乳がんで闘病中の音。
この話から、ああこれで終わりだなと思った。
妻に先だたれてる裕一は寂しくなるだろうなと
思った。

しかし、音大生の広松寛治(松本大輝)がやってきて
話を始める。先生はもう作品を作らないのかと。
裕一は今までたくさんの曲を作ってみんなを応援してきた、
でも、もういいかな、自分の中で楽しみたいという。
その分、若いこれからの広松達に頑張ってほしいと、
彼にエールを送る。
この学生との話の中でずっと私がきになっていた小山田耕三の
話が出る。裕一の才能に嫉妬していたというが、それは
すでにわかっていたことだった。
クラシックの裕一にコロンブスレコートで赤レーベル歌謡曲の
作曲担当を推薦したときから。裕一をつぶそうと思っていた。
そして、あの戦争の時、音楽慰問団に裕一を推薦したのは
小山田だった、真意は明かされてないが、殺すつもりかと
と思った。

帰国し戦後戦犯扱いされ、それも乗り越えて
本来の裕一らしい
音楽が書けるようになったことを夫婦で喜ぶ。
このあたりが
うれしい場面が多かったような気がする。
小山田からお詫びの手紙をもらい、裕一の心に平安が
おと連れたのではと思う、小山田は「僕は音楽を愛していた
しかし、君は音楽に愛されていた。そこに嫉妬した。」
正直な話であった。
このフレーズは感動的だった、

音が小さな声で裕一の作った歌を歌う、そして
海が見たいという。
年老いた夫婦はお互いをいたわり、かばいあいながらも
海に向かう。

ここからなんだなぁ~~~
まさか、こんな演出とは!
ベットから降りた音の足が床をおぼつかなく
あるき、その床が光に照らされ反射しやがて
砂浜になると音の足が力強く砂を走る。

あのエールの主題歌が流れて
あの頃の若き頃の二人が海辺を走ったり踊ったり
オルガンを弾いたり。
なんという演出。
音がなくなりましたという場面は
「音に会えてよかった。」
「わたしも、楽しかった。」
と、普通病床で最後の会話とされるところを
笑いながらいうのだから・・・・
この演出、大好き。
そして、最後
窪田さん
二階堂さんからの、役そのままの恰好での
メッセージ。

視聴者には寂しいけど、楽しかった、いいお話だった
と、感謝と喜びがはじける演出ではないですか。
いいドラマを見せていただきました。
感謝です。
こんな素晴らしい方がいらしたとは。
また、出演者さんもみんな素晴らしい方
ばかりで、思い出に残る朝ドラになりました。

そうですね、知っている朝ドラ史上一番です。
今までの一番は「げげげの女房」でした。
それ以外は、見ない年もありましたし
ついでに横目で見ていた時もありました、
このエールだけは
なにもなくても、とりあえず、八時にはテレビだ”
と、いう意気込みのドラマでした。
そして、途中コロナで再放送になった時も
それはそれで、もう一度見れてなるほど・・・と
思ったり、楽しかったですよ。
ありがとうございました。