医者の待合室で週刊誌を読んでいたら、「KYな人特集」というのが

載っていた。(KYとは「空気読めない」の略だそうだ。流行語?)


何たって自分が誰よりも場の空気が読めない異星人だから、思わず

じっくりと読んでしまった、けど…どうも、釈然としない思いが残った。


記事で取り上げられているKYな人というのは、大ざっぱにわけて

二種類。目の前にいる人に失礼なことを言っても気づかないタイプ

と、会話が自分中心でしばしば自慢話になりがちなタイプだ。

記事はそれを、「こういう人っているいる、嫌だよねえ~」って感じで

面白おかしくこきおろしている内容。


でも、私は思うのだ。そういう態度が良くないのなら、何で上手に

本人にそれとなく注意したり、失言をフォローしたり、話をかわしたり

して、場を保つ努力をしようとしないんだ??ちゃんと「空気の読める」

大人なら、そのぐらいはできるはずじゃないの?


例えば、無神経で失礼な人の例として、頭のウスい人がいるのに

カツラやハゲの話題を平気で持ち出人、というのがあった。


そんなの「その話は、もういいの」とか何とか言って、周囲がさりげ

なく話題を変える方向に持っていけば、すむことじゃないの?

だって、まわりの人たちは自称「空気読める人」なんだから。その

ぐらいの配慮、できるはずだろう。


もう一つの、何を話していても話題が自分のことになってしまい、

しばしば自慢たらしくなりがちな「自覚のない自己中」タイプのKY

な人にしても、関西人の私としては「誰もアンタのこと聞いてない

って!」とか何とか、軽いノリでテンポ良くツッコミを入れれば、

いいだけのことに思える。


空気が読めなくてマズイ発言をしてしまう人に対して、本人には

何も知らせず、陰で集まってこそこそ悪口を叩く、というのは

いかにも日本的な陰湿さだと思うのは、私だけだろうか。


子どもたちの間でも、同じような現象が起きているらしい。ちょっと

したきっかけで少しでも仲間から浮いてしまうと、「あの子、空気

読めないよね」と言われてしまい、それば当然のように、ハズシ

(仲間はずれ)やイジメにつながっていくから、仲良しグループに

入っていても、内心はいつもどこかでビクビクしている、という話

をあちこちで聞く。


こんな風潮の世の中で、本当に皆、居心地がいいのか??


日本は確かに昔から、「そのぐらい、言わなくてもわかるだろう」的な

以心伝心のコミュニケーションが当たり前、とされてきた文化だと

思う。でも、今や時代は21世紀。日本的な「察しあい、なれあい」が、

多様化する社会でそういつまでも通用するとは思えない。


それに、私のように純粋な日本人でも、「言葉にされない気持ちや

場の雰囲気を察することがうまくできにくい人」だっているのだ。


「言わなくても、わかって当然」という前提は、どう考えても、もう古い。

なのにそれが、「KYな人」なんて流行語のようになり、雑誌で特集

されてしまうとは…


やっぱり、日本ではまだまだ、「言わなくても通じ合う」ことのできない

人への風当たりはかなりキビシイことを、思い知らされた気がした。