日本専売公社では、1957年に最初のフィルターチップ煙草を販売します。レギュラーサイズの
≪ホープ≫です。両切りと同じレギュラーサイズで、ロングサイズより短いために≪ショートホープ≫と呼ばれています。
続く銘柄が≪ハイライト≫でした。1960年に、レギュラーサイズより長いロングサイズのフィルターチップ製品として発売されました。この≪ハイライト≫が評判となり、この頃から日本ではたばこ消費量が激増したそうです。若い世代にフィルター製品の売り上げが伸びたようです。
しかし、当時の≪いこい≫≪ゴールデンバット≫の販売シェアーが高かった事からも分かるのですが、 ”両切り煙草”の人気も相変わらず高かったようです。吸いなれた ”両切りたばこ” に固執する喫煙者は多かったのでしょう。1960年代以降にも ”両切りたばこ” の新製品は登場していました。
ところがこの頃、 ”両切りたばこ” の座は早い時間で奪われて行きます。今回は、1950年代以降に新製品として販売された ”両切り煙草” の銘柄を追いかけてみたいと思います。昭和42年(1967年)に登場した、《日本専売公社》最後の ”両切り煙草” ≪太陽≫の発売までです。
現在、”両切りたばこ” として残る銘柄は、昭和27年に登場したデザインに鳩が描かれた≪ピース≫だけです。香りが良い事から古くからの愛煙家がいて、またおしゃれ感覚で吸う人もいるようです。
富士 〔20本入り〕
昭和28年 4月16日 発売 20本入 定価 120円
昭和31年 3月 1日 定価改訂(値下げ) 定価 100円
昭和32年 3月 製造中止
≪ピース≫と同じバージニアブレンドの高級煙草です。パッケージのデザインは、パッケージ上部の白地は富士山の雪、下部の灰色は裾野のイメージなのだそうです。
〚日本専売公社〛で初めて外装セロファンが装填された銘柄と言う事です。定価も高いですが、当時は見た目もかなり高級感があったのでしょう。
昭和28年に20本入、定価120円で新発売されました。昭和31年3月1日には定価100円に値下がりします。しかし、昭和28年に120円と言うのはかなり高額だと思います。郵便局では、まだ封書の郵便料金が8円の、カモシカ切手の頃です。
今では考えられない、販売途中での値下げが行われています。戦後とても高級だったアメリカから輸入されていた葉煙草の輸入価格が下がったのでしょうか?。私はそこまで歴史を勉強していません。
(各種類の煙草が、昭和25年と26年の二年間に二度の値下げがありますが、それは戦後のインフレが落ち着いたからだと分かります。)
昭和30年からは10本入と並行販売されますが、20本入は翌年昭和32年3月には製造中止になります。包装は、10本入も20本入もシェル&スライド型と呼ばれる小箱です。
この販売期間に、琉球向けに輸出されています。国内と全く同じパッケージを使い、琉球政府の丸型輸入煙草用の納税証紙が貼付されました。
≪琉球輸出用≫
琉球輸出用は納税証紙だけで区別できます。本土ではよく見かけるパッケージですが、納税証紙が貼付されたパッケージは、輸出先の沖縄でも見かける事は少なく、とても珍しいパッケージです。
この丸型納税証紙は、昭和25年8月に琉球へ輸出された〖朝日〗に貼付された証紙と同じシールです。このたばこは、昭和28年の発売当初に輸出されていたのではないかと思われます。
富士 〔10本入り〕
昭和30年 7月 1日 発売 10本入 定価 60円
昭和31年 3月 1日 定価改訂 10本入 定価 50円
昭和47年 7月 健康表示のため中止
昭和30年7月1日に新発売です。昭和32年に20本入が製造中止になるまで並行販売されていました。昭和49年に製造中止になるまで、20年近く愛されていました。包装は20本入と同じシェル&スライド型と呼ばれる小箱です。
昭和43年5月1日の一斉値上げにより、60円に値上がりしました。同じ両切りでバージニアブレンドの≪ショートピース≫や、フィルター付きの≪ショートホープ≫が40円から50円に値上がりした時です。≪富士≫は10円高い高級品で、高額だった事が分かります。
昭和49年には、両切り≪富士≫≪いこい≫と一緒に、フィルターチップ≪ひびき≫≪エポック≫の
4銘柄が同時に製造中止になっています。
昭和47年 7月 健康表示 10本入 定価 60円
昭和49年 4月 8日 製造中止
高校2年の時に製造中止になっています。当時の私は喫煙していませんので知りませんでしたが、どのような味だったのか…、≪ショートホープ≫を吸っていた学生時代の頃、一度は吸ってみたかった 銘柄の一つです。バージニア葉の(高級たばこ)って、どんな味だったのでしょう?。
もちろん今では「当時のアメリカ産葉煙草の輸入価格が高かったのカナ?」 と想像が付きますが、他の銘柄より輸入葉たばこの使用割合が高かったのでしょうか、喫味には興味があります。
パール 〔10本入り〕
昭和30年10月 1日 発売 10本入 定価 30円
昭和36年 4月 製造中止
昭和30年10月に新発売、同年昭和30年11月には20本入が登場して並行販売されます。
昭和36年4月には製造中止になっています。包装はシェル&スライド型と呼ばれる小箱です。
パール 〔20本入り〕(スタンダード型包装)
昭和30年11月15日 発売 20本入 定価 60円
昭和32年 上部銀ライン追加 定価 60円
昭和36年 6月 U字Ⅱ型包装に変更 定価 60円
昭和30年11月15日より、スタンダード包装で新発売されています。昭和32年に、パッケージデザインの一部が変更され、上部に銀線が入れられます。
昭和36年にU字Ⅱ型包装に変更されています。昭和40年に文字や絵のデザイン変更が見られますが、昭和41年7月には製造が中止されました。
この間に、琉球向けの輸出品が存在します。輸出用パッケージのためサイドの説明文が英文で表記され、国内販売のパッケージとは違います。琉球輸出用は、封緘紙が琉球政府の納税証紙です。
≪琉球輸出用≫
琉球輸出用には日本語が見られず、すべて英語表記です。琉球だけの輸出なら、国内用パッケージに琉球政府の証紙を貼付すれば良いので、英字の必要はないように思います。琉球専用だったのか、それとも当初の目的は、他国への輸出と兼用に用意された輸出用パッケージだったのでしょうか。
他にどの国へ輸出されたのかは分かりませんが、このたばこが琉球へ輸出されたのは、新発売当初の昭和30年(1955年)だったと思います。
昭和36年 6月 U字Ⅱ型包装 定価 60円
昭和40年 6月 貝、文字が小さくなる 定価 60円
昭和41年 7月 製造中止
昭和36年6月に登場したデザインです。上部には銀色のラインが印刷されています。昭和40年にはデザイン変更が行われ、真珠貝や文字が小さくなるようです。
この後、昭和31年3月26日に≪いこい≫が新発売されます。
以前ご紹介のページをご参照ください。
みどり
昭和32年 8月 1日 発売 20本入 定価 50円
昭和40年 9月 製造中止
戦後に用意された両切りたばこでは、一種類だけのメンソール煙草です。メンソール煙草と言うと薄荷成分をフィルターに含ませているイメージがあり、葉たばこの中に薄荷成分が入っているのが不思議です。確かフィルターチップの【エムエフ】も、葉に薄荷成分が入れられていたと思いますが…。
1957年と言えば、初めてのフィルターチップたばこの≪ショートホープ≫が販売を開始した年です。昭和40年まで製造が続きますが、当時私はこの銘柄を知りませんでした。
昭和40年6月にフィルター付きのメンソールたばこ《エムエフ》が新発売されます。《みどり》は3ヶ月後に製造中止となりました。両切りからフィルターチップに置き換えられたと言う事です。
そう言えば、琉球でも1958年には【オリエンタル煙草株式会社】から、初めてのメンソール煙草の≪ポール≫が販売されています。両切りたばこです。
琉球では引き続き、1960年に【琉球煙草株式会社】からもメンソール煙草≪みどり≫が新発売されています。品名はひらがな表記で和風の雰囲気です。そちらも両切りたばこでした。
AAA 〔スリーエー〕
昭和35年 5月 1日 発売 20本入 定価 60円
昭和40年 8月 デザイン変更により中止 定価 60円
昭和35年に新発売され、昭和40年にデザイン変更されてこちらのパッケージは姿を消します。
昭和40年 8月 デザイン変更 定価 60円
昭和47年 1月 製造中止 定価 70円
昭和40年にこちらのデザインに変更されると、昭和43年5月1日には専売公社の一斉値上げで定価は70円となります。昭和47年の製造中止まで販売が続きますが、私にはこの銘柄の記憶がありません。周りにこのたばこを吸っている大人がいなかったからでしょう。
煙草を開いています
時間の経過で、かなりシミが目立ちます。
中身入りをどこから入手したのか覚えていません。多分誰かからもらったのだと思いますが…。
長時間そのままの状態だったので、たばこにはシミが多く見られました。
《スリーエー》は昭和47年まで製造が続きます。昭和44年(1969年)5月からペーパーのサイドには製造工場を示す4桁の数字が印刷されます。こちらには数字の印刷がありませんので昭和44年以前のたばこだとわかります。
オリンピアス
昭和38年 4月 1日 発売 10本入 定価 60円
(内寄付金10円)
昭和39年 8月 製造中止
このパッケージは、【宇野亜喜良】氏のデザインです。オリンピックの開催に併せて、寄付金10円を含めた価格、60円で発売されました。たばこ本体の定価は50円ですが、高級品≪富士≫と同じ価格で高額です。この時代、10本入の≪パール≫は30円でした。
同時に同じデザインの色違いで、サイズもレギュラーサイズのフィルターチップ≪オリンピアス≫も販売されています。どちらも包装はシェル&スライド型と呼ばれる小箱です。
フィルター付きレギュラーサイズのたばことしては≪ショートホープ≫が40円の時代で、フィルター付きのレギュラーサイズ≪オリンピアス≫も10円高く、高級品です。
中箱と、たばこを包んでいる銀紙です。銀紙には五輪マークがエンボスされています。
全く同じデザインの色違いでフィルターチップが用意されています。東京オリンピックに因んだたばこは他にもありますので、いずれ纏めてご紹介します。小学生の私は、オリンピックは覚えていますがどのパッケージも知りませんでした。
太陽
昭和42年12月 1日 発売 20本入 定価 70円
昭和43年11月 製造中止 定価 80円
明け方をイメージしたような美しい色彩です。昭和42年(1967年)に、日本専売公社が用意した最後の≪両切りたばこ≫でした。
サイズはフィルターチップ製品と同じロングサイズです。これはかなり珍しく≪両切りたばこ≫では初めての事です。最初で最後のロングサイズで、唯一の ≪両切りロングサイズ≫ です。
〚ロングサイズは、元々フィルターチップに用意されたサイズです。〛
しかし、時代はすでにフィルターチップに移行していたのでしょうか。昭和43年5月1日の専売公社一斉値上げによって定価が80円に値上げされたのち、同年11月には製造が中止されています。
煙草を開いています
時間の経過で、かなりシミが目立ちます。
これは中身入りをもらった時を覚えています。学生時代、やけどをして1か月ほど入院したのですが、同じ病室にたばこ店の息子さんがいて「店に一個残っているよ」と言って、その方が一時帰宅の時に持ってきてくれました。
1950年以降、最後に新発売された1967年の≪太陽≫までの、【両切りたばこ】が終焉を迎えるまでに販売された銘柄を纏めました。
以前ご紹介した、昭和28年(1953年)から登場した日本専売公社の≪いこい≫以外に販売された【両切りたばこ】の製品6銘柄です。その販売期間は、時代がフィルターチップへ移行する過渡期の銘柄たちです。
1967年に最後の銘柄≪太陽≫が発売されましたが、これはかなり遅かったと言えるでしょうか。この頃はもう、世の中はすでに多くの若い喫煙者がフィルターチップ製品を吸っていた時代だったのです。年配者は古くから好みの《いこい》《富士》《ピース》から離れなかったでしょうし…。