一人は
さみしいものなのかと自分に問いかけた時

私は一人でもさみしくないと答える事ができる


だって
本当の一人

って事はいまの時点ではないもの


必ずちかくで生きている何かがあるもの

だから
私は大丈夫

一人でもさみしくないと言うことと

二人でいると
あったかいとは違うけど

同じように考える人もいる



なくなったものを
思い出す日は
自分が変わりたいとき

泣きたいぐらい詫びたいときも

自分がどうすればいいかがわからないときも


最後は
一人で決めて、また今を生きていく

寄り添う命
自分と反発する命


すべてが
自分をよくするために

今現れると信じたい




だから私はさみしくない

一人も楽しんで
生きていきたい
自分のなかで

認めてほしい!
これって偉い!

って
すごく感じて主張したいときがありますが

しかしながら
違う人からみればちっぽけなものかも知れません


当たり前な事かもしれません


逆に
とてつもなくすごいか事かもしれないし


亡くなってからしか認められない事や
またはバカにされることかもしれません


しかしながら

いま自分ですごいと思ったことを認めれば

それでいいんじゃないかと思います


人は生きている間で
気づきがたくさんあります
忙しいは儲かると

大阪の人はいいますが

心が亡くなると
儲けもなくなるように思います

見えないことは
見えるように

見えたことは気づいていく

そんな風に
生きて行ければと

仕事で珍しく
会社に缶詰泊まりがけで
シャワーと着替えだけ家に帰った一週間目で
あったかい電車のなかで
席に座れずモーローとした頭で、眠さと戦いながら


書いています~

あるいみ実況中継~?
「ほしい」という欲望は

人を変えてしまうばかりでなく、対象になるものを得るために
周囲を乱してしまう事が
多くある

でも
宇多田ひかるの歌詞にもあったように

誰かの願いがかなうころ
あのこが泣いているよ

あのこは人ではなく

生き物すべてが
あのこなのではないかと

そう思います


人の幸せを祈る一方で
不幸は願っていないけど
泣いている命もあり


なくなった命もある


一瞬でも存在したその命が

今ある命に取り込まれ

また
いきることができればいいのにと

本当に
祈るように
切に願います


あしたまた、仕事で

五十年以上
いき続けてきた方々を

もう
なくなる場所から撤去をするために切ることになっています


私が

イラナイ子だったの?

凹むことがあったときに
自分の中で問いかけた言葉は

もし
世の中のすべての人がイラナイといったとしても

私は存在を覚えているし

大切な命にはかわりないからまた会おうね

そう伝えて

次に進みたいと
そう思うようになりました

一緒にいたことを忘れない

今、存在が許されているから生きている

感謝しよう

ありがとう

憶えておくために
今がある


あなたとあえてよかった