昭和30年以降に生まれた世代は、【刻みたばこ】の世界にはほとんど馴染みがないのではないでしょうか。昭和50年前後に《日本専売公社》が販売していた【刻みたばこ】の銘柄も、≪ききょう≫の一種類だけです。

 

私は高校2年の頃から煙草のパッケージを集めてみようと思っていましたので、当時《日本専売公社》で販売していた銘柄は一通り調べていました。そのため【刻みたばこ】の事もある程度は知っていました。

 

しかし高校生当時、友人たちに聞いてみると多くの友人たちが刻みたばこの存在を知りません。かろうじて知っているのは、家族(祖父母)が「刻みたばこを吸っている」と話していた友人程度でした

 

 

 

思い返せば、私の中でも【刻みたばこ】を吸っていたのは祖父母の世代です。明治半ばあたりに生まれた世代です。最も古い記憶は、親戚の家でおばあちゃんがキセルをふかしながら煙草盆の前に座っている姿です。その時のたばこを吸っている姿ですが、そこで繰り広げられる見事な技が忘れられません。

 

一服吸い終わると、火のついたかたまりを掌にポンと落としてコロコロ転がしています。その間に新しい煙草をキセルに詰めて、その上に掌の火のかたまりを乗せて火をつけます。ホント!、すごい技だと思いました。

 

 

一緒に住んでいた父方の祖母もキセルを常に使っていました。キセルの掃除も大変です。洋品店で使用していた荷造りの固い紐をキセルに通してヤニ取りを良くしていました。

 

そして祖母がくわえるキセルの先には……、フィルター付きの≪ルナ≫が刺さっているのです。幼い頃には良く≪ルナ≫を買いに行かされていました。

 

祖母もその昔は刻みたばこを吸っていたのでしょうが、きっと新しいフィルター煙草に変えたのでしょう。たばこは新しい銘柄に変えたものの、紙巻きの口当たりが嫌だったのでしょうか。そこで、昔ながらのキセルの吸い口が好きで手放せなかったのだろうと思います。

 

 

閑話休題……

 

 

江戸時代には煙草と言えば刻みたばこの事です。江戸時代のたばこ販売は店舗もあったでしょうが、江戸の商業文化と言えば個人の棒手振りや引き売りで、歩き売りの文化です。

 

たばこの歩き売りをする人物によって産地や刻み方、配合具合の違いがあり、喫煙者は好みによってある程度購入する販売人を決めていたようです。当時も銘柄に対する嗜好が決まっていたようです。

 

たばこは裸売りで、「タバコ~、えータバコはいかが~」「おっ!来た来た、煙草ヤ!待ってたヨ、ここへ入れてくんナ」 直接煙草入れに入れて貰う事も多かったようです。

 

お店による販売でも基本的にパッケージなどはなく、奉書でくるまれていた程度だったようです。

1800年頃、その奉書に製造者、店名などが墨書きされたのが日本のたばこパッケージの始まりと言われているそうです。

 

 

 

私が高校生の時、煙草のパッケージを集めようと思っていた時には、刻みたばこは【ききょう】しかありません。琉球煙草の【しらぎく】もその2年ほど前、復帰と同時に販売を終了しています。

 

当時は専売公社の事業局が各地(市)にありました。私は煙草の詳細を知りたくてよく出かけていました。煙草のパッケージを集める高校生が珍しかったのか、いくつか古いパッケージを貰ったりしていました。

 

昭和40年に製造中止になった【みのり】のパッケージも、「以前はこんな銘柄があったンだ」 と言って貰った事があります。そう言えば、静岡でテストマーケットをしていた【エコー】もその時に貰っています。

 

 

 

今回は、手元にある≪刻みたばこ≫のパッケージをいくつかご紹介します。私が琉球煙草の研究でお世話になった方から頂いたパッケージをもとに、高校生の時に貰ったパッケージを含めてご紹介します。自分でも購入していて、種類は少ないけど私にとっては思い出深いパッケージが多いコレクションです。

 

 

明治37年から始まる【煙草専賣局】の時代、≪刻みたばこ≫の銘柄は植物、特に花の名前が多いようです。

 

【福寿草】、【白梅】、【さつき】、【あやめ】、【はぎ】、【もみじ】、【なでしこ】などの花木の名前のほか、【水府】、【薩摩刻】、【富貴煙】などの名前が見られます。

 

いずれの銘柄も明治時代から販売されています。種類の多さからも、国内では明治時代から大正時代には≪刻みたばこ≫が盛んだったことが伺えます。

 

昭和に入ってから新しく登場した、戦時中の銘柄に【みのり】【のぞみ】【ききょう】があります。その一方で、昭和20年頃には明治時代から続く銘柄が【富貴煙】のほかは全て姿を消しています。

 

 

 

                     はぎ

 

明治38年4月1日  内容量  40匁入り、 定価 24銭 で販売開始。昭和20年1月に製造中止になっています。

 

明治38年 4月 1日 内容量  40匁  定価 24銭

明治38年 4月 1日 内容量  20匁  定価 12銭 

                             (大正13年3.31.中止)

明治38年 4月 1日 内容量   5匁  定価  3銭

 

昭和 7年10月 1日  内容量 150g. 定価 45銭

                             (昭和14年10月中止)

昭和 7年10月 1日  内容量  15g. 定価  5銭

                             (昭和15年10月中止)

昭和14年 9月 1日 な容量  30g. 定価 10銭

                             (昭和20年 1月中止)

 

 

昭和7年10月1日、メートル法の実施で15g.定価5銭に変更されるが、昭和15年10月製造中止。昭和14年9月1日、30g.定価10銭で販売を開始するが、昭和20年1月に製造中止。

 

 

  昭和16年11月1日  発売   30g. 定価 13銭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  なでしこ

 

明治38年 8月 1日 内容量  40匁  定価 20銭

明治38年 8月 1日 内容量  20匁  定価 10銭

                            (大正13年3.31.中止)

明治44年10月20日 内容量   5匁  定価  4銭

 

昭和 7年10月 1日  内容量 150g. 定価 32銭

                             (昭和14年10月中止)

昭和 7年10月 1日  内容量  15g. 定価  4銭

                             (昭和15年10月中止)

昭和14年 9月 1日 な容量  30g. 定価  8銭

                             (昭和15年10月中止)

 

 

昭和7年10月1日、メートル法の実施で15g.定価4銭に変更されるが、昭和15年10月製造中止。

 

 

   昭和14年11月16日  発売   15g. 定価 5銭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    富貴煙

 

明治43年12月7日  内容量  40匁   定価 22銭

大正 6年12月 1日  内容量  40匁  定価 24銭

昭和 7年10月 1日  内容量 150g.  定価 28銭

                              (昭和19年 3月中止)

昭和22年 6月28日 内容量 100g.  定価 15銭

                              (昭和40年 1月中止)

 

 

昭和7年10月1日、メートル法の実施で150g.定価5銭に変更されるが昭和19年3月中止。

昭和22年6月28日、100g.定価15銭で販売を開始するが、昭和40年1月に製造中止。

 

 

 

         100g.   日本専売公社

 

日本専売公社に変更されていて、その上商標も新しいマークになっていますので、昭和26年から昭和40年1月の製造中止までの間に販売されていたと分かります。

 

 

                  使用されている封緘紙

 

 

昭和40年まで製造が続けられていますが、私は記憶にありません。親戚の家で見ているのかもしれません。幼い頃の事だからでしょうか、黄色い色は何となく記憶にありますが、たばこを吸っている姿ばかりの記憶で、煙草のパッケージまでは覚えがないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    みのり

 

昭和16年12月18日   内容量  30g. 定価 20銭 

昭和40年1月        製造中止

 

昭和16年12月に販売された、初めのデザインには模様の部分に枠線があり地が網目模様でした。

昭和19年頃に網目模様が省略されて無地となります。戦後の昭和24年6月より3色刷りのカラー印刷に変更されています。

 

 

  昭和20年 3月 1日 内容量  30g.  定価 60銭

 

戦前のパッケージで証票のデザインは【菊証票】です。証票内の文字は【大日本帝国 専売局証票】と書かれています。

 

 

 

 

 

 

 

   昭和22年 4月 1日 内容量  30g.  定価 6円

 

証票のデザインが【桜証票】に変更されています。証票内の文字は〚日本政府 専賣局証票〛です。

 

 

             証票 〚日本政府 専賣局証票〛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和24年 6月 1日  内容量  30g.  定価 45円

 昭和28年        新公社マークに変更 

 

3色刷りに変更されています。【日本専賣公社】の銘ですが、商標は【専賣局】当時とよく似ていて、の桜のマークです。丸いマークの中は【日本専賣公社】と書かれています。【日本専賣公社】の表記がデザインの下側に書かれていますが、昭和29年頃には左側に移動します。

 

 

このパッケージの時代に、琉球向けに一度だけ少量が輸出されています。しかし残念ながら、琉球での流通品のパッケージは現在確認できていません。

 

 

             証票 〚日本専賣公社 證票〛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  昭和29年     公社マーク位置変更  定価 45円

  昭和40年     製造中止

 

昭和29年頃、専売公社の位置が左側に変更されます。グラムの表示もカタカナになり、昭和40年の製造中止まで続くデザインです。

 

 

 

                 使用されている封緘紙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   ききょう

 

昭和23年 7月2日  内容量 30g.定価 60円で販売開始。

昭和54年 3月    製造中止

 

 

初めはデザインに枠取りがなく、ききょうの花だけが紫色でしたが、昭和24年6月より3色刷りのカラー印刷に変更されます。

 

昭和24年 6月 1日 内容量  30g.  定価 60円

昭和28年10月6日       新証票に変更

 

3色刷りに変更されています。旧字体の【日本専賣公社】の銘です。商標は旧デザインの【桜証票】ですが【専売局】から【日本専賣公社】に変更されています。

 

証票のデザインは、昭和28年3月頃より【専】の字をモチーフにした新しいデザインが導入されます。《ききょう》では昭和28年10月6日より変更されているようです。公社銘と証票の表記がデザインの下側に書かれていますが、昭和29年頃には左側に移動します。

 

 

このパッケージの時代から、昭和27年頃までの4年間ほど琉球向けに輸出されています。しかし残念ながら、琉球での流通品のパッケージは現在確認できていません。

 

 

             証票 〚日本専賣公社 證票〛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和29年 6月    公社銘 証票 位置変更  定価 60円

 昭和54年 3月    製造中止

 

        日本専売公社銘と商標の位置が下側から左サイドに変更される。

 

 剥離剤で奇麗にはがしたのですが、同時に封緘紙もはがれてしまいました。上の封緘紙です。

 

 

 

 

 

 

 

 

   昭和50年 7月     np 文字印刷  定価 60円

 

昭和26年から続くデザインですが、昭和50年に予定されていた定価改訂に併せて、サイドに小さく<npの文字が入れられています。しかしこの時に値上げが先延ばしされたため、一般には知らされず、説明もなくごく普通に販売されていました。値上げ法案が国会を通らなかったようです。

 

実際の値上げは昭和50年12月18日です。その時には、新しく<npと書かれた赤いシールが用意され、《ききょう》では封緘紙の色が暫定的に青に変更されました。

 

 

 

 

 

       発売当初から用意されていて、長期間使用された一般的な封緘紙です。

 

 

 

昭和50年(1975年) 12月18日に定価改訂が行われます。旧価格の商品と区別するため、暫定的に新価格の商品に使用されていました。

 

 

 

 

    昭和54年3月、【ききょう】の製造が中止されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

                 琉球輸入品

       1963年1月12日~1970年

                   しらぎく  

           数量  1,930,000kg.

 

1963年から琉球民営煙草会社〖琉球煙草株式会社〗の刻みたばこ【しらぎく】が輸入されます。

 

 

 

          専売公社が用意した、輸入刻みたばこ専用の封緘紙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和52年1月20日  マカオ輸入品  30g. 定価 90円

平成15年 (2003年)  輸入中止

 

日本専売公社では、昭和40年代頃から≪刻みたばこ≫の製造中止を決めていたようです。琉球からの輸入品【しらぎく】の登場で【みのり】が製造を中止しています。

 

そして、昭和52年(1977年)より、刻みたばこはマカオからの輸入品【山吹】の販売が始まります。その二年後には【ききょう】の製造も打ち切りになりました。

 

 

 

封緘紙の証紙に二種類がありますので並べます。上が最初に用意されていた証紙で、下は専売公社の商標が変更された時に用意された証紙です。地色も初期はグレーですが、後期は黄色味が強くなります。

 

 

 

 

昭和52年(1977年)の発売当初から使用されていた、《山吹》専用に用意された輸入用の封緘紙

 

 

                     地色が灰色

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和55年(1980年)4月に専売公社の商標が変更された時に《山吹》に新しく用意された封緘紙

 

 

 

                    地色が黄味灰色

 

一度試しに吸ってみた事があります。しかし私は刻みたばこの経験もなく、味の違いなど分かりません。ただ、あまり美味しいとは感じませんでしたのですぐにやめてしまいました。

世間一般の評価も 「美味しくない」 と言う評価だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              たばこ産業株式会社の時代

 

1985年に【日本たばこ産業株式会社】と名前が変わります。変更当初は、結構冒険的な新製品を用意していました。その一環で、全くのおしゃれ感覚で新しい≪刻みたばこ≫も用意されました。

その時にはスチール製のおしゃれなキセルまで同時販売しました。

 

 

                    小粋

      昭和60年(1985年) 12月 1日   発売   

 

日本専売公社からたばこ産業株式会社に変わった年、1985年の12月に新しい刻みたばこが発売されました。純国産の葉たばこで作られています。新しい時代のおしゃれアイテムの意味もあったのでしょうが、刻みたばこの生産技術の存続や文化の維持の意味合いが大きかったようです。

 

 

封緘紙は旧封緘紙の文字間にある花(桜)のマークが10個等間隔にあしらわれています。文字は書かれていません。封緘紙ははがしていないのでパッケージからアップにしてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

刻みたばこの販売と同時に、たばこ産業株式会社ではキセルの販売も行っています。セットで販売していました。キセルのサイズが二種類用意されていました。

 

こちらは短い方だと思いますが、よく覚えていません。価格は300円台から400円台だったと思いますが、それも記憶が曖昧です。真ん中がねじ止めになっていて、短くサイズを調整できます。

 

 

 

        販売と同時に小さな燐寸が用意されていて、無料で配布されていました。

 

学生時代の頃に、≪ききょう≫を一度吸っていますが、面倒くさいのですぐにやめてしまいました。

≪小粋≫は一度も試していません。昭和40年頃のキセルも部屋に残していましたが、気づかないうちに失くしてしまいました。

 

 

 

 

 

この頃、【たばこ産業株式会社】では色々な煙草にチャレンジしていたと思います。≪スタッツ≫と言う、自分で煙草の紙巻きを作る機器が一緒になった、スチール缶に入れられたセットのたばこもあります。インド風の丁子風味≪サマディ≫と言う銘柄も刺激的でした。