私と最も付き合いの長い人形をご紹介します。幼い頃はよく近所の年長者《小学生》について回って遊んでもらっていました。その多くがこのピエロの人形を持って遊んでいました。仲間内でのブームだったようです。

 

隣接する商店街ですが、我が家から歩いて3分程度の場所に空き地があり、そこには週末になるとせとものやさんがテントをを広げて食器などを販売していました。そこで販売していて、子供たちは小遣いで求めたようです。価格は5円~10円程度だったのではないかと思います。

 

3歳から4歳程度の私は欲しくて羨望の眼で観ていました。幼い私に持たせると毀される事を警戒してか、誰もいっさい触らせてもくれませんでした。自分で欲しくてもまだお金を使わせてもらえる年齢ではなく、ただ眺めていました。

 

初めて手に入れたのは6歳頃の事です。遊びに飽きた近所のお姉さんに貰ったのです。その時の喜びは今でも覚えています。これは青服ですが、ピンクの服と二種類ありました。子供心にピンクは女の子用、なんて思っていました。

 

そんな思いが祟ったのか、ピンクは一年もたたずに失くしてしまいました。爾来こちらは大切に部屋のガラスケースに飾り、常に一緒にいました。小学6年の頃には、まだ12年しか生きていないのに「懐かしい時代の思い出の人形」と位置付けていました。

 

もう55年以上一緒にいます。眺めていると幼い頃がよみがえってきます。もう少しすると私の惚け防止の一助となってくれるのかも知れません。

 

 

               高さ 6.7センチ

 

 

 

実はこれ、塩胡椒入れなんです。だからせとものやさん(食器屋さん)で扱っていたのでしょう。

 

 

ところでその食器屋さんはどこから来ていたのでしょう?。ほぼ毎週末の事ですから遠隔地とは考えられません。私の所在地は静岡ですから、せいぜいお隣の愛知県あたりだったのでは?、と想像しています。とすると、有力な候補地は瀬戸ではないか?と考えています。

 

 

 

色鮮やかで、デフォルメされた姿に子供たちは夢中になったのかも知れません。口が飛び出していますが、こんな感じにデフォルメされた、オキュパイドジャパンの野球選手を拝見した事があります。同じように口が飛び出していました。同じメーカーかも知れません。

 

 

 

 

底面を見ると【JAPAN】 の印字が見られます。こちらでははっきり分かりませんが、実は同じ姿を二体持っていました。一体は壊れてしまいましたが、そちらには【JAPAN】 の印字がはっきり残っていました。

 

 

 

本来は戦前の輸出用、塩コショウ入れだったのではないかと考えています。地元で販売していたのは戦後10年程度の時で、戦前の在庫商品を販売していた事は容易に想像できます。

 

戦前の在庫食器を積み込んで、出張販売で安く売っていたのだと思われます。同じ商店街には大きな食器屋さんもありましたので、よほど安価でないと毎週末に出店することは引き合わなかっただろうと思います。

 

 

因みに、小学2年の頃そのせとものやさんを覗いた時にはすでに完売したのか、販売していませんでした。そして5年生の頃にはそのせとものやさんも見かける事が無くなりました。