沖縄県は、第二次世界大戦後はアメリカの統治下にありました。1972年5月の復帰まで、切手やはがきの製造販売は琉球政府が行い、たばこは島内に設立された三社の民営会社が復帰まで製造販売を行っていました。(設立された民営会社は4社ですが、1社は撤退しています)
 
民営会社設立以前は輸入たばこと米軍基地からの闇煙草の時代です。日本の銘柄も僅かな種類が販売されましたが、それは専売公社からの輸入品でした。国内販売品と同じ銘柄でも、印刷色を替えたり表示を英語に変更したりと、専売公社が輸出専用に用意したパッケージが利用されました。
 
輸入初期の頃は戦禍の激しかった沖縄は混乱期で、殆どのパッケージが系統立てて残されていないのが実情です。琉球たばこの研究でお世話になった方が〈輸入たばこ〉について調査されていますが、当時の僅かな資料と新聞広告に掲載された銘柄などをまとめていらっしゃいます。
 
それらの沖縄向けに用意された膨大な輸入たばこの中から、〚日本専売公社〛から初期に輸入していたパッケージをご紹介します。1950年~1951年頃の製品です。
 
 
 
 
 
 
最初に、専売公社の琉球輸出品の中では知名度が高く、人気が高い銘柄の《ピース》からご紹介します。昭和25年(1959年)頃から始まった、琉球向け輸出煙草〈第一期〉最後の輸出品と言えます。〈第二期〉と呼べるのは、1954年から始まります。
 
 
                            ピース
 
昭和26年(1951年)から《紺色の鳩のデザイン》に変更されるまでの、1年程度輸入されていました。内箱に琉球政府の納税印が赤色で印刷されています。細かく見ると裏面枠内の英文に変化が見られ、拙著においては2種類に分類しています。
 
また別にもう1種類の英文表記を拝見していますが、そちらは琉球政府に輸出する以前のパッケージのようです。裏面に印刷された英文で分かります。
 
現在では、コレクターは本土で販売していた紺色の箱を【青箱】と呼び、こちらは【赤箱】と呼んでいますが、当時購入していた喫煙者たちは四角く枠取られたデザインから【窓枠=まどわく】の愛称で呼んでいたそうです。
 
 
                   証印=〔印ー1〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
沖縄専用に用意された赤地のデザインですが、パッケージには琉球政府の納税済みゴム印が見られません。内箱両サイドのマチ部分の幅が狭くなっています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    この当時、本土で販売されていたピースは紺色で、輸出用に赤色で用意されました。
                      ↓
                   本土製品【参考】
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               本土で販売されていたパッケージ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
現在販売されている馴染み深い鳩のデザインは、昭和27年(1952年)に登場します。琉球でも1953年頃には紺色で同じ鳩のデザインが輸入されます。
 
外装は本土品と全く同じ体裁で、内箱には初期の納税印が印刷され、両サイドのマチ部分の幅は狭くなっています。正確には不明ですが、1960年頃に納税印のフォントが新しくなります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                      後期
 
内箱サイドの幅は広くなり、赤色で印刷されている琉球政府の納税印の活字も違います。また、外装セロファン使用のために鳩のデザインが下側に3mm.移動しています。1969年10月からセロファン包装のために変更されました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                   1950年8月頃
 
 
                    紙巻き煙草
 
1950年8月頃に輸入されていた銘柄です。3銘柄が記録に残りますが、いずれも半年程度と短い販売期間で姿を消したと言う事です。沖縄でもほとんど目にすることはありません。
 
 
 
 
                      朝日 
 
                   1950年8月ごろ
 
                    証紙=〔輸正=1〕  
 
 
本土と同じパッケージに琉球政府の丸型納税証紙を貼付して販売されました。表記は日本専賣公社に変更されていますが、証票はまだ【桜証票】です。本土では昭和28年(1953年)頃に【専】をモチーフにした新しい【専証票】に変更されます。
 
また、本土の販売品は昭和25年頃には旧字体〚日本専賣公社〛銘から新字体の〚日本専売公社〛銘に変更されていると思います。琉球では見られません。
 
琉球での販売期間は短く、多分一度きりの輸入だったようです。本土ではよく見かけるパッケージですが、琉球政府の証紙付きは沖縄でも少なく、ほとんど見かける事がありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                      光
 
                  1950年8月ごろ
 
                   証印=〔印ー1〕
 
本土で販売されていたパッケージと同じ製品に、琉球政府の納税印を押印しています。表示は日本専賣公社になっていますが、証票はまだ【桜証票】です。本土では、昭和28年(1953年)頃に【専】をモチーフにした新しい【専証票】に変更されます。
 
太陽など黄色の部分が金色に戻されたのが昭和25年8月なので、その時に輸入されたと思います。
 
本数が〔拾本入〕と旧字体です。本土の製品は、昭和25年頃に【賣】が【売】に変更され、サイドも〔十本入〕と新字体になります。琉球で販売された期間は短いので〔十本入〕は存在しません。
 
本土ではたくさん残っているパッケージですが、琉球の輸入は短期間(多分一度きり)で、現在沖縄でもほとんど見られません。琉球の輸入品は納税印だけで区別できます。
 
 
 
 
資料によると、【みのり】【光】【ゴールデンバット】【朝日】が半年程度で姿を消しています。
 
 
 
 
 
 
残念ながら【ゴールデンバット】は、琉球で販売されたパッケージの現存の確認ができません。
 
専売公社に詳しく残されている資料から、輸入された時代と本土で販売されていたパッケージを合わせてみると、多分本土で販売された中の、下のパッケージではないかと思っているのですが……。
 
                   本土製品【参考】
 
 
本土で販売されていたパッケージを参考に展示しましたが、琉球販売品には【光】と同じゴム印か、【朝日】と同じ丸型証紙が貼付されていたか、どちらかではないかと想像されます。

 
本土では、昭和24年6月1日から販売されたパッケージです。表記が【専賣局】から日本専売公社に変更された時です。昭和25年頃までは旧字体の【賣】が使用されていた可能性もあります。まだ四方連続の簡易包装で、どこでも裁断できる包装紙だった時代です。
 
 
短期間でデザインの変化が激しいのですが、専売公社に細かい変化の資料は残されています。
一方、琉球には輸入された時期が資料に残っています。パッケージは、専売公社の資料と琉球に残る輸入販売の資料を照らし合わせると、このデザインの確率が最も高いでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和24年6月ごろには専売公社の刻み煙草も輸入されていたようです。琉球煙草株式会社が刻み煙草を製造しているので、ごく少量の輸入です。
 
【みのり】【ききょう】の2銘柄が当時の資料に残っていますが、残念ながら琉球販売で現存するパッケージはどちらも確認していません。
 
本土で販売されたパッケージも物資不足のため短期間で変化が激しく、琉球輸出用のパッケージを確定することは難しいのですが、専売公社では文字表記やデザインの変化が細かく記録されていますので、そうした専売公社の表記、証票のマーク、販売時期などの資料を見ると候補は限られます。
 
 
  沖縄の資料に残る、輸入された時期と同時期に販売された本土の製品を参考に展示します。
 
                    みのり
 
本土では昭和16年に粗末な紙を使用して単色印刷で発売されています。昭和24年6月に3色印刷で販売され、そのパッケージが輸出されたようです。どうも1回の輸入にとどまり、姿を消すのも早かったものと思われます。
 
本土製品【参考】
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本土の販売品は、まもなく専賣公社の位置が左側に移り、楷書体となります。グラム表記もすぐに【三十瓦入】から【三十グラム】になります。昭和24年だけに見られる、本土でも短期間のパッケージです。
 
日本専賣公社と書かれていますが、証票はまだ【桜証票】です。本土では、昭和28年頃に【専】をモチーフにした新しい【専証票】に変更されます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                     ききょう
 
本土では、昭和23年に単色印刷で販売され、昭和24年6月に3色印刷となります。この3色印刷の製品が輸入されたようです。こちらはその印刷の最も初期のパッケージです。琉球で1952年までは輸入していた事が分かっています。
 
                   本土製品【参考】
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《みのり》と一緒で、昭和24年(1949年)に見られるだけの本土でも短期間のパッケージです。本土では昭和25年(1950年)頃に日本専賣公社の表記が左に移り、【賣】が【売】に変更されて楷書体となり、【三十瓦入】表示も【三十グラム】表示に変更されました。

証票は証票はまだ桜が描かれた【桜証票】です。本土では、昭和28年頃に【専】をモチーフにした新しい【専証票】に変更されます。
 
【ききょう】は長期間輸入されていました。琉球では1952年の【沖縄タイムス】にも輸入業者の宣伝広告が見られます。1952年10月までは輸入されていますので新しいパッケージも販売されていたのでしょう。
 
 
 
 
今回ご紹介した初期の専売公社の煙草は、マルヒラ商会が輸入していたようです。1952年の新聞広告をご紹介しておきます。
 
1952年12月19日  沖縄タイムス
 
 
 
とりあえず今回は初期と言う事でこの辺りまでです。次回続きをご紹介します。
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらでご紹介している資料は、《琉球民営煙草デザイン》にてご覧になれます。 手前みそ乍ら、小生の纏めました資料です。宜しかったらご覧ください。
 
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     国立国会図書館のほか、東京都立図書館、沖縄県立図書館にてご覧になれます。
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