明治37年、煙草の製造販売はそれまでの民営会社から明治政府に移管されて【煙草専賣局】が行います。≪口付きたばこ≫≪両切りたばこ≫≪刻みたばこ≫≪葉巻≫≪パイプたばこ≫などが用意されました
因みに専賣局最初の銘柄は4種類の≪口付きたばこ≫と3種類の≪両切りたばこ≫が用意されています
今回は僅かに手元に残っている≪口付きたばこ≫のパッケージをご紹介します。≪口付きたばこ≫とは、たばこが紙で巻かれた形ですが、1/3程度は空洞です。そこには厚紙が入れられています。その空洞部分の厚紙を十文字につぶして抑え込みます。
平らにした先端部分を横にして、そのまま口を開けずに煙草を口に差し込めるのです。その下は縦につぶされていますが、そこは人差し指と中指の二本で下から挟み込みます。
≪口付きたばこ≫は、女性たちにとても好まれたようです。それまでキセルを使っていた遊女たちは、紙巻きたばこに変わった時代、口をパカッと開けて丸い紙巻きたばこをくわえるのを嫌がったのだそうです。
そこで、口を開けずに煙草をくわえられる≪口付きたばこ≫が流通したようです。≪口付きたばこ≫の形態はネットの画像でいくつも見られますのでご参照ください。今回こちらではご紹介しません。
1972年に専売公社から刊行された、カラーのパッケージデザイン集【日本のたばこデザイン】を見ると、≪口付きたばこ≫のページは実に美しく見事なパッケージが揃っています。もともと女性用のたばこなのですから趣向を凝らした女性向けのデザインが用意されたのでしょう。
専賣局が最初に販売した銘柄は≪口付きたばこ≫ 4種類と、 ≪両切りたばこ≫ 3種類です
専賣局初期に名付けられた名称に共通する、ちょっとした傾向が見られるのでご紹介しておきます。
≪口付きたばこ≫
明治37年7月1日より、4種類の新銘柄が発売されています。江戸時代の学者【本居宣長】の詩から4銘柄の名前が付けられました。=敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂う 山櫻花=と言う詩です。
〖敷島=8銭〗〖大和=7銭〗〖朝日=6銭〗〖山櫻=5銭〗の4種類が販売されました。
〖山櫻〗が最も早く、明治40年3月に製造中止になっています。続いて〖大和〗が大正13年3月に製造中止。〖敷島〗が昭和18年6月に製造中止、〖朝日〗は昭和51年12月に製造中止が決まりました。
昭和51年に製造中止の〖朝日〗は72年間の販売と言う、当時は最も長生きの銘柄でした。しかし二年後には〖朝日〗より二年遅れで販売を開始した【ゴールデンバット】に専売公社最長命の座を明け渡しますが。
≪両切りたばこ≫
明治37年7月1日に登場した銘柄は3種類みられます。≪スター≫≪チェリー≫≪リリー≫の名前が付けられていました。デザインも洋風で、ハイカラなデザインでした。続く銘柄はトルコ巻きの≪オリエント≫です。
明治初期あたりに西洋から入ってきた新しい煙草だからでしょうか?、明治民営会社も洋風のしゃれた名前が多かったようです。専賣局でもそうした=洋風=を踏襲しているようです。
≪スター≫は昭和5年8月に製造中止が決まり、≪リリー≫は昭和9年3月に製造が中止になります。
≪チェリー≫は戦争中【櫻】に名前を変えて生き延びますが、昭和15年3月に製造中止になります。その後≪チェリー≫は昭和45年3月に、現在のフィルター煙草にその名前と桜のデザインだけが復活しました。
敷島
明治37年 7月 1日 発売 20本入 定価 8銭
昭和18年6月に製造中止になるまで、40年近く販売が続いていました。その間に価格は大きく変動しています。また、100本入や【両切りたばこ】なども用意されています。しかし、パッケージデザインはそんなに大きく変更される事はありませんでした。 (包装形態は色々と変わっているようです)
昭和11年11月11日 発売 定価 20銭
昭和14年11月16日 発売 定価 25銭
朝日
明治37年 7月 1日 発売 20本入 定価 6銭
大正 7年11月 7日 印刷色3色から2色に変更 定価 10銭
戦争中の昭和19年あたりには彩色が省略されて1色刷りとなり、かなりみすぼらしい姿になります。しかし基本デザインは一切変わりません。昭和24年6月には戦前のデザインに戻ります。
当初から3色刷りでしたが、大正7年から黒で印刷されていた品名が濃い緑色に変更されて2色刷りとなります。
昭和11年11月11日 発売 定価 17銭
二色刷りの時代です
響
昭和 7年 3月 1日 発売 20本入 定価 10銭
三越呉服店の専属デザイナーで包装紙などを手掛けた、昭和初期の代表的デザイナーとして高名な≪杉浦非水≫氏のデザインです。当時の産業のかなめ、工場のイメージデザインです。
昭和14年11月16日 発売 20本入 定価 14銭
昭和18年 1月17日 発売 20本入 定価 25銭
平時定価 12銭
戦時負担額 13銭
錦
昭和12年 5月25日 発売 20本入 定価 15銭
昭和14年12月16日 印刷色4色から3色に変更 定価 17銭
【煙草専賣局】から最後に販売された口付きたばこの銘柄です。昭和12年5月25日に、定価15銭で発売されています。昭和14年11月16日に価格改定があり、定価17銭に値上げされました。
同年、昭和14年12月16日には、モミジの葉の黄色が省略されて4色刷りから3色刷りに変更されています。黄色い葉が淡いオレンジ色になります。昭和16年3月に製造中止となりました。
昭和12年 5月25日 発売 20本入 定価 15銭
印刷色が4色の時代です。まだモミジの葉に黄色が使われています。
第二次世界大戦後
朝日
〖朝日〗は昭和51年12月まで製造が続きますので、65歳程度の年齢の方はご存じの銘柄です。
最後の記念にと購入して吸った方も多かったと思います。そして、皆さん思ったのではないでしょうか。「こりゃ、何ともまずい煙草だ~」 と…。 私も思いました。
〖朝日〗の終了とともに、口付きたばこの歴史が終了してしまいます。私も最後の機会と思って吸っていましたが、何しろまずい煙草でした。
たばこは乾燥した葉っぱを燃やすのですが、それなりに風味があります。しかし〖朝日〗は、ごく普通の枯れ草を燃やしているような風味でした。
昭和22年 4月 1日 印刷色が3色に戻る
昭和19年3月28日から続いていた、淡いオレンジ色1色刷りから、発売当初の3色刷りとなります。デザインや地色の他にも、品名を黒に戻して3色刷りの発売当初の色に戻されました。証票は桜が描かれた【桜証票】で、証票内の文字は〚日本政府 専売局証票〛と書かれています。
昭和24年 6月 1日 日本専賣公社 証票 【桜証票】
専賣局から日本専賣公社に変わりますが、証票はまだ桜が描かれた【桜証票】です。証票内の公社名が【日本専賣公社】に変わりました。
新字体の【売】は昭和25年頃に変更されていると思います。そして新しい【専】の字をモチーフにした【専証票】は昭和28年に登場します。
≪琉球輸出用≫
1950年頃、少量が琉球向けに輸出されています。琉球政府の丸型証紙が貼付されています。沖縄でも見られない貴重なパッケージです。
このパッケージ自体は本土に結構残されています。ただ、琉球政府の証紙が貼付されたパッケージがほとんど存在しないと言う事です。現存数は多分数枚、一桁程度ではないかと思われます。
昭和28年 3月頃 日本専売公社 新証票 導入
昭和47年 7月 健康表示印刷
これまでの桜が描かれた【桜証票】から新しい証票に変更されました。旧【桜証票】の時代には、
証票内の文字が〚日本政府 専売局証票〛から、昭和24年には旧字体の【日本専賣公社】に変わります。1年後の昭和25年頃から新字体の【売】が使用されて【日本専売公社】となります。
昭和28年3月頃から商標が【専】の字をモチーフにしたデザインに変更されます。そのパッケージが〈健康表示〉が印刷される昭和47年7月まで、21年間に及ぶ長期間続きます。
昭和47年 7月 健康表示印刷
昭和51年12月 製造中止
煙草を開いています
煙草はどれも糊付けされていますので、水に浸けるだけで剥がれます。朝日だけは細かく織り込んで貼り付けているようです。横の細かい線の部分です。これはすぐ横をカッターでカットしました。
ところで、現在でも特定のファンのために両切りたばこの販売は続いています。≪ピース≫だけですが、現在では一般の喫煙者はほとんど吸いません。香りのよい高級煙草として認知されています。
口付きたばこも、まずくて安い葉たばこではなく、≪ピース≫のような高級志向で、価格が高くても香りの高い葉を使っていれば、おしゃれアイテムとして今も生き延びていたでしょうか?。
当時のまずい葉では嫌だけど、高級志向の≪口付きたばこ≫だったら…、「是非吸ってみたいものだ」 と思います。