電電公社がNTTとして民営化された1985年頃から始まったテレホンカードの狂乱ブームの中、私もコレクターの一員となりました。テレホンカードには電話局が販売するカードと、企業が宣伝のために用意したフリーカードがありました。

 

数多くのコレクターが夢中になったのはアイドルカードと呼ばれる大企業のCMに起用された芸能人のカードが主体でしたが、膨大な種類となったフリーカードではそれぞれ好きなジャンルのカードを集めるコレクターもまた大勢いました。城、電車、ゴルフ場、鳥など、デザインでジャンルを区別していたのです。

 

私は電電公社の時代のカードに興味を持ちましたが、地元と言う事もあって富士山のカードを集めようと考えました。静岡県東部にできた友の会に入会していましたが、そこで富士山カードに興味を持つ三名ほどでそれぞれ地元のカードを持ち寄っていました。

 

その中には電話局の課長さんもいて、裾野市、御殿場市、箱根方面、伊豆方面のカードを主体に最も数多く集めていただきました。私ともう一人は集めてもたかが知れていて、いつも申し訳なく思っていました。

 

 

カードを作っていたのは電話局の関連会社、(株)テレカですが、初めは≪110-≫と書かれた東京テレカだけだったようです。すぐに≪330-≫関西テレカが出来たようですが、加熱するブームで各地に作られたのでしょう、87年頃に≪290-≫名古屋テレカ、その後東北や九州にも出来ていました。

 

富士山カードは、初めは≪110-≫東京テレカが多く、≪330-≫関西テレカにわずかに見られました。≪290-≫名古屋テレカの登場で静岡のカードを扱いましたので、以降は名古屋テレカによく見られます。前回東京テレカをご紹介しましたが、今回は関西テレカ、名古屋テレカをご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

               関西テレカ≪フリー 330-≫

 

販売目的のフリーカードは別ですが、フリーカードはもともと企業の宣伝が多いためでしょう、ほとんど50度数(500円)が用意されています。これは105度数(1000円)でなかなか珍しいカードです。

 

所在地が私の地元なので直接出向いて購入してきました。収集仲間の電話局の課長さんもこのカードは喜んでいました。

 

 

 

関西テレカ≪330-≫は、私はこの8枚しかありません。どれも当時よく見かけるカードでしたので、入手に苦労したカードはありません。

  下の風景写真4枚はセットになっていて、販売用のカードなので簡単に手に入れられました。

 

 

 

 

 

 

 

              名古屋テレカ≪フリー290-≫

名古屋テレカの登場は確か1987年頃だと思います。静岡のカードを扱ったためでしょう、この後富士山カードは名古屋テレカに数多くみられるようになります。静岡県のゴルフ場からはだいたい富士山が見られますので、ゴルフ場カードが多く存在します。

 

初めのカードは課長さんが探してくれたのですが、静柑連がどこにあるのか、「静岡だとばかり思って捜していたら清水にあった」と笑って話していました。

左三番目の農協は勤めている友人に、右下のジャトコも勤めている友人に貰いました。右三番目の

FUJIKAITAKU A・Cは、富士山ふもとにある開拓農協です。事務所に出向いて、好意で一枚だけ貰いました。そのため収集仲間の分がなく、私も小さくなっていました。

 

 

 

 

 

初めの(赤い靴)は増刷されたとき、裏面の表記が変わりました。左二枚目の(ダカラ、さがら)は収集仲間が探してきてくれたのですが、「富士山が小さいけどどうする?」と心配していました。

 

右二番目の(中日本航空)は私の店のカードを同封して郵頼しました。左3番目の(花王販売)、右最後の(network90)も同様です。同じ地域なので住所はすぐにわかるのです。

 

 

 

 

右二番目の(燦々沼津)は沼津電話局で販売していました。他はどれも収集仲間の手によります。入手に苦労したカードはありません。

この頃になると、全国のジャンル別コレクターに富士山を集める人が増えたようです。テレホンカードの趣味雑誌に富士山のカードが掲載されると人気だったようです。

 

私たち収集仲間三人は地元の利で、地元のカードを着実に集めていましたが、「なんだか最近富士山が人気みたいだねー」なんて話し合っていました。

 

 

 

 

 

初めの(富士山御来光)は収集仲間の課長さんからですが、「富士山の上からで富士山が写っていないけどどうする?」と心配していました。近鉄大一トラックは事務所が自宅近くなので直接出向いて貰いました。右二番目の(静岡聖光学院)は、店のカードを同封して郵頼したカードです。

三番目の(まかいの牧場)は地元なので直接出向いて購入し、収集仲間にも配りました。

右最後の(ホールインワン)は個人のカードですが、富士宮ゴルフクラブに勤務する知人から貰いました。

 

 

 

 

 

 

初めの(日本プラスト)その下の(土井鋼材)は地元の企業なので直接出向いて貰っていました。どちらも購入したわけではなく、好意で貰ったので収集仲間に配れず、申し訳なく思っていました。

 

大富士ゴルフ場は近くで料金も安いのでよくプレーしましたが、なかなか難しいコースです。

郵頼にしても直接出向いても、購入するカードは収集仲間の分も買いますが、貰ったカードは複数ありませんので配ることができませんでした。

 

 

 

 

 

初めの(浅間大社)自宅から数分の神社です。この神社二枚目のカードで、初めのカードは前回ご紹介した東京テレカでした。こちらも数枚購入して収集仲間に配りました。

右三番目の(JATCO)は努めている友人に貰いました。他の6枚はすべて収集仲間からです。

 

ゴルフ場のカードは前回ご紹介した東京テレカにも多く、名古屋テレカにも数多くみられます。静岡県のゴルフ場はどこも富士山ビューを売りにしていました。私の地元のゴルフ場は私が入手できましたが、裾野、御殿場、伊豆方面のゴルフ場はどれも電話局の課長さんにいただきました。

 

沼津や伊豆のゴルフ場ではプレーの経験がありますが、御殿場のゴルフ場は私は出かけていませんのでプレーの経験がありません。

 

 

 

 

 

 

このページはすべて収集仲間の電話局の課長さんともう一人の収集仲間から手に入れています。

自分の手で手に入れたカードは一枚もありません。

 

 

 

 

 

右上はまたも(JATCO)です。もちろん友人に貰いました。一つの会社で5枚目のフリーカードです。左二番目は(燦々沼津)で、昨年同様沼津の電話局で販売していました。その右側の(まかいの牧場)は前回のイラスト図案同様私が出向いて購入し、収集仲間に配りました。

左三番目の(富士山カップ少年サッカー大会)は残部がなく、偶然一枚だけ購入することができました。下の富士宮ゴルフクラブは勤務する知人に貰い、その右の農協は勤めている友人から貰いました。

 

この頃は以前のように夢中になって集める情熱が失われていました。偶然手に入れられれば良いと考え始めていた頃です。ナンバーを見るとわかります。5000番台から、最後の二枚は11000番台、17000番台まで飛んでいます。

 

 

 

 

そして最後の二枚です。左側の(nippi)のカードは勤めている友人に貰いました。この写真もその友人が撮影したそうです。その右側は市役所に努めている知人から貰いました。

 

20歳代の終わりころから集め始めたカード収集も、この頃には私も40歳代、そしてカード収集に終止符を打ちました。投機家たちはとっくにテレホンカードに見切りをつけていました。コレクターも金券ショップなどにカードを手放した方も多いようです。

 

私はそれぞれのカードに手に入れた時の感動や苦労が思い出として残り、手放すことができません。たまに取り出してみると当時がよみがえって楽しいものです。後期高齢者となるころ「認知症予防になるかな?」なんて考えています。