『八代亜紀 お別れの会 ~ありがとう・・・これからも~』


『八代亜紀 お別れの会 ~ありがとう・・・これからも~』が3月26日、東京・蒲田にある片柳アリーナで催されたそうです。



著名人など豪華参列者、関係者1000人、ファン2000人などが別れを告げました。


お別れの会は、コンサート形式で執り行われ、ステージ復帰を強く願っていた八代さんの思いを反映した形で執り行われました。


八代さんの志を継ぐため、会場にはグッズ販売が設置され、収益の一部を、能登半島地震など震災の被災地・動物保護団体・児童養護施設へ寄付されるということです。


〔以下は、3月6日公開したブログです。〕

八代亜紀さんの膠原病発症

今回、八代さんが発症したのは皮膚筋炎です。筋肉の炎症がおこるほか、指先や肘・ひざの皮膚の炎症が起こります。八代さんのは、間質性肺炎を合併し、急速に進行し亡くなりました。


間質性肺炎は、酸素を血管に送り込む肺胞のまわりの間質という壁が固くなって血管に酸素を取り込むことが難しくなる病気です。


初期症状は、痰がからまない咳、息切れ、持続する筋肉痛、指先・肘・膝などの皮膚潰瘍などです。



私が間質性肺炎を発症したとき

の場合は、微熱、倦怠感、痰のからまない咳や息切れ、不整脈がありました。手の指のこわばりは、しもやけと間違えられました。


ある日、ずっと続く具合の悪さにたえられず、救急に行きました。病状を説明すると、血圧や熱などを調べられた後、あらためて大学病院の予約を取るように言われました。予約を取るとなると、詳しい診察を受けるのはだいぶ後のことになります。


すると、運の良いことに、膠原病専門医の先生が現れ、話を聞くやいなや、すぐ心電図とレントゲンを取るように看護師に指示したのです。その結果、緊急入院となったわけです。


入院中は、入院前より状態が悪くなりました。酸素吸入しなければならなくなるほど呼吸が苦しくなったり、突然、一気に全速力で走った後のように心臓が動いて止まらなくなったり、朝になると高熱が出て夜になると熱が下がるパターンが続いたり。何度、10数人ほどの医師・看護師が駆けつける事態となったことか。


 シェ-グレン症候群による症状も、入院中の環境は、私にとって酷でした。空気全体が乾いているため、余計に目、喉、皮膚全体が乾きました。


ステロイド治療を行っているにもかかわらず、熱が下がらないことに、担当医グループも手をやき、薬の量も数も増えました。一時期は、膠原病疾患以外に、ウィルス性の肺炎もあるのではないかと疑われ、検査も増えました。なかなか状態が改善しないことから、入院期間が延びて行きました。


多発性筋炎は、間質性肺炎が起こってから、かなりの期間が経過してから起こりました。筋肉に炎症が起こっている自覚はなく、むしろ様々な皮膚トラブルに悩まされていたことで受診し、予期していなかった筋炎が発覚したのです。


検査の結果、多発性筋炎と強皮症の初期症状があったわけですが、膠原病とは別に、ステロイドや免疫抑制剤の副作用が、様々な皮膚の症状につながったようです。蕁麻疹、湿疹、帯状疱疹、薬疹による激しい発疹、抜け毛を経験しました。


皮膚トラブルはあっても、多発性筋炎と診断されたのは、皮膚筋炎に特徴的な皮膚症状ではなかったからでしょう。


手の指先が白くなったり、紫色になったりするレイノ-症状や足先のしびれ、手の指先の割れなどは、現在も続いています。


八代さんの場合は、皮膚筋炎から間質性肺炎を引き起こしたわけですが、筋炎と間質性肺炎は、併発しやすいということです。


間質性肺炎は、急速に進行し、呼吸不全を起こして亡くなるケースも多いようです。


膠原病の怖さ

これからも付き合って行かなければならない膠原病の1番の怖さは、内臓疾患に至ることです。内臓を囲む細胞が堅くなって機能しなくなっていくこと、紫外線が皮膚に何らかの影響を及ぼし、ガンを併発したりすること、血流が滞ってカラダに支障が出てくることなど、自覚のないまま進行してしまうことです。そしてもう一つは、ステロイド治療による副作用です。どっちかが良ければ、どっちかが悪いという状態です。


逆に、関節リュウマチのように、痛くてたまらない病気もあります。膠原病は、いつ、どこで、どのような病状が合併してくるかわからないこと、病状が急速に変化する場合もあることも、大きな不安材料ではあります。



演歌の女王「八代亜紀」に達するまで

八代さんは、歌が好きだと自覚する前から、余白のある紙を見つけると、絵を描いていたそうです。歌が好きと自覚した瞬間は、3歳頃、父親の歌っていた浪曲を聴いて、気持ちが揺さぶられたときだそうです。父親は、絵も書もうまく、両方とも父親の影響なのだと言います。


親の反対を押し切って、高校にも進学せず、歌が好きなのだからと、地元熊本のバスガイドになりました。しかし、シャイな八代さんにはうまく行かず、バスガイドを辞めて、キャバレーで歌い始めました。


数日後、それを知った父親は激怒し、勘当を言い渡しました。


東京に出てきた八代さんは、銀座のクラブで歌い、21歳でレコードデビューもしましたが、まったく売れず、全国キャバレーまわりをしました。その頃になって、ようやく勘当も解け、応援してくれるようになったそうです。


その後、「全日本歌謡選手権」に出場。10週勝ち抜き、「なみだ恋」に巡り合え、今日の演歌の女王「八代亜紀」という栄冠が達成されたのです。



歌手八代亜紀の全盛期

八代さんの歌手デビューは、1971年。1973年「なみだ恋」の代表曲、そして、1979年「舟唄」の大ヒット、1980年「雨の慕情」で日本レコード大賞と日本歌謡大賞のダブル受賞。NHK紅白歌合戦の大トリで八代亜紀全盛期となりました。




歌と絵画の功績

歌:

2010年、文化庁長官表彰を受章

2012年、ジュリー・ロンドンのカバー曲などを入れた「夜のアルバム」発表。

2013年、NY老舗ライブハウスのバードランドでのジャズライブを開催。

2022年、デビュー50周年パリ公演。


絵画:

2012年、フランスの国際公募展「ル・サロン展」で作品発表、5年連続入選。永久会員。



八代亜紀さんの私生活

その後、事務所設立やレコ-ド会社の移転、尾骨の骨折や声帯ポリープ手術などの苦難が続きました。


苦難を乗り越えるきっかけとなったのが、マネージャ-増田登さんとの結婚です。増田さんは、事務所運営や人間関係まで、すべてのことを切り盛りしました。歌のほかに、絵画制作にものめり込む八代さんを支え、月2回箱根のアトリエ「八代荘」で 絵に没頭する時間も作りました。


しかし、40年以上も 連れ添ってきた増田さんとの離婚がもとで、私生活は崩れ、不規則な生活になって行ったといいます。離婚の原因は、増田さんの浮気だったと言われ、八代さんにとって、すべてのことを支えてきた増田さんを失った痛手は大きかったでしょう。



ストレスは膠原病原因の一つ

膠原病の原因は、まだはっきりわかっていません。八代さんにも私にも共通するのは、ストレスです。


八代さんは、離婚後の生活が乱れて無理をしたこともありますし、精神的にも大きなストレスを抱え込むことになったでしょう。


私の場合も、夫の単身赴任によるシングルマザーのような生活。息子の中学入学と引っ越し、新しい仕事経験などが重なった時期でした。



八代さんのドラマ出演にびっくり

私が、画面を通じて八代さんを最後に見たのは、Netflixのドラマ「Followers」です。

 たまたま、そのスト-リ-性に惹かれて見始めました。


意外だったのは、八代さんが画面に現れたことです。『八代亜紀って、映画もやるんだ!』と、久しぶりに八代さんの姿を見て思いました。とってもお茶目で、明るくかわいらしいママさんでした。人気写真家として活躍する娘を相手にする、どこか滑稽で世話好きな母親でもありました。


ドラマ :                                                                  蜷川実花が監督を務めたNetflixオリジナルドラマ「Followers」に、八代亜紀が中谷美紀の母親役で出演。東京舞台にし、SNSを通じて成功者と名もない若者の人生の絡み合うスト-リ-。八代さんは、人気写真家の主人公奈良リミ(中谷美紀)の母・ヨーコ。リミを自己流でサポート。


蜷川実花 コメント:

以前、八代さんを撮影させていただいた時に「なんて明るいオーラの方なんだろう、こんな可愛いらしい方に会ったことがないなぁ」と思いました。出会う人みんなを笑顔にさせる、とてつもないポジティブパワーがとても印象的だったことを覚えています。今回、「ヨーコ役は八代さんがいい!」と一度思いついたらどうしても八代さんにやっていただきたく、熱烈にオファーしました。実現できて本当に嬉しいです。』



好きなことに打ち込んだ人生

『私にとっては歌が絵を支え、絵が歌を支えてくれているんです。


自分には好きなことがないと言う人もいますが、子どものころにはきっとあったはず。それを思い出してみるのがいいと思います。


コンサートで、ファンの方にはよく言うんです。「月に一度だけ、家事を休む日をカレンダーに書き込んでみて」って。そうするとね、家族も観念しますから。友達とランチをしたり、ゆっくり美容院に行ったりするのもいいと思います。そうしているうちに、この一日をもっと有効にすごしたいと思うようになるんですよ。


月に一度でも、やりたかった習いごとができるかもしれない。あるいはお友だちと好きなことをするために集まる会を作って、一緒に何かできるかもしれない。


好きなことかどうかがわかるかは人それぞれだと思います。ただ、私は「好きなこと」から離れることができなかった人生を、しみじみとありがたいと感じています。』  八代亜紀





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参考サイト:


https://news.yahoo.co.jp/articles/b390a0d970c429ecbc17c5dd1d52f38188529866


https://news.yahoo.co.jp/articles/eb6f1128d99056c5c64b3ede443f4029996230cf  


皮膚筋炎/多発性筋炎(指定難病50) – 難病情報センターwww.nanbyou.or.jp


https://natalie.mu/eiga/news/360086