「この体育館を出た瞬間、
私たちは、
自分が敷いた別々の線路を
しっかりと歩んでいきます。」
線路は続くよどこまでも。
なんていう歌があるが、
冒頭のそれは、答辞の一節だ。
今は、
どうやら卒業シーズンらしい。
社会人になってから、
そんな季節感をだんだん感じなくなってきてしまってる。
寂しいことに。
で、ニュース番組で中学校の卒業式をしてるのを見て、
ふと思い出した。
ある田舎の中学校の素朴な卒業式を。
高校は、私立だったし、完璧な講堂があったし、壮大なもんだった。
だから、正直あまり記憶にない。
それに比べて、
中学校は、田舎だし、公立だし、体育館だし、手作り感たっぷりな感じでなんだかとても印象深い。
そんな卒業式で、
私は答辞を書いた。
読んだのではなく、
ただ書いた。
読んだのは、もち生徒会長。
文章を書くのが得意だったからかなんかで、指名されて書いた記憶がある。
大半は、何を書いたのか全くもって覚えてないのだが、ただ、終盤の冒頭の一節だけは、鮮明に覚えているのだ。
しかも、鮮明な映像と共に。
卒業証書を片手に、花道を、在校生たちの間を抜けて、父兄たちの間を抜けて、体育館の外に出る。
体育館の外は明るく晴れており、まだ午前中の、正午に向かう途中の太陽が、光を私たちに降り注いでいた。
古い体育館を出た瞬間、そこから先は、もう私たちは各々の道を歩くことになる。
その瞬間を、鮮明にイメージしながら書いた。
現実も、その私のイメージの中だけの予行練習と寸分違わなかった。
イメージどおりだった。
あの頃流行った歌に、
「あの頃の未来に、僕らは立っているのかなぁ。」
という一節があった。
その時、それを胸に刻みながら、卒業した記憶も甦る。
今は、その答えには未だに自信を持てないでいる。
果たして、私の線路は何処に続いており、私の「あの頃の未来」に立てる日はいつになるのか。
春になり、心機一転、私の線路も、ガシャンという音を立てて、動き始めたようだ。
私たちは、
自分が敷いた別々の線路を
しっかりと歩んでいきます。」
線路は続くよどこまでも。
なんていう歌があるが、
冒頭のそれは、答辞の一節だ。
今は、
どうやら卒業シーズンらしい。
社会人になってから、
そんな季節感をだんだん感じなくなってきてしまってる。
寂しいことに。
で、ニュース番組で中学校の卒業式をしてるのを見て、
ふと思い出した。
ある田舎の中学校の素朴な卒業式を。
高校は、私立だったし、完璧な講堂があったし、壮大なもんだった。
だから、正直あまり記憶にない。
それに比べて、
中学校は、田舎だし、公立だし、体育館だし、手作り感たっぷりな感じでなんだかとても印象深い。
そんな卒業式で、
私は答辞を書いた。
読んだのではなく、
ただ書いた。
読んだのは、もち生徒会長。
文章を書くのが得意だったからかなんかで、指名されて書いた記憶がある。
大半は、何を書いたのか全くもって覚えてないのだが、ただ、終盤の冒頭の一節だけは、鮮明に覚えているのだ。
しかも、鮮明な映像と共に。
卒業証書を片手に、花道を、在校生たちの間を抜けて、父兄たちの間を抜けて、体育館の外に出る。
体育館の外は明るく晴れており、まだ午前中の、正午に向かう途中の太陽が、光を私たちに降り注いでいた。
古い体育館を出た瞬間、そこから先は、もう私たちは各々の道を歩くことになる。
その瞬間を、鮮明にイメージしながら書いた。
現実も、その私のイメージの中だけの予行練習と寸分違わなかった。
イメージどおりだった。
あの頃流行った歌に、
「あの頃の未来に、僕らは立っているのかなぁ。」
という一節があった。
その時、それを胸に刻みながら、卒業した記憶も甦る。
今は、その答えには未だに自信を持てないでいる。
果たして、私の線路は何処に続いており、私の「あの頃の未来」に立てる日はいつになるのか。
春になり、心機一転、私の線路も、ガシャンという音を立てて、動き始めたようだ。