幸せから絶望へ転がり落ちる瞬間
はじめに…
私は先日流産しました。
その記録としてこのブログに載せたいと思います。
見る方によっては嫌な事を思い出してしまったり、気分を害されてしまうかもしれません。
どうか、そのような事がないよう、このブログはスルーして頂ければと思います。
2010年1月4日
待ちに待った健診日。
前日から、たまごクラブを見て9w6dだからこれぐらいまで大きくなってるのかなぁ~って、色々想像していました。
また、沢山の友人に妊娠と結婚の報告をし、本当に幸せでした。
4日、朝から健診へ一人車で行きました。
年が明けて初日という事もあり沢山の人。
外の待合室も中の待合室もいっぱいでした。
それでも、育児雑誌を見てその間でさえ幸せでした。
中の待合室に呼ばれ、早く見たいなぁ早く会いたいなぁって思いながら待っていると、診察室へ呼ばれました。
『何か変わった事はありませんでしたか?
前回の検査の結果出たけどね、何も異常なし。
じゃ、診てみようか。隣の1番の内診室へどうぞ』
患者さんが多いので、いつもこんな感じでじっくり話す余裕なんてありません。
急いで隣へ移動して、内診台へ。
モニターには前の方の映像が映し出されていました。はっきりとわかる赤ちゃん。
私の子はまだここまでは大きくないだろうなぁ~と思っているところへ先生が来ていよいよです。
しかし、映し出された我が子は少し小さい?
昨日雑誌で見たのと違う?
少し不安になってると先生が
『あれ。前回までは心拍あったのにねぇ。
死んでるみたいだねぇ。本当ならここが動いてないといけないのにねぇ。はい、じゃあいいよ』
次に看護士さんが
『はい、ではまた先生からお話がありますから中の待合室でお待ち下さい。』
と。
着替えをしながら、私の頭の中はパニックを起こしていました。
あの人、さらっと死んでるって言ったよね…
どういう事?
赤ちゃん、ダメなの?
訳がわからぬまま、さっきまで居た待合室へ。
さっきまでここに居た私は幸せでいっぱいだったはず。
なのに今は、幸せの欠片もない。
周りはみんな幸せそうな中、そこに居るのがすごく辛かった。
だけど、周りの人は悪くなんてない。自分だってさっきまで、その一員だった。
初めて、その場所には幸せな人ばかりが居るんじゃないんだと気付きました。
涙を堪えるのに必死でした。
診察室に再度呼ばれて、説明を受けました。その時にはもう、涙を押さえることはできず、ただただ涙を流しました。
『残念だけど、赤ちゃんは死んでましたね。
これは仕方ないことですよ。
昔はね、お母さんが何か無理したんじゃないかと言われてましたが、今は研究が進んでそうではないことがわかりました。
この時期の流産は、赤ちゃんに原因があるのでお母さんのせいではないですよ。
これを聞いてホッとされる方が多いです。
うちは、月に350人程いらっしゃいますが、そのうち30人程が流産されます。
日常茶飯事なんですよ。
もう、手術をして中を綺麗に掃除しなくてはいけません。
明日大丈夫ですか?
ご主人来れますか?
今日一緒に見て死んでいるのに間違いはないとわかってもらったと思いますが、明日ご主人にも見てもらいましょう。
そして私から説明して手術しましょう。
時間は5分程度です。
世界中で行われているので簡単な手術です。
はい、じゃあ後は看護士から説明しますからまた待合室で待ってて下さい。』
死んでる死んでるっていとも簡単に…
この人達にとって私の流産なんてただの日常茶飯事にすぎないんだ…
悲しみと悔しさと怒りとやりきれなさで、涙も止められず、そのまま外へ出ました。
そこで、彼に電話しました。
声にならない声で
ダメだったと。
次の日は入籍予定でしたが、手術して赤ちゃんとお別れをしなくてはいけない日なので、入籍は見送る事にしました。
また、待合室に戻ると看護士さんに呼ばれ、いつも『あの部屋は何に使うんだろう…』と思っていた部屋に連れて行かれました。
そういう部屋なのか…
淡々と説明をする看護士さん。そこには優しさの欠片もありません。
優しい言葉をかければ、こちらがまた乱れてしまうから、ある意味それが優しさなのかもしれませんが、何か一言でいい。
いや、言葉じゃなくて手を握ってくれるだけでも、肩をさすってくれるだけでもいい。
優しさに触れたかった。
『薬のアレルギーは?
今まで大きな病気に掛かったことは?
明日は10時から手術ですので、15分前には必ず来て下さい。遅れる場合は早めに連絡してくださいよ。
今日は21時以降何も摂らないでください……』
と、マニュアルな説明をされ私は返事もできず、ただ頷くだけでした。
会計を待つ間も、あの空間が耐え難かった。
泣くまい泣くまいと、必死でした。
もう、赤ちゃん亡くなったから市から貰ったあの紙は使えないんですね。
何も記入される事のなかった母子手帳を見ると胸が引き裂かれるような思いでした。
涙をボロボロ流しながら一人車で帰りました。
家に帰り、それからずっとずっと泣き続けました。
彼が出張先から帰ってくる夜中の2時まで…
それから2人でおなかに手を当て、親子3人で最後の夜を過ごしました。
私は先日流産しました。
その記録としてこのブログに載せたいと思います。
見る方によっては嫌な事を思い出してしまったり、気分を害されてしまうかもしれません。
どうか、そのような事がないよう、このブログはスルーして頂ければと思います。
2010年1月4日
待ちに待った健診日。
前日から、たまごクラブを見て9w6dだからこれぐらいまで大きくなってるのかなぁ~って、色々想像していました。
また、沢山の友人に妊娠と結婚の報告をし、本当に幸せでした。
4日、朝から健診へ一人車で行きました。
年が明けて初日という事もあり沢山の人。
外の待合室も中の待合室もいっぱいでした。
それでも、育児雑誌を見てその間でさえ幸せでした。
中の待合室に呼ばれ、早く見たいなぁ早く会いたいなぁって思いながら待っていると、診察室へ呼ばれました。
『何か変わった事はありませんでしたか?
前回の検査の結果出たけどね、何も異常なし。
じゃ、診てみようか。隣の1番の内診室へどうぞ』
患者さんが多いので、いつもこんな感じでじっくり話す余裕なんてありません。
急いで隣へ移動して、内診台へ。
モニターには前の方の映像が映し出されていました。はっきりとわかる赤ちゃん。
私の子はまだここまでは大きくないだろうなぁ~と思っているところへ先生が来ていよいよです。
しかし、映し出された我が子は少し小さい?
昨日雑誌で見たのと違う?
少し不安になってると先生が
『あれ。前回までは心拍あったのにねぇ。
死んでるみたいだねぇ。本当ならここが動いてないといけないのにねぇ。はい、じゃあいいよ』
次に看護士さんが
『はい、ではまた先生からお話がありますから中の待合室でお待ち下さい。』
と。
着替えをしながら、私の頭の中はパニックを起こしていました。
あの人、さらっと死んでるって言ったよね…
どういう事?
赤ちゃん、ダメなの?
訳がわからぬまま、さっきまで居た待合室へ。
さっきまでここに居た私は幸せでいっぱいだったはず。
なのに今は、幸せの欠片もない。
周りはみんな幸せそうな中、そこに居るのがすごく辛かった。
だけど、周りの人は悪くなんてない。自分だってさっきまで、その一員だった。
初めて、その場所には幸せな人ばかりが居るんじゃないんだと気付きました。
涙を堪えるのに必死でした。
診察室に再度呼ばれて、説明を受けました。その時にはもう、涙を押さえることはできず、ただただ涙を流しました。
『残念だけど、赤ちゃんは死んでましたね。
これは仕方ないことですよ。
昔はね、お母さんが何か無理したんじゃないかと言われてましたが、今は研究が進んでそうではないことがわかりました。
この時期の流産は、赤ちゃんに原因があるのでお母さんのせいではないですよ。
これを聞いてホッとされる方が多いです。
うちは、月に350人程いらっしゃいますが、そのうち30人程が流産されます。
日常茶飯事なんですよ。
もう、手術をして中を綺麗に掃除しなくてはいけません。
明日大丈夫ですか?
ご主人来れますか?
今日一緒に見て死んでいるのに間違いはないとわかってもらったと思いますが、明日ご主人にも見てもらいましょう。
そして私から説明して手術しましょう。
時間は5分程度です。
世界中で行われているので簡単な手術です。
はい、じゃあ後は看護士から説明しますからまた待合室で待ってて下さい。』
死んでる死んでるっていとも簡単に…
この人達にとって私の流産なんてただの日常茶飯事にすぎないんだ…
悲しみと悔しさと怒りとやりきれなさで、涙も止められず、そのまま外へ出ました。
そこで、彼に電話しました。
声にならない声で
ダメだったと。
次の日は入籍予定でしたが、手術して赤ちゃんとお別れをしなくてはいけない日なので、入籍は見送る事にしました。
また、待合室に戻ると看護士さんに呼ばれ、いつも『あの部屋は何に使うんだろう…』と思っていた部屋に連れて行かれました。
そういう部屋なのか…
淡々と説明をする看護士さん。そこには優しさの欠片もありません。
優しい言葉をかければ、こちらがまた乱れてしまうから、ある意味それが優しさなのかもしれませんが、何か一言でいい。
いや、言葉じゃなくて手を握ってくれるだけでも、肩をさすってくれるだけでもいい。
優しさに触れたかった。
『薬のアレルギーは?
今まで大きな病気に掛かったことは?
明日は10時から手術ですので、15分前には必ず来て下さい。遅れる場合は早めに連絡してくださいよ。
今日は21時以降何も摂らないでください……』
と、マニュアルな説明をされ私は返事もできず、ただ頷くだけでした。
会計を待つ間も、あの空間が耐え難かった。
泣くまい泣くまいと、必死でした。
もう、赤ちゃん亡くなったから市から貰ったあの紙は使えないんですね。
何も記入される事のなかった母子手帳を見ると胸が引き裂かれるような思いでした。
涙をボロボロ流しながら一人車で帰りました。
家に帰り、それからずっとずっと泣き続けました。
彼が出張先から帰ってくる夜中の2時まで…
それから2人でおなかに手を当て、親子3人で最後の夜を過ごしました。