私は、プレッシャーに弱いと思う。気持ちが揺れるよりも、身体の不調という形で感じるのだ。
精神的な重圧は、文字通り、身体にずしんと重しがのっかっているような感覚。

なぜ今、プレッシャーのことなんかを考えているかというと、オリンピック開幕秒読みのせい。
日本代表になった選手に「ぜひとも、活躍を期待しています!」なんて応援の言葉をかける
人々を見ていると、他人事ながら、何だか心配な気がして、ついつい思ってしまうのだ。

「ただでさえ緊張しているだろう人に、何もあんなに、プレッシャーかけなくても……」と。

もちろん、日本代表に選ばれるほどのスポーツ選手のメンタルは、私よりずっと強いだろう。
名門クラブ、マンチェスター・ユナイテッドに移籍した時の会見で、サッカー日本代表の
香川真司選手が、「プレッシャーを喜びに変えてプレーしたい」と語ったのは、
まだ記憶に新しい。

プレッシャーを抑えこんだり、プレッシャーから逃げようとしたりするのではなく、むしろ
プレッシャーがかかればかかるほど快いスリル(?)を感じ、いつも以上の実力を発揮できる
ような人こそ、ほんとうに超一流の選手なのだと言えるかもしれない。

それでも私は、応援という名でかけられるプレッシャーの重みは、何だか、選手の負担を
増やしてしまうことのほうが多いような気がして、しかたがない。

特に、「日本代表としてガンバレ!」とか、「日本の意地を見せてほしい!」とかいう、
日の丸の重みを背負わせるような発言が苦手だ。

選手自身が、日本を代表して競技することを誇りに思うのは、もちろん素晴らしい。
けれど選手に「日本代表としてがんばれ!」とハッパをかけるのは、何か違う気がする。

私はどうも、集団への帰属意識がひどくうすい。日本人、女性、既婚者、自閉系などなど、
種類はいろいろあると思うのだけれど、とにかく何であれ、自分と同じカテゴリに属する
人たちに対する仲間意識とか連帯感のようなものは、ほとんど感じられない。

そのせいか、オリンピックやワールドカップのようなイベントで、国の代表選手に対して
多くの人が抱くものらしい「同じ日本人としてがんばってほしい」とか「日本人として誇りに
思う」といった感覚、一種の感情移入だと思うけれど、それが何とも奇妙に見えてしまう。

応援したい選手はいるし、結果はどうあれ、その健闘をたたえたいと思っている。
けれど、国を背負うプレッシャーをかけたいとは、思わない。

誰かに言われるまでもなく、国の代表選手としての誇りやプレッシャーは、一人ひとりが
ひしひしと感じているに違いないのだから。