私にとって
課題となった言葉で
むかしから
魂はどうなるかが
生きていることはどういう事か
そんな事を
考える子供でした
知りたいになったきっかけかもしれません
どちらかと言えば
世の中の不思議を
あまり疑問に思わず
そうなのか~って思うため
あまり相手も疑問を持たずそうなのか~って感じで・・・
一発目はいい人を演じれるタイプみたいです
さて、それはさておき
人はどうして生きているのでしょうか
他の不思議は
あまり感じなかった私ですが
生きていることの不思議はとてつもなく大きなものでした
そして
わたしは生きていていいのでしょうかという
疑問もありました
まぁ
いじめられたりなんかしたら特に
悲劇なヒロインなように
私なんか生きていなくていいのよって思っていたときもありました
ある日
父の母
つまりおばあちゃんがなくなりました
生きて
動いて
可愛がってくれたおばあちゃんが
動かなくなり
冷たくて
ただの物、そして焼かれて骨になったのをみて
生きていることは奇跡なんだなぁと感じます
中学校の時でした
わたしは一人で生きているのではなく
命をもらって生きていることを感じた、はじめての事です
大切にせねばと思った出来事でした
だけど
命を大切にすることと
生きている意味は
少し違うように感じました
どちらもかけがえのないものだけど
何が違うんだろう?
いまもそう思い続けています
ただ、簡単に考えれば
わたしは自分のために生きていますが
人のためにも生きているのです
わたしが生きていることでこのひろい世界の中で何か一部になるために
親が私に与えてくれたことを
私がわかるまで
いま、シンドイと思っても生かされているように
命が終わる瞬間に、きっと、自分はなんだったのかを知るまで
頭の中にあるであろう
心で考えるのだろうと思います
奇しくも
頭に心があると考える
発端になった
わたしの回りに感謝です
腹立つ事も
一杯あるけど
自分の腹に納めて
消化できれば
自分のいきる力になるはずと信じて・・・
今日も
心で感じたことは頭で記憶
許せないことは
自分が許せば向き合えると信じています
ただ
今は感情が消化不良のために
少しイライラして
減退ぎみですが・・・
なにより
いらいらの渦に巻かれたときは
そこから少し離れることを意識して
違う事を考える
忘れるのではなく
重たい
しんどいと感じる自分を
労るために
元気なときには
いつも持っている荷物が軽いように
また軽く感じるように
休ませてあげないと
不足ばかりに目が行き
つかれてしまい
きっと病気になる
だから
今日は取り合えず
もう寝ようと思います
足らないと不満をいって
次々欲しがるより
足りる幸せが自分に感じれるように
自分で持って行けるといいなと思います