定によりデザイン変更

 

     昭和43年  5月 1日    デザイン変更 両面が鳩のデザインとなる

        同日       定価改定    売価 50円

     昭和44年 10月     デザイン変更のため中止

 

昭和43年(1968年)5月1日より、《朝日》《ゴールデンバット》を除く全銘柄が一斉に値上がりします。この定価改定で《ピース》はデザインが変更され、両面に鳩が描かれます。

 

しかしこのデザインは長くは続かず、1年半後の昭和44年(1969年)10月には元に戻ります。

 

 

  裏面は鳩の位置が下がっています     鳩が上部に描かれています

          ↓            ↓

 

 

                      内箱

 

両サイドのマチ部分が箱の厚みと同じで広くなっています。当初は箱の厚みの半分しかなく、狭く作られていました。いつ頃変更されたのか分かりませんが、少なくとも昭和37年(1962年)頃はまだ狭かったと思います。(幼稚園の頃、父親のパッケージの銀紙で遊んでいた時の記憶です)

 

              広い               広い

             ↓           ↓

 

 

学生時代、新橋の切手商へ良く顔を出していたのですが、そこで見つけました。箱のまま平らにして残されていたので片面しか見えず、店主も気づかずにいたようです。「これ、両面同匠だね」と言うと、「アッ、本当だ」と驚いていました。45年ほど前の事です。

 

この切手商へは(東京都宝くじ)を集め始めて出かけるようになりました。古いパッケージは頂いたものばかりですが、こちらだけは偶然自分で購入しています。価格は50円でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           セロファン包装によりデザイン変更

 

     昭和44年 10月    デザイン変更 鳩が片面に戻される

                              鳩の位置が3mm.下がる

     昭和47年   7月    健康表示のため中止

 

鳩のデザインが片面だけに戻されました。セロファン包装のため、表面と両側面の印刷が3mm下に移動しています。開封テープでデザインが隠れてしまうためです。この時代は全て〈金付け〉です。

 

                       鳩の位置が下がりました

                           

 

 

                      内箱

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     昭和47年 7月    健康表示 サイドに健康表示が印刷されました

     昭和49年 9月    印刷色変更により中止

                    (金付けが金インクに変更される)

 

サイドに健康表示が印刷されました。まだ〈金付け〉で印刷されています。このあと2年ほどで

〈金付け〉印刷は〈金インク〉に変更されます。〈金付け〉が分かるように色を濃くしています。

 

     

 

 

                     内箱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             この時代、輸出品が見られます

 

全て英語表記です。裏面が (THE JAPAN TOBACCO CORPORATEON)の表記です。この表記は昭和49年(1974年)1月頃から使用されていますのである程度時代が分かります。

 

それまでは 、 (THE JAPAN MONOPOLY CORPORATEON)の表記が使われていていました。

 

金色部分はまだ〈金付け〉です。昭和49年9月には〈金インク〉に変更されるので、こちらが輸出されていたのは昭和49年1月~9月頃だったのではないかと想像できます。

 

 

 

                     内箱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     昭和49年 9月    印刷色変更〈金インク〉になる

     昭和55年 6月    公社マーク変更により中止

 

昭和47年(1972年)4月から健康表示が義務付けられました。同年7月から登場しています。

昭和49年(1974年)9月からは〈金付け〉の印刷色が〈金インク〉に変更されました。

 

                    金インク                     

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    昭和50年 7月   npマーク印刷 サイド下部に ≪np≫ マーク印刷

 

   昭和50年 12月 18日 (外装セロファンにシール貼付)  定価改定   定価 75円

   昭和51年   2月まで   (外装セロファン白開封テープ)

 


昭和50年(1975年)に値上げが予定されました。そこで沖縄たばこと《おおぞら》を除く銘柄に、新価格に対応するため  ≪np≫  マークが印刷されます。

 

口付きたばこ《朝日》はもともと値上げが予定されていませんでしたので印刷されていません。

 

ところが国会を通過せずに値上げは見送られてしまいます。この印刷はごく短期間でしたがそのまま旧価格で販売されていました。

 

   

                   

                 npマーク

 

 

 

 

 

 

 

結局昭和50年12月に値上がりしましたが、その時には新たに赤いシールがセロファンに貼付されています。この時の値上げ率は高く、5割もの値上げとなりました。セロファンのない旧3級品は直接パッケージに貼付されました。

 

昭和51年3月から ≪np≫ シールを貼付しないことを周知するポスターです。たばこ店の店頭に貼り出されました。サイズがB4判で長さが38センチ近いのでスキャナーに収まりません。

 

上下2枚の画像を張り合わせたので色の違いがありますが、1枚のポスターです。このポスターは、自宅と同じ商店街にあるたばこ店で貰いました。

 

 

 

昭和52年12月には法改正が実施されます。そこから値上げは国会の承認が必要なくなり、管轄大臣の認可で公社が独自で行えるようになりました。〚日本専売公社〛に限らず、〚日本国有鉄道公社〛国鉄の運賃も同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

               白い開封テープ 〖暫定〗

 

昭和51年2月まで、値上げされた新価格の製品は、外装セロファンの開封テープが全て白色に変更されていました。

 

セロファンと白色の開封テープをそのままの状態で残しています。たばこは中に入れたままです。

 

 

 

 

昭和55年にも〚日本専売公社〛の定価改訂が実施されます。この値上げから旧価格品と新価格品の区別がなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     昭和55年 6月 1日    公社マーク変更

     昭和58年10月頃      外装セロファンに製造年月日 印字

     昭和60年 4月 1日    社名変更により中止

                      〚日本たばこ産業株式会社〛となる

 

昭和55年(1980年)6月1日より、専売公社の商標が従来の【専】をデザイン化した形から、煙のような雲のようなデザインに変更されました。これまでの納税印のイメージが一新されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     〚日本専売公社〛の時代、鳩のデザインの《ピース》で実施された価格改定

 

        昭和27年(1952年)   4月   1日 発売     定価    40円

        昭和29年(1954年)   4月   1日          定価    45

        昭和31年(1956年)   3月   1日        定価    40円(値下げ)

        昭和43年(1968年)   5月   1日        定価    50円

        昭和50年(1975年) 12月 18日          定価    75

        昭和55年(1980年)   4月 22日        定価    90円

        昭和58年(1983年)   5月   1日        定価  100円

 

 

《ピース》は、昭和21年1月10日に唐草線の描かれた旧デザインで新発売されています。戦後の

インフレで値上げが相次ぎますが、昭和25年、昭和26年に続けて2度の値下げが実施されました。

 

新デザインになってから、昭和31年5月1日にも値下げされています。同一銘柄では唯一となった、3回の値下げが行われました。

 

 

 

昭和43年(1968年)5月1日に、専売公社として初めての一斉値上げが実施されました。旧価格品と新価格品を区別するために、銘柄によっていくつかのパッケージ変化が見られます。

 

● 封緘紙のデザインを変えずに、暫定的に印刷色を変化させる。

  《ホープ》《ピース》《ルナ》《ハイライト》《ハイライトデラックス》《mf エムエフ》

  《ひびき》《トリオ》《スリーエー》の、9種類の暫定封緘紙が確認できます。

 

● 定価改定の丸型の小さなシールをパッケージに貼付する。

定価改定のシールは全6種類が用意されたようです。印刷色と併せて中央の星の数がそれぞれ違います。たばこの値上げ価格によって違うようです。ただし、赤色=星1個は共通用なのだそうです。

 

こちらは赤色で中央の星が1個です。他に赤紫色=星1個、青色=星2個、オリーブ色=星3個、

レモン色=星4個、また中央に星の代わりに〈輸入たばこ〉と書かれたタイプを加えて6種類です。

 

はっきり分かりませんが、改定額が星1個=10円、星2個=20円、星3個=30円、星4個=40円なのだと思います。星の数で10円~40円までの値上げ金額を表しているようです。

 

 

《ピース》は10円の値上げなので、赤紫色=星1個、あるいは共通用の赤色=星1個のシールが貼付されたのかもしれません。

 

 

 

 

昭和43年(1968年)5月1日の定価改定はたばこのフィルム包装が一般的に普及する前の事です。定価改定のシールは多くの銘柄でパッケージに直接貼付されていたと思います。

 

しかし《ハイライト》では昭和35年(1960年)の発売当初からセロファン包装されていましたがシールの貼付が見られます。他の全銘柄に対しても、セロファンが装填される前に直接パッケージにシールを貼付していたのでしょうか?。

 

 

 

この2種類の方法が採られたようです。銘柄によって違うようですが、当時小学生だった私には詳しい事は分かりません。学生時代にも《たばこサービスセンター》で伺っていませんでした。

 

 

 

新価格の製品には〖暫定封緘紙〗を使用するか〖定価改訂シール〗を貼付して対応していましたが、値上げに合わせてパッケージのデザインを変更した銘柄もあります。

 

両切り《しんせい》《ピース》《いこい》と、フィルター付き《ハイライトデラックス》《わかば》の5銘柄です。

 

 

 

 

 

 

 

 

〚日本専売公社〛の時代のパッケージ変化はいくつか見られます。他の銘柄でも同じことが言えます。これから銘柄別にポツリ ポツリとご紹介する予定ですが、共通した変化を挙げておきます。

 

  ● 昭和45年9月頃から、U字Ⅱ型包装ではサイドの白地部分の長さがレギュラーサイズ 59㎜

                      ロングサイズは 70㎜ となる

  ● 昭和47年7月から、サイドに健康表示が印刷される。

  ● 昭和49年9月から、金色が彩色されている銘柄では金付けが金インクに変更される。

  ● 昭和50年7月には、ごく短期間、パッケージに ≪np≫ マークが印刷される。

  ● 昭和51年6月から、順次レジスターマークが印刷される。多くは昭和52年以降です。

  ● 昭和55年6月から、公社のマークが変更される。

 

 

昭和58年10月頃より《ゴールデンバット》《しんせい》《わかば》《エコー》では、パッケージに製造年月日が印字されています。《しんせい》と《エコー》はその頃にレジスターマークが印刷されるようになりました。

 

また昭和59年頃には《しんせい》《わかば》《エコー》の封緘紙の糊付け部分の白抜き幅がそれまでの 14mm.から 17mm.へと広くなっています。他の銘柄は確認できないので不明です。

 

 

 

 

〚日本専売公社〛の時代はパッケージの印刷もキッチリとしていて、印刷会社による変化が見られません。そのためこちらの大きな変更は共通しているし、各銘柄の変化もしっかり管理されています。

 

 

 

 

 

パッケージの変化ではなく、価格改定などによる外装フィルムの変化。セロファン包装の第一号は

昭和28年からで、高級たばこ《富士》だったそうです。

 

  ● 46年頃には、   外装セロファンが一般的に広く普及する

              (旧3級品にはセロファン包装がありません)

 

  ● 昭和50年12月から、3か月間、外装セロファンにシールが貼付される。

              (セロファンのない旧3級品は直接シールを貼付)

 

  ● 昭和51年  2月まで、ごく短期間、外装セロファンの開封テープが白色となる。

              (セロファンのない旧3級品は暫定封緘紙)

 

  ● 昭和58年10月頃      外装セロファンに製造年月日が印字される。

              (セロファンのない旧3級品は直接パッケージに印字)

 

 

外装セロファンが装填されなかった〈旧3級品〉の銘柄とは、両切りの《ゴールデンバット》と

《しんせい》、フィルター付きの《わかば》と《エコー》の4種類です。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  見本たばこ

 

作られた時代ははっきりしませんが、4本入りの見本たばこが用意されています。新製品とあり、

≪ぐッと うまくなったピース≫ と書かれていますので、昭和27年にこのデザインが採用された時と言う事なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     昭和37年 12月 1日  五色ピース 5色の色違いを同時に印刷

 

昭和37年(1962年)12月1日から【意匠替えたばこ】として、ひとつの銘柄に5種類のデザインを印刷したたばこが5種類同時に販売されました。

 

《ピース》と《ロングホープ》を台たばことして、こちらの5色のほか、花、郷土玩具、熱帯魚などが昭和43年まで10回にわたり、合計50種類販売されています。

 

こちらは昭和37年(1962年)12月1日、第一回に発売された5色です。従来の紺色の他、黄色、赤色、紫色、緑色が用意されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古い時代のパッケージは他の銘柄を含めて、琉球たばこの研究で大変お世話になった方にいただいたものばかりです。(琉球たばこも貴重なパッケージはほとんどいただいています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〚日本たばこ産業株式会社〛になると社名印刷は変更されています。その後も変化を続けますが、私が興味を持っていたのは【日本専売公社】の時代までです。

 

 

            日本たばこ産業株式会社            

 

1985年4月1日、〚日本専売公社〛に替わって〚日本たばこ産業株式会社〛が発足します。私がたばこのパッケージを集めていたのは〚日本専売公社〛の時代ですが、社名が変更されて収集を全くやめてしまったわけではありません。

 

全てを集める事はなくなりましたがふと思い立った時などに購入していましたし、友人からもパッケージを貰っていました。所持している初期のパッケージだけ一緒にご紹介します。

 

 

                  1985年4月1日 以降

 

新しいマークに替わっています。健康表示は同じですが、この後文章の変更が何度も行われます。

1988年10月以降は社名表示も順次【JT】に変更されます。パッケージに【JT】のロゴが印刷されるのは1990年頃からです。

 

【JT】になると、パッケージの基本デザインは同じですが文字表記が目まぐるしく変化しています。初期はサイドに大きくロゴが印刷されていましたが、1997年頃から文字が小さくなり社名と並んで書かれるようになりました。

 

【JT】のパッケージもとりとめなく残していますが、箱に入れたままです。銘柄別に整理はしていますが、所持する数が少ない上にあまりにもパッケージの変化が激しくて全く分かりません。

 

 

〚日本たばこ産業株式会社〛になっても当初は社名表記が変更されただけでパッケージのデザインは同じでした。健康表示の文字が横書きになり、バーコードが印刷された程度の違いです。

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

旧デザインの《ピース》は以前当ブログでご紹介した【第二次世界大戦 直後のたばこ】に掲載しています。宜しかったらご参照ください。

 

第二次世界大戦 直後のたばこ:日本専売公社 | アリタリアfujiのブログ (ameblo.jp)

 

 

 

 

高校生の頃から小遣いで集めていました。何しろ種類の多いフィルターたばこを集めるのが精一杯です。私自身、学生時代には《ショートホープ》を吸っていて、両切りたばこにはあまり興味がありませんでした。そのため全ての変化を追い切れていません。