アメリカの統治下にあった琉球政府のたばこ事情を見ると、島内に民営煙草会社が設立されて紙巻きたばこが製造される1955年までの10年間は、輸入煙草と米軍基地から流出する闇煙草が担っていました。

 

日本専売公社の製品はなく、アメリカの煙草会社が進出しているわけでもありませんでした。まだ島内で民営煙草会社の紙巻き煙草が製造される前の1950年代中頃までは、アメリカやアジアからの輸入に頼り、中でも【マカオ】からの輸入煙草は数多く存在したようです。

 

これまで何回かに分けて【マカオ】煙草をご紹介してきました。その中でパッケージと共にいくつかの新聞広告をご紹介していますが、今回は私がパッケージを所持していない、また違った銘柄の新聞広告をご紹介します。

 

(沖縄タイムス)などの新聞に掲載された新聞広告から銘柄を見て行きたいと思います。

 

当時の新聞に掲載された広告欄を、民営会社のパッケージを調べるにあたって私が大変お世話になった師匠が、新聞を切り抜いてスクラップブックに貼付しておられました。

 

別にどうと言う事のない切り抜きですが、既に65年以上の時間が経過しています。今見るとデザインや価格などの情報の他、言葉遣いなどから当時のCMの表現方法を知る事の出来る大事な資料と言えそうです。

 

現在の煙草パッケージはグラフィックデザインばかりですが、この当時は絵模様も多くレトロな感じです。レトロ趣味のある私は、この当時のデザインの方が好感が持てます。

 

 

 

 

       マカオの煙草会社  ≪NANYANG BROS.TO.CO.,LTD.≫

 

                    アイス

 

                   メンソール煙草

 

                   〔輸正―17〕〕

            封緘紙として利用された、琉球政府の納税証紙

新聞広告を見ると、封緘紙は〔輸正―8〕が描かれています。輸入時期によって封緘紙が変更されているのかもしれません。

 

 

 

 

              1955年1月9日  沖縄タイムス

≪ハッカ入 アイスたばこ≫と書かれています。琉球では珍しいメンソール煙草です。民営煙草会社が全盛の頃にも、各社からそれぞれメンソール煙草が発売されています。しかしどうもあまり人気がないようで、いずれも比較的短い販売期間で終了しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     シイソー

 

              1954年1月15日  沖縄タイムス

                    高田商店の広告


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   レッドクラウン

 

              1954年6月14日  沖縄タイムス

                   湧川商会の広告

 

湧川商会は、琉球煙草株式会社が設立されると大手の販売代理店になります。琉球煙草株式会社の製品として第一銘柄≪おとひめ≫新発売の折に、3本入りの見本煙草を作っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     オスカ

 

               沖縄タイムス 1955年3月8日

 

アメリカアカデミー賞のオスカー像が描かれています。なかなか渋いデザインです。今では考えられない発想ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ホノルル

 

              1955年1月9日  沖縄タイムス 

                    丸徳煙草専門店 

          

 

製造がマカオの煙草会社  ≪NANYANG BROS.TO.CO.,LTD.≫と書かれています。時代を感じさせるレトロなデザインですが、私はこうした絵模様が大好きです。封緘紙は〔輸正―8〕が描かれているようですがはっきり分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

                    ブロック

 

       1956年1月17日            1955年12月23日

  

 

                 サイズがキングサイズです。

 

 

 

 

 

これらの資料は、琉球煙草を研究するにあたって私が大変お世話になった方が残しておかれたものです。お形見分けとして頂いた大切な資料の一部です。