Do think after feel! -4ページ目

Do think after feel!

感じるのも大事だけど無駄なこと考えるのは楽しい

皆なんとなく違いは頭の中にあるがどうも統一されていないように感じる文明と文化の違い。明らかに誤用されているような場面も時々見受けられるように思うので改めて定義の違いはなんだろうと考えてみた。

定義として私自身が理解している範囲でいうと、文明とは生活をより楽にするための方法論や技術の体系で、文化とは生活を豊かにする為の様式や美意識の体系だと思っている。

文明がある程度発達した上に文化が花咲く。

文明は雨風をしのいで健康を保つための土木建築技術、それを応用した食料増産の為の灌漑技術や、機器(鉄器/青銅器など)の生産方法であって思想の面は文明に含めないで考えることが必要なんじゃないか?

言語自体も文明の要素だが、あくまで意思伝達のツールとしての言語(と文字)であり、言語そのものは文明の一部だが、その個々の違い(日本語、英語、中国語等)という部分は文化の範疇に入る。同様に宗教というのも人が集まって暮らす為にはある程度倫理観が統一されていないと不便が多いので、宗教総体としては文明の一部だが、三大宗教の違いであったり、その中での分派されたものを語るのは文化の範疇だと思う。調理技術(焼く、煮る、炒める等)は食あたりを防ぎ人々の健康や生産性を保つ為の技術としては文明の一部だが、中華料理、フランス料理、イタリア料理、和食等の調理技術をベースとしてそれぞれの民族の美意識にあったものに発展させていった部分に関しては文化の範疇だろう。

例えばお茶を飲むというのは生水をそのまま飲むのでは健康を害する恐れがあるので、煮沸した水を飲みやすいように植物の葉っぱを入れるというもので、必要に迫られた技術の体系だが、日本文化のお茶というものは茶碗を何回まわすとか(無知で申し訳ない)等に現れているように必要に迫られてということよりも、相手への気遣いをどう表すかということを様式化したまさに文化そのものだ。お茶に関しては現在においては水のろ過技術の発達によって文明としての役割は終わってるとは思いますが。

そうして考えると初期のインフラ整備は文明でその利用の様式が文化だと思えてくる。最近の例でいうとインターネットというのは(それが制限や意図的な操作を伴わない限りにおいて)インフラであり文明だ。ただその中で語られることやコンテンツに関しては当然文化の範疇だが、ボーダーレス化することによってその垣根がわかり辛くなっている。

文明は普遍的で思想を伴わない技術で、文化はより固有性が強く思想を伴うもの、もしくは思想そのもの。こう理解した方がいいのではないか?

文明と文化を混同して語る例として、よく言われる四千年の中華文明なんて言われ方がある。これは誤解を招く言い方で、最初に長江流域で発達した稲作(食料生産技術)や、中国大陸で発明された火薬、羅針盤、製紙技術に関しては中華文明だが、そこに付随して発達した華夷秩序等の思想や儒教や道教の教えに関しては文明ではなく文化の範疇で語られるべき事柄だと思う。

文明という技術は発達による進歩が存在する(それも是非はあると思う)が、文化という思想には優劣はなく、個別の違いやその文化を有するグループの文化に対する愛着度をはかるような論じ方にとどめておかないと争いの元になるだけだ。

もちろん文明の進歩とはどこの文明が優れているという優劣の話しではない。進歩の段階はあるが進歩すなわち善でもないし、技術の発達イコール善ということでもない。地域文化によっては必要でない技術文明も存在するから、世界全体に通用する文明なんて話しをするとそれが文化侵略や価値観の押し付けにもつながるだろう。

科学技術文明の代表のように言われる西洋文明というのも産業革命から始まる技術革新について文明とするのはいいが、それが便利だからといって思想面を含む生活様式まですべて西洋化することを文明開化といってありがたがるような態度は滑稽に見えたものだろう。技術の取り込みと思想改造は違うということだ。

明治維新には洋才和魂という言葉がよく使われ、西洋の技術は取り入れるが日本の心を保つことの大事さが説かれていたことを考えると昔の人の方がより物事の本質を捉えていたように思える。

そう思うと世の中の進歩は幸せに繋がるんだろうかなんて考えるがそれも無駄なんだろうか?