天国 | 【frustration】

【frustration】

日記と写真など。

今日は、少ないかもだけど近所の人たちが自宅に来たり。朝から、必要なものを準備したりした。

お母さんが逝ってしまって、一日経った。

なんか、やっぱり寂しい。

「早く、楽になって欲しい」という気持ちと居なくなったら「なんか寂しい」という気持ちで闘病期間中は複雑な気持ちでした。

簡単に見捨てる訳にもいかないし、お母さんあっての自分だからね。

近所の人も癌で家族を失った人もいたみたいで、今日お話ししてちょっと共感出来るとこもあった。

昨日亡くなったばかりだし、お母さんの事思い出すと涙が溢れて来た。

全然、泣く様子もなかった親父も昨日は泣いてた。

土曜日は、単語を話すくらいであんまり母は話す事もなく。

日曜日は、身体の器官がダメになって来て一言くらい話したかな。あとは「あー」だか「うー」だか唸っているだけだった。

月曜日は、日曜日の夜から月曜日の朝方まで病院に泊まった。朝方には、少し呼吸が弱くなって声は出ないし呼んでも反応なかった。でもお母さん、一旦帰るねと言ったらコクリと頷いた。

月曜日の夜に再び病院に帰って来て、病室行ったら親父がイビキかいていてうるさかった。話しかけても母の返事もないし、話さないし。ただ、手を握って独り言のように話しかけた。母の手は冷たくて、やっぱやばかった。

火曜日の朝、病室の前で工事していてうるさかったせいか母の目は開いてた。やたら、頻繁に看護婦が来た。次第に母は、目が見開いて5秒置きに呼吸をするようになった。実家にある喪服は母が何処かにしまったか、わからなかったので妹と買いに出かけた。12時50分ころに出たのかな。

そこから、7分だか8分だか経って病院の近辺にいて車で妹と移動してた。知らない電話番号から、電話がかかって来て病院から電話で「すぐ戻って来て下さい」という電話だった。何が起こったのかすぐ予測出来た。

13時をちょっと過ぎた頃だったか、病室には看護婦さんが集まっていて親父もいて母はもう呼吸をしていなかった。

俺と妹が病室を出た5分後だったか。母の呼吸は、10秒間隔でするようになっていたらしく。病室にいた親父がおかしいと思って、看護婦を呼んで来て暫くして呼吸をしなくなったらしい。

親父と俺で母の手を握って、主治医に確認してもらった。妹は見ていて、もう家族全員が涙を流してた。

主治医が「ご臨終です」と言った。

家族全員もうわかっていた事だったけど、やっぱりその日が来た。そして癌という最大の敵とも終止符を打った。

正直、お参りしたり奇跡が起きないかと思ったりしたけど助かる可能性は心の中ではゼロだった。

書類などを済まして、完全体制というか他の患者にバレないように看護婦らが母を一階に運んだ。

俺は、葬儀屋の運転する車で自宅へ向かった。病院を出る際、看護婦や主治医が見送ってた。主治医は、15秒くらい深々と頭を下げてたらしい。

俺と親父は、「治療出来ません」と言われた時から治す方法がないからそう言っているのはわかってたけど。治してくれなかったから、正直憎かった。わかってるけどね。「ご臨終です」と言った時に主治医は泣いてた。やっぱり、自分の患者さんが苦しんでいるのは心苦しいし辛い結末を迎えたからたから泣いてたのかな。

葬儀屋の車で移動してる時に涙が出た。空を見上げると澄み渡る青空で今日この空へ母は旅立ったんだなと思った。

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