よくないといけないのは
まず自分
飽きることなく求める
よいではなくて
足ることを知る自分
点検できる自分
人に何かを伝えたいのに
自分のことしかかまうことができなければ
外に向いて表現ができない
人に働きかけることもできない
と、そう感じます
ただ、何もかもが
足りてしまえば
先に向かう事ができなくなってしまうから
満足になるように
足ることを解る自分
不足をどのようにすれば満ちるのか
考えてできるのが
大人なのではと最近感じます
自分がよければよいと
自分さえよければいいとでは
意味が変わるように感じます
自分がよければいい
は、自分のルール、価値観による承認があり
外にも向かう、ちからになりえると思います
自分さえよければいい
は、他の事はどうでもいいけど私は満足したいの!と
不足の要素を感じるような気がします
いずれにしても
いまの世の中も
オーケストラの様に
共同作業によって
できあがると仮定すると
少々の事は
ノイズで
いいも悪いも
ある意味
自分が生きていく上で必要だから出てきた
ちゅうことではないかと
最近思います。
要らないものが
世の中にはありません
気づかせるために
そこにあります
なくなったものは
記憶にあります
だから
苦しく
いとおしい
そして、いまの自分になるのだと思います
一人では
一人のことしかできませんが
一人が一人の事をできると、二人になったときは二人以上
たくさんになったから
いまの世の中で
すべてが
命をつなげるために
この世の中で生きていると
そう思います
自分が光であれば、みんなが明るい
みんなが照らせば
もっとあかるく
また、違う明るさがうまれる
と
思います
命に分け隔てはなく
全て一生懸命生きてます
だから
自分でいいのです
生きているのだから
まず自分
飽きることなく求める
よいではなくて
足ることを知る自分
点検できる自分
人に何かを伝えたいのに
自分のことしかかまうことができなければ
外に向いて表現ができない
人に働きかけることもできない
と、そう感じます
ただ、何もかもが
足りてしまえば
先に向かう事ができなくなってしまうから
満足になるように
足ることを解る自分
不足をどのようにすれば満ちるのか
考えてできるのが
大人なのではと最近感じます
自分がよければよいと
自分さえよければいいとでは
意味が変わるように感じます
自分がよければいい
は、自分のルール、価値観による承認があり
外にも向かう、ちからになりえると思います
自分さえよければいい
は、他の事はどうでもいいけど私は満足したいの!と
不足の要素を感じるような気がします
いずれにしても
いまの世の中も
オーケストラの様に
共同作業によって
できあがると仮定すると
少々の事は
ノイズで
いいも悪いも
ある意味
自分が生きていく上で必要だから出てきた
ちゅうことではないかと
最近思います。
要らないものが
世の中にはありません
気づかせるために
そこにあります
なくなったものは
記憶にあります
だから
苦しく
いとおしい
そして、いまの自分になるのだと思います
一人では
一人のことしかできませんが
一人が一人の事をできると、二人になったときは二人以上
たくさんになったから
いまの世の中で
すべてが
命をつなげるために
この世の中で生きていると
そう思います
自分が光であれば、みんなが明るい
みんなが照らせば
もっとあかるく
また、違う明るさがうまれる
と
思います
命に分け隔てはなく
全て一生懸命生きてます
だから
自分でいいのです
生きているのだから