一刀流(北辰・中西派)について又、坂本龍馬に与えたとする単なる目録! | かねこよういち

北辰一刀流の体系は、剣術と長刀兵法(薙刀術)からなる。 当流の伝承によると、千葉家の家伝であった北辰夢想流と、千葉周作が修行した中西派一刀流を統合して北辰一刀流が創始された、と伝えられる。しかし、北辰一刀流の組太刀(形)は中西派一刀流のものとあまり違いは見られない。竹刀と防具を用いた打込稽古を盛んに行う点も当時の中西派一刀流と同じである。 このことから、北辰一刀流が多くの門人を輩出した理由は千葉周作の合理的な指導法にこそあることがわかる。現在まで残っている千葉周作の著述等を見ても、平易な表現で懇切丁寧に剣術を指導したことがわかる。さらに、その千葉独自の指導方法に加え、中西派一刀流から受け継いだ打込稽古を発展させた。その一例が、竹刀を構えた時に剣先を常に揺らして変化にいつでも応じられるようにする「鶺鴒の尾」である。このように、現代剣道の技法の基礎を確立したといってよい。


== 北辰一刀流の組太刀 ==
千葉周作遺稿によると、他の小野派一刀流系の流派と同じく、「一ツ勝」より始まる太刀の組太刀43本(小野、中西派とは本数の数え方が違う)をはじめ、小太刀など、中西家で行われていた一刀流(中西派一刀流)の組太刀とほぼ同じものを伝えている。(ただし、北辰一刀流独自の点もいくつかある)

また、薙刀の形も初代・千葉周作が体系化し伝えている。

●現存する系統
===水戸藩の系統===
現在でも水戸に伝わった北辰一刀流の道場が茨城に2箇所、北海道小樽の剣道を伝承する道場が東京に1箇所現存している。日本古武道協会に加盟している茨城県水戸の東武館をはじめ、日本伝統技術保存会では北辰一刀流の形(長剣の形)43本のうち26本ほどが故・谷島三郎から継承されている。現在でも北辰一刀流の組太刀を復古させる為に、周作の流儀であった中西派一刀流や、東武館の協力を仰ぎ、北辰一刀流の形を再構成している。


==== 水戸藩伝の系譜 ====


千葉周作┬千葉道三郎―下江秀太郎┬門奈正
│   │
└小澤寅吉───────┴小澤一郎―小澤豊吉┬小澤武(水戸東武館)
  │
          └谷島三郎┬岡嶋泰治(日本伝統技術保存会)
  └椎名市衛(日本伝統技術保存会)

===杉並玄武館の系譜===


二代目を道三郎が継いだ、その門から明治の剣道界を背負って立った剣豪を多数輩出した。此の中に北辰一刀流の四天王と言われた、門奈正・内藤高治<ref>門奈正、内藤高治は水戸の東武館で北辰一刀流を学び、東武館の三羽カラスと呼ばれた内の二人であり、道三郎時代の四天王であった記録は無く、千葉家の玄武館の継承と関係した記録があるか不明。特に門奈正は、ここで四天王の一人とされている下江秀太郎の弟子であり、世代的にも時期的にも門奈が道三郎に学んだとは考えられない。門奈と同世代の内藤高治についても同じである。</ref>・小林定之・下江秀太郎がいた。道三郎の子の勝太郎勝胤が玄武館三代目と目されていたが、目に障害があり宗家を継がなかった。関東大震災に依って玄武館道場と共に貴重な遺品や極意書は灰燼に帰した。杉並玄武館への系譜の三代目は野田和三郎であり、小樽に玄武館道場を設立し指導した。五代目を継いだ小西重治郎成之は、野田和三郎三代目館長の内弟子となり、若冠19才にして玄武館の代稽古となる。戦争を境にして三代目は病没、五代目はパイロットとして戦野にあり、四代目はシベリアに抑留され道場は閉鎖、小樽の玄武館の土地建物は人手に渡った。

終戦後、小西重治朗は昭和20年8月、現杉並区善福寺公園を野天道場として少年指導を開始した。昭和25年の秋より屋内道場となる。その頃荻窪警察の渡会助教の好意で出稽古をすると共に指導した。その後、弟子達後援者により現在の玄武館を再建する。「交剣知愛」を説き、相手を思いやる剣を目指した。殺法としての剣術ではなく活法としての剣術、活人剣としての北辰一刀流を門人に指導し、剣術の心構えを普段の生活にまで活用出来るような指導方法であった。 対外活動として千葉周作先生の生家のある岩手県陸前高田市で毎年行われている、『剣豪 千葉周作顕彰 少年剣道練成大会』において、少年少女剣士に演武を披露する等、精力的に活動していた。

* 星 耕司 「よみがえる北斗の剣―実録北辰一刀流」 1993 河出書房新社

追記

千葉 さな子(ちば さなこ、天保9年3月6日(1838年3月31日) - 明治29年(1896年)10月15日)は北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟・千葉定吉の二女である。兄は千葉重太郎。北辰一刀流小太刀免許皆伝。長刀師範。学習院女子部舎監。漢字表記では坂本龍馬に与えた長刀目録に佐那と記述され、司馬遼太郎がその標記を用いたため、この名称が一般化しているが、千葉家の位牌には佐奈と記されている。初名を乙女といった。