17年目の「あの日」はもう過ぎたのに、なぜ今頃、阪神淡路大震災の話題なのかというと、

今年は、去年の東日本大震災のこともあって、ことさらに複雑な思いがいろいろと浮かんできたため

何を書くか決めるのに、数日かかってしまったから。


とか言いながら、毎年同じようなことを書いている気もするけれど、直接「あの日」を経験した世代としては、

覚えていることを伝えていくのも、また大切ではないかと思うので……。


1995年1月17日。


よくあることだけど、早朝にふと目が覚めて、そのあとじきに揺れがきた。

でも、関東では地震はけっこうよくあることだし、そんなに激しい揺れではなかったので、

ああ、地震だなあと思っただけだった。


目がさめてしまったのでそのまま起きだして、朝食の準備などしていたのだけど、TVのニュースで

初めて、神戸で大地震があったことを知った。


最初は映像がはいらなかったので、どの程度の被害が出ているのか、よくわからなかった。

相方の神戸の実家に電話をかけたら、最初の一瞬だけ電話が通じた。ものすごく動転していた。

(のちに、実家は半壊認定をうけた)


しばらくしてやっとTVに映像が入った。


阪神高速道路の高架が落ちているのをこの目で見た。


その瞬間、わかった。これは間違いなく、広範囲にものすごい被害が出ている。


相方に「すぐ実家に帰って!」と言って、家にあるありったけの食料、軍手、カメラなどを持たせて送り出した。

(とはいえ、新婚旅行から帰ってまだ2,3日目だったから、保存のきく食べ物はあまりなかった)

その時とっさに作ったバターたっぷりのトーストが、相方のために作った初めての弁当になった。


その日は、新幹線も止まっていたし、阪神間の交通は寸断されていた。相方は途中の親戚の家で借りた

ミニバイクでガレキの中を延々と走り、翌日になってやっと、何とか実家にたどりついたという。


私はその日、情報を求めてTVを見続けていた。燃えさかる神戸の映像ばかりが延々と流れていたように思う。

教育テレビではいつまでも尋ね人情報が流れていて、まるで戦争のあとみたいだった。


ある意味、震災って戦争のようなものだ。


神戸の街は、第二次世界大戦の空襲で焼け野原になったのだけれど、震災の翌朝の神戸は、

再びその頃の写真にそっくりになっていた。


震災発生直後のことで記憶に残っているのは、このくらい。

その後数日の詳細は、記憶からみごとに消去されている。


覚えているのは、前年まで勤務していた元職場が倒壊・全焼したニュースなど、ほんのわずかなことだけ。

抜け落ちた記憶は、おそらく戻ってはこないだろうと言われている。


それだけショックが強かったということなのだろうけど、いつか、ふっと思い出せたりしないだろうか?

確かに辛い記憶には違いないけれど、できる限り、しっかり覚えていたいことだから。