2寸から3寸程度の、同じような特徴を持つ小さいサイズの人形を纏めてみました。これは清水寺参詣土産人形と呼ばれるようです。要するに清水寺の参道の売店で販売されていたと言う事なのでしょうか。
京都で焼かれているようです。京人形の流れをくんでいると見て良いのでしょうか。大衆人形とはまた違った雰囲気で一つの世界を作り出していて、楽しい仲間で和ませてくれます。
大きな特徴としては、少し艶があり色が残っています。ワニスか膠でも薄く塗布しているのかもしれません。そのためでしょうか、顔などが象牙色をしています。顔がいかにも日本人らしく、庶民的なのも特徴と言えるかもしれません。
小さいのにも係わらずしっかりと重みがあり、豊富な彩色で丁寧な造り、とても愛嬌のある魅力的な仲間たちです。参詣のお土産と言うとそんなに高価だったとは思われませんが、実に丁寧で現在作成すると、とても高価なものになってしまうのではないでしょうか。
ところで造られていた時代も私は知りません。大正時代あたりから昭和初期あたりだとは思いますが…。そしてどのくらいの期間販売されていたのでしょう。
金泥や銀泥が多用されている場合が多く、着物の柄のように筆で描かれています。題材は歌舞伎や浄瑠璃の戯作から、子供姿や舞妓さんなど生活篇と言えるものまで幅広く見られます。
錦人形とは?
古い時代の京都のお土産品で、《錦人形》と呼ばれるものがあるそうです。五条坂に連立する人形店で販売されていたようです。もしかすると、このページの人形たちの事なのでしょうか。
ネットで調べたところ、京都の大学で聞き取り調査が行われたそうです。その資料には京都の旧い人形店に在庫として残されていた大量の磁器玩具の写真がありましたが、それは明治から作られていた瀬戸の磁器玩具人形でした。
その店では、古くは製造と販売を行っていたそうですが、三代前から販売のみとなり、美濃や瀬戸から商品を仕入れていたらしいと言う事でした。写真はその時代の在庫のようです。(三代前は大正時代のようです)
京都の五条坂には数多くの人形店が軒を連ねていたので、多くの種類の人形が取り扱われていたのでしょう。数軒の店が写った古い写真を見ましたが、《錦人形》《卸》(販売)と書かれた看板が各店に見られました。
中には前出の磁器玩具を販売する店があり、また中にはこのページでご紹介のカラフルな人形を取り扱う店も多かったのかもしれません。御所人形に近いものもあったと考えることもできそうです。
《戦前の陶磁器人形1~4》でご紹介した、京都で作られた重い磁器人形も扱っていたようです。
このページの人形が錦人形と呼べるのか、そもそも錦人形とは何なのか、先の人形店の聞き取りを行った京都の大学の話では、まだ学者や専門家の調査が進められておらず詳細は不明なのだそうです。
これまでご紹介した大衆人形では、歌舞伎の演目や歴史上の人物らしい姿を【歴史篇】として、一般生活らしい姿の【生活篇】と区別しています。こちらでも同じように区別して、今回は【歴史篇】に含まれる姿あたりをご紹介します。
しかし私ははっきりと理解している訳ではありません。【歴史篇】らしいナ…、と言った感じが多くあり正確ではありません。お気づきの点はご教示ください。
五条坂には製造元を兼ねた数多くの店舗があり、店舗によって顔の絵付けなどに違いが見られます。並べて顔を見ていると幾つかの特徴が分かります。 48
忠臣蔵《大石内蔵助》
大衆人形同様、先ずは忠臣蔵からです。当時から人気の高い演目だったようです。
高さ 7センチ
、≪元禄名槍譜≫
はっきり分かりませんが、この姿は討ち入りを題材にした講談で有名な【俵星玄蕃】ではないかと思います。1802年、大玄斎蕃格が忠臣蔵の美談として作成した物語で、浪曲や講談、舞台で演じられたそうです。右手に太刀を持っていますが折れています。
俵星玄蕃
二体がセットの姿
一本の戯作に登場する人物です。一緒にならべて販売されていたと思われます。中には二体を併せた箱入りもあったようです。
め組の喧嘩
江戸火消し、め組と関取の喧嘩が題材となった歌舞伎の作品です。大衆人形に多く見られ、め組の親分辰五郎がモデルになっています。こちらは辰五郎と関取がセットになっています。辰五郎の右腕には刺青が見られなかなかリアルです。辰五郎も関取も動きに臨場感があります。
お夏清十郎
江戸時代、播州で実際に起きた事件をもとに戯作が作られた戯作です。お夏狂乱などいろいろな名前がありますが、通称は(お夏清十郎)と呼ばれます。
源氏から子供を守ろうと、三人の子供【今若】【乙若】【牛若】を連れて逃げる常盤御前と子供たちです。二人の子供が一緒で、一人は別に作られているようです。セットで作られているのは、年長の【今若】が別に用意されています。
常盤御前 今若
胸に抱いているのが牛若丸です。 常盤御前とセットの長男【今若】です。
左は4歳の乙若でしょう。 常盤御前は【今若】【乙若】【牛若】の三人
を連れて逃げます。
弁慶と牛若丸
京の五条大橋で刀狩りをする弁慶と、打ち負かした牛若丸の伝説です。
牛若丸 11.2センチ 牛若丸 10.5センチ
若干大きな弁慶です。
高さ 8.5センチ
廓文章(くるわぶんしょう)
顔の造りもサイズも同じような感じでセットのようです。【廓文章】の伊左衛門と夕霧だと思います
藤屋伊左衛門 夕霧
高さ 9.6センチ 高さ 9.5センチ
廓文章の伊左衛門です。 吉田屋の遊女【夕霧】です。
金持ちの商家の若旦那です。 伊左衛門と恋仲です。
助六と揚巻
曽我ものと呼ばれる作品のひとつで、侠客の助六が実は曽我五郎だと言う設定です。歌舞伎十八番に含まれています。島原の傾城、(揚巻)と恋仲である事は有名です。
助六 揚巻
武将
加藤清正
虎退治の清正です。 胸の蛇の眼紋で清正と分かります。
楠木正成
胸に菊水紋が描かれていますので楠木正成で間違いないと思います。
高さ 7.2センチ
巴御前
源義仲に仕える女武者です。女性の甲冑姿と言えばモデルになるのはこの人しかいないと思います。
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 鳥追い
伊達騒動で跡取りの鶴千代を守る 江戸時代、非人に許可された
乳母《政岡》の姿す。 門付け芸の一つで、農耕の祝言です。
武田勝頼 八重垣姫
左手に兜を持った姿です。 左手に持つ兜の霊力で凍った諏訪湖を渡り、
普通に考えると八重垣姫の持つ兜を 許嫁の武田勝頼に会いに行く八重垣姫です。
手にしている武田勝頼と考えますが…?。
石鏡もの
高さ 9センチ
右手には扇を持ち、左手は手獅子を持って頭上に掲げています。歌舞伎の戯作《鏡獅子》の中で、手獅子を持って舞う《弥生》のように見えますが、立烏帽子姿で白拍子のようです。
心謎解色糸 義経千本桜
(こころのなぞとけていろいと) (よしつねせんぼんざくら)
お祭り佐七 いがみの権太
六歌仙容彩 近頃河原立引
(ろっかせんすがたのいろどり) (ちかごろかわらのたてひき)
小野小町 お俊
どちらもはっきりと人物が分かりませんが、多分小野小町とお俊だと思います。
心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)
紙屋治兵衛
よく似た色合いですが、原型は違うようです。浄瑠璃で(たましいぬけてとぼとぼうかうか)と語られる場面です。
楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
石川五右衛門?
高さ 7.3センチ
髪形から石川五右衛門ではないかと考えました。天竺徳兵衛かもしれません。しかし天竺徳兵衛はカエルの上に乗った姿を確認しています。【天竺徳兵衛韓噺=てんじくとくべえいこくばなし】です。
赤垣源蔵 ≪徳利の別れ≫
【赤垣源蔵】は、赤穂浪士の一人です。講談で有名な≪赤穂義士伝≫の話のひとつで、≪徳利の別れ≫に出てきます。四十七士、それぞれの逸話が書かれた≪銘銘伝≫では人気の作品で、兄弟の愛情が描かれています。
高さ 9.6センチ
討ち入りが決まった夜、【赤垣源蔵】は雪の中、兄の塩山伊左衛門を訪ねますが会えず、兄の着物を前に酒を飲み、別れの盃とします。伊左衛門は、弟に会えなかった事を悔やみます。その後討ち入りを知った兄は、弟の形見を受け取ります。
関三奴
(せきのさんやっこ)
歌舞伎の舞踊演目です。元の外題は《大津絵奴》と言うそうです。右の黒い衣装には、手に穴がありますので付属品があったようです。長槍などそれぞれの持ち物があります。三人の奴さんが登場するようですが、ここには二人しかいません。
天衣粉上野初花(くもにまごううえののはつはな)
この二人がセットで箱に入れられたものを見かけています。左手に小田原提灯を持つ、腰の曲がったお爺さんは《按摩丈賀》だと思います。また別には提灯に字が書かれた姿も見ていますがくずし字で読めません。演目では按摩丈賀が似たような雰囲気で登場しています。
按摩 丈賀? 片岡直次郎
河内山宗俊
人物は不明ですが候補は考えられます。【天衣粉上野初花(てんにまごううえののはつはな)】に《片岡直次郎》と一緒に登場する悪党坊主《河内山》だと思います。
人物が想定できない姿もあります。
左手に何か持っている様子です。 この仲間としては大振りです。
手の下側に穴がありますので手燭でも 右手には尺八、左手には脇差でも
下げていたのかもしれません。 手にしているのでしょうか。
とすると(お露)でしょうか。 下駄ばきで鉄火なお姐さんです。
何となく人物の分かりそうな姿を纏めてみました。私が【歴史篇】として纏めている、歌舞伎の演目や映画、歴史上の人物などです。次回は【生活篇】に含まれそうな姿をご紹介します。あくまでも私の主観です。