第二次世界大戦後、アメリカの統治下にあった沖縄では煙草の製造販売は民営会社が行っていました。1951年から1957年にかけて4社のたばこ会社が設立されています。
 
前回ご紹介した琉球煙草株式会社に次いで、二番目に設立された会社は外資系でした。
1954年3月に誕生しています。共産国家の誕生で、大陸にマーケットを失ったイギリス資本の香港煙草が、沖縄の市場に進出したと言う事のようです。
 
初めて沖縄で製造された紙巻煙草を販売しています。≪チャンピオン≫と名付けられた銘柄です。まだ琉球煙草株式会社が細々と刻み煙草を製造している時代でした。
 
価格は5B円と安価で、瞬く間に売り上げを伸ばし琉球の煙草市場に”香港旋風”を巻き起こしました。製品としては《チャンピオン》《マルA》《ミリオン》《インディアン》の4銘柄が確認されています。
 
初めて製造されたと言っても、沖縄での作業は巻き上げと包装だけだったと言う事です。葉煙草はすべて香港からの輸入でした。どうもパッケージも輸入だったようです。そのため輸入煙草に分類されています。
 
1954年5月から《チャンピオン》の販売を開始します。沖縄で初めて作られた【島産煙草】である、琉球煙草株式会社の《おとひめ》が1955年2月の登場ですので、9か月先んじています。
 
本来であれば、琉球初の製造煙草として注目されても良いと思います。≪マルエー≫と比べると現存数も少なく、納税印の押印された証紙付きは貴重なパッケージと言えます。
 
しかし設立から半年足らずで会社は撤退してしまいます。同年10月には解散されています。外資導入の諸問題が解決しなかったようです。
 
また、輸入葉煙草に対する税制面で不利だったことが要因でした。外資系の会社であり、葉煙草を
香港から輸入していたので【島産煙草】と認められなかったようです。
 
 
【琉球香港煙草株式会社】の他にも、別の外資導入の煙草会社が存在した模様です。1953年11月に【球陽煙草会社】が〈琉球政府〉の認可を受けています。1954年に免許更新の申請をしているようですが、どうも許可が下りなかったようです。まだ煙草事業は未着手のままでした。
 
 
この当時、島内の煙草産業の保護育成のため、琉球政府は輸入煙草の煙草消費税と共に関税を段階的に引き上げていました。
 
 
 
                1954年5月1日発売
                   チャンピオン
 
私が琉球煙草の研究で大変お世話になった方は、輸入煙草の扱いとは言え、「沖縄で初めて作られた銘柄としてもっと認知されても良いのだが…」とおっしゃっていました。
 
琉球で初めて巻き上げと包装を行って販売された紙巻き煙草です。しかし輸入煙草の扱いで、証紙は琉球政府の輸入煙草用証紙です。納税ゴム印もありますし、この証紙が大切です。
 
                    〔輸正―7〕
      使用された琉球政府の納税証紙です。納税印〔印―5〕が押印されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
                      マルA
 
この煙草が琉球香港煙草の中で、最も売り上げの良かった銘柄です。こちらも琉球政府の輸入煙草用証紙が使用されています。
                    〔輸正―6〕
               使用された琉球政府の納税証紙です。
 
 
 
 
 
    ミリオン
                ハードボックスの12本入りです。
 
 
 
 
 
             ソフトパックの20本入りも販売されています。
 
 
 
                    〔輸正―6〕
      琉球政府の納税証紙。【”A” マルエー】と同じ証紙が利用されています。
 
 
 
 
《インディアン》は未所持ですが、現物は拝見しています。しかしその写真撮影をしていません。沖縄旅行の際いくつか撮影させていただきましたが、当時のデジカメはまだ36枚程度しか写す事が出来ませんでした。また今度…、と言っているうちに時間がたってしまいました。
 
 
 
 
 
                 琉球民営煙草デザイン
 
ご紹介している資料の詳細は《琉球民営煙草デザイン》にてご確認いただけます。手前みそ乍ら、
小生の纏めました資料です。宜しかったらご覧ください。
 
これらのパッケージは、多くの民営会社のパッケージとともに、いずれもデザイン集の作成の為にと貰ったものですが、ひとつの時代を物語る貴重な資料です。
 
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     国立国会図書館のほか、東京都立図書館、沖縄県立図書館にてご覧になれます。
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