4月30日明仁天皇は退位される儀式に
あいさつをされた。

おどろくほど平易な言葉であった。
いつもそうだったけどね。

「天皇としての務めを終えることになりました」

そういって、

“陛下は30日午後5時から、国民に
「広く退位を知らせる儀式「退位礼正殿の儀」
に臨み、30年余りの在位について

「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、
心から感謝します」と最後のお言葉を述べられた。”

「象徴としての天皇・・・」
生まれた時から現憲法があり
その下で育った私には
「象徴としての天皇」は当然であったが
詳しくは。どうあるものなのだと聞かれると
答えがむつかしい。

君主ではない。
主権を持ってない
では???
日本のあるべき守るべき伝統と文化を
後世に伝える精神的なお立場をいうのだろうか?
この答えは抽象的である。
しかし、
なぜか
日本に皇室があってよかったと
思う。

やはり、そういう民族なんだなと・・・

明仁天皇のお言葉は
まだまだ、驚くほど感動的に
続く。


「天皇としての務めを、国民への深い
信頼と敬愛をもって行い得たことは、
幸せなことでした」


「あすから始まる新しい令和の時代が,
平和で実り多くあることを,皇后と共に
心から願い,ここに我が国と世界の人々の
安寧と幸せを祈ります。」

私たち国民、世界の人々の安寧と幸せを
最後まで気遣って下さるとは
なんとうれしいことだろうと
思います。

雲の上の人だものね。
でも、ここ数日のテレビの
報道で
明仁天皇の育ってこられた
歴史や、エピソードやら
日本の大きな転換期に
多感な時代を生きられてた
ご苦労を知り、
なにやら「やんごとなきお方」
というイメージもなくなった。

昭和天皇が終戦後
人間宣言をされた。

神ではないと。

そうだろうね。

でも、神様ということで
あの戦争は行われて
多くの命が
失われたのは事実。
天皇陛下のために
死ぬという思想である。

だから明仁天皇は
自分の父親が神といわれて
その後、人間であるという
宣言から象徴としての
天皇とは何かを
考えてこられた人生なのだろう。

裕仁天皇は最も重い
A級戦犯だった。
が・・・・
日本の再生のために
命は助けられた。

その後の裕仁天皇の
御幸は地方へ、地方へと
続けられ、
アメリカへも行った。
いくら、戦勝国といっても
自分の息子や夫や兄弟を
殺された国民も多くいただろう。
そこは、そこしれぬパワーを持つ
アメリカである。

反対のデモがあったとしても
アメリカの国民は
裕仁天皇皇后の姿を見て
大変、喜ばれたという。
彼らの本当の姿を歪曲して
(神といって)
政治に利用したのは
日本である。
しかも、戦争に利用した罪は
大きい。


その大きな歴史の 
なかで明仁天皇は
皇太子となり皇室初の
民間出身のお妃をむかえて
国民は大変喜んだ。

美智子様の皇室での
戦いも大変なものであった
らしいが。

徳仁天皇はそのお二人の
最初の子供として生まれた。

当時の皇室アルバムという
テレビ番組にかわいいお姿が
写された。

戦後、象徴天皇をめざす
皇室にあって
美智子様の子育ては
なるちゃん憲法
ねむの木の子守歌など
多くの話題を呼んだ。

また、すこしでも手作りの料理をと
ご結婚されてから
小さなキッチンを作ったという。

ある番組でまだ、独身だった
徳仁天皇が趣味の山登りを
されるときの案内をされたかたが
エピソードをかたっていた。
徳仁様はお弁当はおにぎりだったと
いう。
美智子様の手作りという。
それだけでも
大きな感動を覚えた。

平成の時代を大きな自然災害で
苦労をしている方々へと
激励行をされる明仁天皇皇后。
このすばらしいお二人の
もとでそだっていつの日か
自分も天皇にと覚悟を決めて
努力してこられた
徳仁天皇。彼が選んだ雅子皇后
を気持ちだけでも応援したい。

何もできへんけどね・・・(汗)


とにかく
令和、おめでとうございます。