道で、プラカードを下げて座っている人がいて、


それで、質問が書いてあった。




質問に答えてあげてくれませんかって、


テレビかなんかの人がいう。




すごく、お話したかったのだけど、


ビデオかなんかに撮るのは、ちょっと、と


思い、通り過ぎた。




人のことって、なぜ、



こうしたらいいのになあって、すきっと、



考えられるときがあるのだろう。




ずいぶん、むずかしい質問だったのだけど。













こんどのこと、自分を客観視してみたら、




どうだったのかな。







って、言ってもしようもない、か。







でも、その視点て大切。








でもでも、そうやって悩みのなかで、






見つけたいものもあるのかもね。









それは、計り知れないものだったりするのかも。

















ついに、パンク。


いいんじゃん。


いいね。


歩けばいい。


しばらく、景色がかわる。






それにしても、パンク修理900円とは高いです。


預かりますっていってくれるけど、


見てみないとわからないらしく、


場合によっては3000円とか、


ちょっと考えます、ね。






たしかに子どものとき、許すことはごく簡単だった。


わたしの場合そうだった。


たとえ、謝ってもらわなくとも、


自分のなかで、物事はすんだ。


あれはなんだったのだろう。



いつから許せなくなったのだろう。


むずかしいことになったのだろう。




裁かれるのも、裁かれる気になるのも

まったく、好きじゃない。

あいまいで、混沌としている人間だけど、

その点ははっきりしている。

ダライラマは、自我の分析は不能という。

自分を知ってかなきゃいけないし、

わからないことは逍遥と、(この字でいい?)受け入れないといけない。


これでベストせいいっぱい。

経験。

必ず生かせるから・・・。

とりあえず、認めることから。

経験を受け入れてあげることから。


いつもベストをつくすだけ。

いまできることをするだけ。

そっからだから。