≪ハイライト≫は1960年代の人気銘柄でした。その為でしょうか、1960年代から1970年代にかけて、色々な仲間が新製品として販売されました。

 

日本で初めてフィルターチップのたばこが販売されたのは1957年7月1日です。レギュラーサイズの≪ホープ≫が最初でした。サイズが短いため、≪ショートホープ≫と呼ばれています。

 

続いて発売された銘柄が≪ハイライト≫でした。1960年6月20日の事です。この時代、日本もフィルターチップの時代を迎えつつあり、煙草の消費量は増えて行きます。≪ハイライト≫に人気が集中して、数年後には国内のたばこ販売シェアーのトップになります。

 

≪ハイライト≫の人気とともに需要が増え、【日本専売公社】では一部の生産が間に合わなくなる危険性がありました。この時代には≪いこい≫≪ピース≫の人気も高く、まだ両切りたばこの需要は大きかったようです。1961年~1962年の間【琉球煙草】の両切りたばこが輸入されていました。

 

1960年代、≪ハイライト≫はシェアートップの座を守りますが、その間に色々な姉妹品が登場しています。1969年2月に≪セブンスター≫が新発売され、若者の人気が≪セブンスター≫に移るまでいろいろな≪ハイライト≫が見られますので、そのあたりを纏めてご紹介します。

 

 

                  ハイライト

 

     1960年6月20日 発売      定価 70円

 

 

たばこを開いています。昭和50年頃、販売中の紙巻きたばこは全ての銘柄をこのように開いていました。1972年刊行の〚日本のたばこデザイン〛には全ての銘柄のペーパーが記載されていて、おもしろそうだと思いましたので真似をしてみました。

 

 

ペーパーのサイドに四桁の数字が印刷されています。この数字は、上の二桁が工場の番号で、下の二桁はその工場の製造機械の番号だと聞いています。昭和44年(1969年)5月から数字の記載が始まったと言う事です。

 

 

 

 

昭和35年に登場しています。定価は70円でした。昭和43年5月1日より80円に値上がりしました。昭和43年には、浜松工場で色の薄いスタンダード型のパッケージが試験的に用意されたようです。

 

           発売当初は現在よりたばこが太く巻かれた太巻きでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

封緘紙は一般的な専売公社のマークですが、火災予防運動周知を封緘紙に直接印刷されたものがあります。これはそのデザインです。シールではなく、赤色で直接印刷されています。

 

            

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

          1972年4月から健康表示が義務付けられます。

 

1972年4月から義務付けられますが、実際にパッケージが登場するのはだいたい7月頃からでした。1972年7月1日に新発売となった≪ミニスター≫にも、健康表示なしが存在しています。

 

右側はnpマークが印刷されています。ニュープライスのマークです。1975年に定価改訂が予定されていましたが、国会を通過せず値上げが見送られたため、一般に知らせる事も説明もなく普通に販売されていました。

 

npマークは短期間だけ全銘柄に存在するようですが、気付かなかった人が多かったでしょう。

 

同年12月に値上げされますが、その時には直接印刷されたnpマークは姿を消していて、npが印刷された丸く赤いシールが外装セロファンに貼付されています。

 

 

       1972年 7月       健康表示      

       1975年 7月頃(短期)   npマーク表示

       1975年12月頃(短期)   npシール貼付

       1980年 6月 1日    公社のマーク変更

 

レジスターマーク                           npマーク

                                    

   

                                           

 

 

煙草の定価改訂には国会を通す必要がありました。昭和51年頃、国会の承認がなくとも煙草の価格が自由に改訂できるようになり、目まぐるしく値上げされるようになります。

 

この変更は国鉄の乗車料金も一緒です。三公社が徐々に政府から離れて行くように変わります。

三公社を知らない方のために書いておきます。【日本専売公社】【電電公社】【日本国有鉄道公社】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   1980年 6月 1日 発売      定価 150円

 

           公社のマークが変わりました

 

この時の定価は150円の時代ですが、1975年以降の価格改定はめまぐるしく行われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             珍しいスタンダード型包装です

 

この頃、製造工場の再編でもあったのでしょうか、同じ時代に≪セブンスター≫もスタンダード型包装が見られます。当時は≪セブンスター≫≪ハイライト≫のスタンダード型は貴重な包装形態です。

 

スタンダード型包装の≪ハイライト≫は1960年に短期間だけ浜松で試験販売されたようですが、その後一度も見られなかったようです。この当時、≪セブンスター≫≪マイルドセブン≫ にも初めて見られます。スタンダード型包装の登場は、当時コレクターの間でも話題になっていたと思います。

 

 

 

 

たばこ産業株式会社と名前が変わってからも、引き続き≪ハイライト≫の販売はこの後も続きます。

ただ、私が夢中だったのは【日本専売公社】の時代ですので、ここでは割愛します。

 

 

≪ハイライト≫は現在も販売されているのですが、≪ショートホープ≫を吸っていた学生時代から、私はどうもあまり好きな味ではありませんでした。パッケージが欲しくて購入する以外はほとんど買っていないし、吸ってもいません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  沖縄限定販売

 

       1973年 11月 1日  発売     定価 80円

 

1972年には、アメリカの統治下にあった沖縄が本土に返還されます。それまでの民営煙草会社から【日本専売公社】がたばこの販売を行います。

 

記念たばことして本土復帰記念の≪チェリー≫が販売されましたが、沖縄限定では≪ハイライト≫も登場しています。シーサーをアレンジしたオリジナルのデザインです。これは記念たばこではなく、普通たばこのように暫くの期間販売が続いています。廃止された時期は分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ハイライト 【デラックス】

 

    1967年7月20日 発売     定価 80円

    1968年5月             刷色変更のため中止 

 

≪ハイライト≫が70円だった時代に、昭和42年7月から定価80円で新発売されました。翌年に実施された、昭和43年5月1日の専売公社一斉値上げから定価が100円に値上がりしています。価格は、≪ハイライト≫よりランクが高く、≪ホープ≫≪ロングピース≫と同じクラスです。 

 

愛称と言うか、≪ハイデラ≫と略して呼んでいました。10ヵ月ほどで印刷色が変わってしまいます。封緘紙の色は、初期は青で後に茶色に代わるようです。

 

 

 

         初期                     後期

 

   

 

発売初期には色が薄かった、金で表示された【DELUXE】の文字が右の後期には厚くなって輝きが増し、盛り上がったように思います

 

 

 

 

 

 

          ハイライト 【デラックス】

 

 1968年5月   発売  印刷色エンジ色  定価 100円

    1972年1月31日    製造中止

 

昭和43年5月1日のたばこ価格一斉値上げの後、印刷色が変更になっています。私のイメージにある≪ハイデラ≫はこちらの彩色です。昭和47年1月31日まで4年ほど続き製造中止になります。

 

 

この色彩のパッケージは何となく記憶に残っているのですが、私は実際に購入した事はありません。

たばこを展開したペーパーも用意していません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              ハイライト 25

         【ドカベン】

 

   1970年 3月14日  発売      定価 100円

   1972年 7月       健康表示印刷

 

大阪万博の会場に設置された自動販売機で、100円で釣り銭の無い価格として用意されました。

市中の自動販売機にも用意されています。当時はセブンスターやホープなどが20本入で100円でした。≪ハイライト25≫は25本入で100円だったので、若者に人気が高かったようです。

 

20本入より幅が広く、男子高校生の弁当箱のように大きい事から【ドカベン】と愛称がついていました。同じ体裁でロングサイズ〚25本入〛の銘柄は【宙=おおぞら】と2種類だけが見られます。

 

 

 

【ドカベン】と言えば、《水島新司》氏の漫画が有名ですが、煙草のドカベンと言う愛称は野球漫画より10年以上前の事です。漫画とは関係ありません。

 

 

 

 

 

    1972年 7月     健康表示    定価 100円

    1975年 1月17日    製造中止

 

昭和47年4月より、サイドに健康表示が義務付けられてます。だいたい、7月頃から登場します。

昭和50年1月17日、製造中止になります。若者の嗜好は≪セブンスター≫に移っていました。

 

 

私が高校生まで製造が続けられていますが、当時はまだたばこを吸っていませんので購入した事はありません。製品は当時兄から見せて貰っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         ハイライト 【エキスポート】

 

 

 

昭和50年頃に煙草を開いています。この頃はフィルターではなく、たばこ本体の紙に品名が印刷されています。1972年刊行の〚日本のたばこデザイン〛に掲載された全銘柄のペーパーの写真が面白いので真似をしてみました。

 

サイドに印刷された4桁の番号は、上2桁が工場番号、下2桁が機械番号のようです。1234と並ぶのは珍しいと思っていました。4桁の数字は昭和44年(1969年)5月から印刷されています。

 

 

 

 

 

 

    1971年 6月 1日  発売    定価 120円

    1972年 7月     健康表示  定価 120

 

ハイライトに新しい仲間が登場しました。ハイライトでは初めてキングサイズで販売されています。

1971年6月に新発売され、10か月後の1972年4月からは健康表示が入ります。

 

昭和50年12月18日の価格改定で定価が170円に値上げされましたが、翌年の昭和51年3月には製造中止になります。輸出用の《ハイライトエキスポート》では、《燦》が登場しています。

 

学生時代は≪ショートホープ≫を吸っていた私ですが、パッケージが欲しくて何度か購入しています。しかし、私はあまり好きな味ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    1972年 7月   健康表示    定価 120円

    1976年 3月     製造中止    定価 170円

 

昭和47年4月より、健康表示が義務付けられています。だいたい、7月頃から登場します。2年ほど後に全ての銘柄の〈金付け〉が〈金インク〉に変更されますが、《ハイライトエキスポート》では封緘紙の〈金付け〉が変化します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       1975年 7月      ≪np≫ マーク印刷

 

昭和50年7月頃には、≪np≫ マークが印刷されたパッケージが用意されています。

同年12月には値上げされ、≪np≫ マークの丸く赤いシールが外装セロファンに貼付されました。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

≪ハイライト≫の人気と1960年頃の需要の伸びにより、琉球煙草が輸入される事となりました。

琉球の輸出煙草は以前纏めていますので、宜しかったらご参照ください。