ベルサイユのバラ
14巻が発行され
楽しみに見ました。

すると

これで終わりなの??

と、驚くべきことがありました。

作品の最後に
エッセイがありますが

これが
いままでは
氷室冴子だったらり
田辺聖子だったり
でしたが

なんと
池田理代子さんご本人。

おもわず、え????

と驚きました。


そして、

ようやく、あの続きを書くことになった
経緯と
悪戦苦闘の創作活動
そして、
ひとつの作品を終わらせることができたという
安堵感が
かかれていました。

「ようやく自分の納得のいく
着地点を見つけることができました」

この言葉に凝縮される思いが
あったのでしょう。

当時の画風からはなれて
地味になってしまったことに
残念な思いを感じながら
エピソード編を読みました。

オスカルの父母の出会いや
アントワネット亡き後の
フェルゼンや
ロザリー、アランや
ベルナール、そして
ジェローデル・・・

特に、ジェローデルには
何のこだわりも感じなかったのですが
どこかで亡くなったものと
思っていましたが、
イギリスへわたり
生き延びていて
しかも、ロザリーとその息子の危機を救う
とは・・・・・
息子フランソワは泣き虫の母に辟易しながらも
アントワネットやオスカルたちと
新興のあった母を
誇りに思ったことでしょう。
彼のみる時代はすでに
混沌として
アントワネットの時代は
遠い過去になってしまって
いたことでしょう。
その歴史上の人物と
自分の母が深くかかわっていたこと
に、驚くばかりでした。
父は、クーデターを起こそうとして
失敗し、殺されました。
それゆえ、祖の家族さえも
命を狙われることになり
危険をかいくぐりながら
逃げて行きます。

フランソワは、穏やかになくなる母を
やさしく、見送りますが

これが

ベルサイユのバラの
着地点だったのですね。

ロザリーの人生も
やはり、気になるところでした。

かつて、池田氏は
題名のベルサイユのバラの意味を
ベルサイユのバラたちと
いうつもりだったと
言っていました。
アントワネットだけではなく
ロザリーも
ベルサイユのバラであるということ
なのでしょう。
ロザリーは、バロア王朝の血筋が
あるとのこと。
貴族であるが新しい時代を生き抜く
力強さももっている
女性でした。

オスカルにあって、母親の敵討ちではなく
時分の人生を考えるようになります。

さまざまな人生が交錯するベルサイユのバラ。
いつまでも
魅力あふれる
作品です。